お酒にまつわる話は際限なく多い。
しかも後で考えると失敗のほうが多く、
成功したという話はほとんど無い。
酒はほどほどにして切り上げるのが得策のようである。
学校を卒業して、一年目に母を、二年目に父を失った。
人生50年、54歳と57歳の二人は、
第二次世界大戦をはさんだ激動の時期を生き抜いた人達であった。
その短い人生を覗いていたボクは、
自分の残り30年の間に、
出来るだけ多くの経験を積みたいと思った。
ところが30年どころか、
60年を超えた。
今考えれば
急ぐことは無かった、ゆっくり体験すればよかった。
父母の死で迷惑を掛ける人が居なくなったと、
両親がいれば必ず注意される未知の世界を、
覗いてみたい衝動に駆られた。
若さの所以であろう。
やっと飲めるようになったお酒には、
女性がセットになっていた。
現代では、女性が飲みに行けば
男性がセットになっている場合もあるらしいが・・・
さて、23歳で父親を失った後、
新宿、渋谷のキャバレー、バー、クラブをはしごして歩いた。
一日おきくらいに遊び歩いて、
キャバレー、クラブのホステスの源氏名は、
各お店で十数人の名前をすらすら言えるようになって、
二十五歳のボクに、ある日縁談が六つも、
ほとんど同時に舞い込んで来た。
学生時代、バイト先で縁談を持ちかけられたことはあった。
20歳になったばかりで、
まだ学生でもあり、生活費さえ稼げないのに、
どうしてそんな話が来たのだろう、
相手のお嬢さんは日本舞踊の名取の方だそうだ。
結婚など、全くその気がなかったので、
丁重に断った。
その時母親から、
「人はある時期に縁談が重なる時がある、
そのときが結婚適齢期と思って結婚しなさい」
といわれた。
つまり縁談が重なったその時が、
女性も男性も売り時だというのである。
その時機を逸すると、生鮮食品ではないが、
賞味期限が無くなって売れなくなり、
挙句の果てには物が良くても、大安売りの、
たたき売りをしなければならないというのだ。
その縁談が重なったとき、
遊び歩いた後を振り返ったら、
借金の山であった。
今なら、さしずめサラ金に借金して、
にっちもさっちも行かなくなるところであるが、
当時はそんなものはなく、
お金を借りるには、質屋しかなかった。
しかし、質種になる金目(かねめ)の品物を持っているわけもなく、
唯一金目のものは、学校を卒業して就職した折に買ってもらった、
スイス製の腕時計くらいなもの。
初任給が手取りで1万2千円のころ
(これでアパートを借りて東京で一ヶ月生活が出来た)
この腕時計で1万円を借りることが出来た。
振り返ってバー、クラブ、キャバレー、の借金の山は、
総額50万円ほどになっていた。
たった二年間の遊び代だ。
質屋の1万円どころではない。
50万円の金額は、東京近郊で土地30坪付きの建売住宅が
60万円で購入できた時代の話である。
毎月の給料で払えば、飲まず食わずで50ヶ月分。
こんな男に縁談が降り積もったのは、
遊ぶお金ほしさに一所懸命働いた
おかげであるに違いない。
ボクは営業の仕事をしていたが、
一定の売り上げを上げると、
千円、二千円の報賞金が給料に加算された。
くわえて成績がよければ
人事考課でよい得点が得られ、
それがボーナス、昇給に反映された。
それを考えて一所懸命仕事をした姿だけを見て、
「良く仕事をする」の結果から縁談が来たに過ぎない。
会社はボーナスが多いことで有名であった。
夏冬合わせて、月給の15か月分ほどあった。
さて、縁談は一度も会ったことのない女性では、
一度会ってしまうと断るのに
理由がつけようもないと、会う前に全部断ってしまった。
しかし、結婚適齢期であるという認識だけは残って、
一生付き合える、自分にあった女性探しを始めた。
しかしだ、今までを振り返って、
女性との付き合う機会があったのは、
小学校の六年間、大学の四年間しかなかった。
小中学校では疎開やら、
戦後の混乱で異性との付き合いは出来なかった。
高等学校では、小中の勉強不足で、
学業が同期の生徒に追いつくよう、
寝る間も惜しんで勉強していたし、
大学では、サッカーに夢中で女性と会話すら交わしたことがない。
社会人になって女性と口を利いたのは、
キャバレー、クラブ、バーのホステス以外にはいない。
こんな中に苦学している女子大生もいたが、
この世界の女性を、
結婚相手として対象には出来なかった。
他には、僅かに会社の同じ課の女性二人、
下宿のばあちゃんと二児の母の若奥さんだけ。
交際範囲は以外に狭い。
そもそも、人の活動範囲は、そんなに広いものではない。
30年間住んだ東京で、隣近所の顔見知りだって、
そんなに多くない。
指折り数えて三~四十人あればよいほうである。
この中で世間話が出来る人は限られていて、
半分いればきっと多いほうに違いない。
ボクはかれこれ50年以上住んでいるが、世間話が出来る人は、
十指に満たない。
話がそれてしまったが、
この少ない知り合いの中から、
今のカミサンを選んだ。
結婚式をあげるまでには二年待ってほしいと頼んだ。
酒を飲んだツケを整理する必要があるからだ。
今になって思えば、降りそそいだ縁談の中から
選んでも同じであった。
就職するときも、尊敬する先生に勧められた会社を断って、
男子たるもの腕一本で生活してみせると意気込んでいたが、
時には人生の先輩の意見に従うのが正しい場合があるようだ、
と今では考えて居る。
人生は二通り体験することが出来ないから、
どちらが良くてどちらが失敗なのか、
判定は出来ない。
さて、その二年後には借金の山をすっかり整理して、
結婚資金も稼ぎ出して、挙式も滞りなく済ませ、
二人の子供に恵まれ、
今は孫達が、上は社会人、下は大学4年になり、
何不自由なく幸せな生活を送っている
ボクがここに居る。
hide-sanさんは、見かけによらず軟派だったんだ!😊
女遊びをされてもそれに溺れなかったのは偉い!
それにしても2年間待っていてくださったなんて、奥様はhide-sanさんに惹かれていたんだ。
>二人の子供に恵まれ、
今は孫達が、上は社会人、下は大学4年になり、
何不自由なく幸せな生活を送っている
何不自由なく幸せな生活ですか、そんな世界があるんだ!
軟派?って、どう言うことですか?
女性にモテない男ってこと・・・・
>そんな世界があるんだ!
ありますね・・・
どこから借りたのですか?
営業ですか~仕事ができる人
だったのですね。すごいです~
どこから借りたのですか?
全部ホステスがかぶって居ました。
hide-san様のようにバーやキャバレーには行かなかったので借金をすることはありませんでした。
でも、今振り返ると一生懸命に働いた良き時代でしたね。
遊ぶことと商売を繁盛させるには、もってこいの土地柄でっすね。
自分がしっかりして居れば、
とても済みやすい所です。
でも、僕らのバブルの時代は、超エリートサラリーマンが、新宿・渋谷のキャバレー、バー、クラブをはしごする、というのは普通だった気もします。
かくいう私も、早朝から夜11頃まで仕事をして、毎晩の様に渋谷のバーで一杯飲んでから帰宅していましたから、お酒にまつわる話失敗談は際限ありませんが・・・
従って給料の割に金は残りませんでしたが、さすがに借金をしたことはありませんでしたので、その点ではhide-sanさんは桁外れの豪傑ですね。
世間知らずの社会人3年生の頃の話ですから、無茶苦茶でした。
ただ周りには年配の有能な方が一緒でした。
言われるほどの豪傑ではありません。