北花内大塚古墳から、新庄駅をめざして歩いていくと、途中、葛城市の役所があり、市役所の建物と新庄駅の間に、柿本神社という小さな神社がある。この神社、万葉歌人、柿本人麻呂とゆかりのある神社であるらしい。
そういえば、この辺りの地名も柿本だ。
石鳥居をくぐって社地に入ると、正面に拝殿がある。この神社は、柿本人麻呂を祭神としている。そのため、拝殿には、三十六歌仙の額が掲げられているのだが、残念なことにほとんど絵が消えかかってわからない。
この日の葛城の国の古墳めぐりもほぼ予定の行程を終了。旅の無事を感謝し、無事に家に帰れるようにお願いをしておいた。
拝殿の左手に、石碑が三つ並んでいる。
右から、柿本人麻呂の墓、歌塚、万葉歌碑である。
この柿本人麻呂の墓は、江戸時代大和郡山藩主であった松平信之によって建てられたものと伝わる。柿本神社のHPによると、この神社の周辺を持統天皇から領地として賜り、その後、石見国でなくなった人麻呂をこの地に改葬し、その傍らに社殿を建てたという言い伝えがあるのだそうだ。その言い伝えに基づいて、松平信之が墓を建立したのだろう。
柿本人麻呂と葛城の地とは全く無関係ではなさそうで、人麻呂の墓のすぐそばには自然石で造られた万葉歌碑が置かれている。字がかなり読みにくくなっているが、「春柳 葛城山に立つ雲の立ちても居ても妹をしぞ思ふ」と書かれているのだそうだ。この歌は、万葉集巻11、柿本人麻呂歌集の一首として収録されており、葛城山のことを歌った歌として知られている。(犬養孝氏の『万葉の旅(上)』でも「葛城山」という題で採録されている。)
柿本人麻呂歌集については、柿本人麻呂の歌だけではなく、人麻呂が参考にした歌なども集めたものと考えられており、すべてが人麻呂の歌という訳ではなさそうだ。
ちなみに歌意としては、春柳を鬘(かずら)くというではないが、その葛城山に立つ雲のように、立っても坐っても、ひっきりなしにあの子のことばかり思っているということなのだそうだ。ちなみに春柳は、葛城山の枕詞であるそうだ。
この柿本神社の隣には、神社の元神宮寺である影現寺というお寺がある。
境内に入ると、住職さんが親切にどうぞお詣りしてくださいとお声がけいただいた。
時間も時間だったので、ご遠慮させていただいた。
柿本神社から新庄駅はすぐである。以前、新庄駅の東すぐの所に梅乃宿という人気の酒蔵があったのだが、現在は神明神社古墳の近くに移転している。
【地図リンク】
https://goo.gl/maps/rNNk7jEb6PBXY7h88
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