山道を昇り降りしてイノラムキ古墳の横穴式石室の前に到着した。羨道部の天井石が崩れているため、一瞬、ギョッとするが、意外と全体的に安定している感じだ。
羨道の側壁の石が結構薄いので天井石の重さに耐えきれず崩れてしまったのかな。羨道部と考えられるところは石が崩れて横からも入れる。羨道部側壁は一段のようだ。
墳丘は、東西13m、南北18mの方墳、墳丘を区画するための列石がいくつか残っている。
石室は、横穴式石室で、無袖式である。石室の規模は、長さ6.35m、幅1.9m、高さ1.9mである。
奥壁や側壁は2段になっている。何となく石の目地があっているような感じである。
天井石は、3個使用している。
羨道部の側壁の石に小さな穴が開いている。
もしかしたら、扉のような施設があったのかもしれない。また、奥壁の手前にも、四角いくぼみがあった。
これは、いったい何のためのものであるのやら???
ちなみに石室の入り口は、八の字型に開いており、このような列石とつながるようである。
このイノラムキ古墳の築造年代は、石室の形から7世紀の中ごろと考えられている。しかし、わざわざこんな場所によく作ったなあというつくづく感心する。まあ、石材はこの周辺にゴロゴロはしているものの、古墳の前は平地にはなっているものの、すぐ崖になっているので、わざわざ整地をして、この古墳を造ったのであろう。この労力には本当に恐れ入る。
墳丘に登ってみると天井石が露出していた。
イノラムキ古墳という名称については、はっきりはわからないそうだ。祈るという行為と何らかの関係があるのかもしれない。生駒山は、いわゆる霊峰の一つであり、そういった信仰と関係がありそうな気もする。
そして、被葬者については、この辺りに勢力を持っていた日下氏との関係が想像できそうである。
この後、ここから別ルートで日下新池の方に下り、石切駅に戻ることにした。とにかく、山登りが大変、でも古墳を見つけたときの達成感は格別であった。機会があればまた(一人ではいやだが)行ってみたいと思う。
お疲れさまでした~。
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