新卒での就職は
趣味と実益を兼ねて、旅行会社を選びました。
今年はコロナの影響で、旅どころか外出も控えています。
政府は、観光業の救済として、GO-TO キャンペーンを打ち出しましたが
旅先で地元の方たちに歓迎されるのか心配で、二の足を踏んでいます。
そのような折、松尾芭蕉とともに東北への旅を始めました。
『奥の細道』です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/5b/3cd057dedcbb85ff8d493a251b7e94bc.jpg)
表紙の帯には
松尾芭蕉の紀行文『奥の細道』をなぞることで、あなたの自身の旅が始まります。
と、書かれています。
これは母からもらった本です。
母は「いつかやろう」と後回しにしているうちに、なぞる機会を逸したようです。
松尾芭蕉が奥州にむけて旅立ったのは、徳川5代将軍・綱吉公が「生類憐みのの令」を発令した翌年の1689年。
約160日間をかけて、東北地方を旅し、紀行文や俳句を記しました。
俳句を詠んだ50か所のうち、私も行ったことのある場所は
深川・千住・草加・日光・那須・仙台・塩釜神社・松島・瑞巌寺・平泉・月山・金沢・永平寺
その際、私も景色を見ながら芭蕉と同様に思いを馳せた
「夏草や 兵(つわもの)どもが夢の跡」
をはじめとして、誰もが暗唱できる句がたくさん作られました。
芭蕉が旅の始めに読んだ句
「行春(いくはる)や 鳥啼魚(とりなきうお)の目は泪(なみだ)」
の碑を、荒川区の素戔嗚神社の境内で見たことがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/3c/ed951195ff8fb8b16cdc9878d5b50e9d.png)
写真では、刻まれているはずの文字は全く読めませんが。
詩を作る人を、詩人と呼びますけれど
俳句を作る人を、なんと呼ぶか知りませんでした。
俳人(はいじん)と呼ぶので良いそうです。
その中でも、松尾芭蕉のように、古今に並びないすぐれた俳人は
『俳聖(はいせい)』 と呼ばれます。
広辞苑によれば
「俳聖」(はいせい)・・・すぐれた俳人。特に松尾芭蕉にいう。
と、ありますから、俳聖=松尾芭蕉 なのでしょう。
俳句において、聖人の域なのですね。
俳聖・松尾芭蕉と始めたばかりの旅ですが
「閑(しずか)さや 岩にしみ入る蝉の声」
の句が読まれた、立石寺がすでに気になっています。
コロナ収束後は、後回しにせずに訪ねるつもりです。
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