今年は司馬遼太郎さんが亡くなって、20周年なんだそうだ。司馬さんは、1996年2月に亡くなった。満72歳であった。今回は、そういう意味もあってあとずれたということでもなく、休日出勤のあと、少し時間を持て余したので、自分に活を入れるために記念館を訪れることにしただけである。
司馬遼太郎記念館は、東大阪市下小阪にあり、司馬遼太郎さんが存命中の時から、この前をよく通って学校まで通っていたものである。ちなみに、初めて読んだ司馬作品は、たぶん「燃えよ剣」であったか、「新選組血風録」のいずれかで、高校を卒業して、間もない時期だったような記憶がある。それも30年以上も昔のことだ。
この道が通学路で、この時分は、司馬さんの家があることよりも、遅刻を逃れるために必死で走っていたはずである。
司馬遼太郎記念館は、2001年、自宅の隣接地に開設された。設計は、建築家の安藤忠雄氏で、コンクリートの打ちっぱなしの建物である。
この記念館は、何か展示品を見るというよりは、司馬文学を支えてきた圧倒的な数の蔵書を見ることで、司馬遼太郎という人物の凄さを感じることができる空間なのだと思う。司馬遼太郎は、「知の巨人」というイメージがあるが、それは、これだけの書物を読んで考えてきたということが背景にあると思う。僕もたまにここにきて、その遥か高く天にも通じるような壁面一杯の書架に飾られた本に圧倒されながらも、エネルギーを少し分けてもらうことにしている。
司馬さんは、作品を書くときにたくさんの資料を収集することでも知られ、巷間に良く知られた話としては、「龍馬がゆく」を書くとき、東京の神田町の古書店から坂本龍馬関係の本が消えたと言われた。そういった作品を支えた本が、ここに展示されている。
本をよく見ると、日本史関係のものから中国やアジア関係、文明論、自然科学関係など幅広くある。中には、僕が持っている本もあったりして、そういうのを膨大な書物の中に見つけ出すことができた時はちょっと嬉しかったりする。同じ知識を共有できたのだということかな。おそらく、僕よりももっと深いものを感じているとは思うが・・・。
ここには、2万冊の蔵書が飾られている。2万冊の本を読もうとすると、年間200冊を100年読み続けないといけないわけで、隅から隅まで目を通していないとしても、恐るべき読書量である。司馬さんが、残してきた作品を考える時、これだけの読書量に裏打ちされたものだからこそ、僕らの心を捉えて離さないのかもしれない。
記念館の中のホールでは、司馬遼太郎についての映像が見れる。「司馬遼太郎の作品は、20歳への自分に対する手紙である。」とナレーションが言う。20歳の時戦争に行き、敗戦を経験した。そして、こんなバカげたことはない。どうしてこんな国家になってしまったのかをずっと考えてきたのだという。果たして21世紀に生きる僕らは、このメッセージをきちんと受け止めているのだろうか?最近の政治状況を鑑みた時頭の中に疑問符が飛び交っている。
記念館の展示室で、司馬さんの「二十一世紀に生きる生きる君たちへ」というエッセイを読むことができる。東大阪市では、小学校か中学校の卒業式にこの本を配ってくれる。残念ながら、21世紀を迎えることなくなくなってしまったが、これらの新しい時代へ生きる者たちへの熱いエールである。
そして、展示室の奥の天井には、坂本龍馬の姿に見えるシミがある。黒くなった部分が、確かにそう見える。不思議だ。
記念館には、司馬さんの自宅もあり、庭から書斎を見ることができる。
なくなった時のままだという。「街道を行く・濃尾参州記」を執筆中だったという。
庭は、司馬遼太郎が好きであった雑木林のイメージで作られている。
記念館の裏庭には、花供養碑が建てられている。
ミュージアムショップで文庫本を一冊購入し、せっかくなので館のスタンプを本に押してみた。自分だけの本だな。
ここで得たエネルギーを糧に明日からの仕事に頑張りましょう!
ちなみに、以前もこのブログで司馬遼太郎記念館について書いてます。結構、内容が重なってますな。(笑)「司馬遼太郎記念館に行った。」
司馬遼太郎記念館は、東大阪市下小阪にあり、司馬遼太郎さんが存命中の時から、この前をよく通って学校まで通っていたものである。ちなみに、初めて読んだ司馬作品は、たぶん「燃えよ剣」であったか、「新選組血風録」のいずれかで、高校を卒業して、間もない時期だったような記憶がある。それも30年以上も昔のことだ。
この道が通学路で、この時分は、司馬さんの家があることよりも、遅刻を逃れるために必死で走っていたはずである。
司馬遼太郎記念館は、2001年、自宅の隣接地に開設された。設計は、建築家の安藤忠雄氏で、コンクリートの打ちっぱなしの建物である。
この記念館は、何か展示品を見るというよりは、司馬文学を支えてきた圧倒的な数の蔵書を見ることで、司馬遼太郎という人物の凄さを感じることができる空間なのだと思う。司馬遼太郎は、「知の巨人」というイメージがあるが、それは、これだけの書物を読んで考えてきたということが背景にあると思う。僕もたまにここにきて、その遥か高く天にも通じるような壁面一杯の書架に飾られた本に圧倒されながらも、エネルギーを少し分けてもらうことにしている。
司馬さんは、作品を書くときにたくさんの資料を収集することでも知られ、巷間に良く知られた話としては、「龍馬がゆく」を書くとき、東京の神田町の古書店から坂本龍馬関係の本が消えたと言われた。そういった作品を支えた本が、ここに展示されている。
本をよく見ると、日本史関係のものから中国やアジア関係、文明論、自然科学関係など幅広くある。中には、僕が持っている本もあったりして、そういうのを膨大な書物の中に見つけ出すことができた時はちょっと嬉しかったりする。同じ知識を共有できたのだということかな。おそらく、僕よりももっと深いものを感じているとは思うが・・・。
ここには、2万冊の蔵書が飾られている。2万冊の本を読もうとすると、年間200冊を100年読み続けないといけないわけで、隅から隅まで目を通していないとしても、恐るべき読書量である。司馬さんが、残してきた作品を考える時、これだけの読書量に裏打ちされたものだからこそ、僕らの心を捉えて離さないのかもしれない。
記念館の中のホールでは、司馬遼太郎についての映像が見れる。「司馬遼太郎の作品は、20歳への自分に対する手紙である。」とナレーションが言う。20歳の時戦争に行き、敗戦を経験した。そして、こんなバカげたことはない。どうしてこんな国家になってしまったのかをずっと考えてきたのだという。果たして21世紀に生きる僕らは、このメッセージをきちんと受け止めているのだろうか?最近の政治状況を鑑みた時頭の中に疑問符が飛び交っている。
記念館の展示室で、司馬さんの「二十一世紀に生きる生きる君たちへ」というエッセイを読むことができる。東大阪市では、小学校か中学校の卒業式にこの本を配ってくれる。残念ながら、21世紀を迎えることなくなくなってしまったが、これらの新しい時代へ生きる者たちへの熱いエールである。
そして、展示室の奥の天井には、坂本龍馬の姿に見えるシミがある。黒くなった部分が、確かにそう見える。不思議だ。
記念館には、司馬さんの自宅もあり、庭から書斎を見ることができる。
なくなった時のままだという。「街道を行く・濃尾参州記」を執筆中だったという。
庭は、司馬遼太郎が好きであった雑木林のイメージで作られている。
記念館の裏庭には、花供養碑が建てられている。
ミュージアムショップで文庫本を一冊購入し、せっかくなので館のスタンプを本に押してみた。自分だけの本だな。
ここで得たエネルギーを糧に明日からの仕事に頑張りましょう!
ちなみに、以前もこのブログで司馬遼太郎記念館について書いてます。結構、内容が重なってますな。(笑)「司馬遼太郎記念館に行った。」
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