漫才作家 秋田實
富岡多恵子著 平凡社ライブラリー
私の子どものころ、土曜日、小学校が終わった後、夕食の時間までずっと吉本新喜劇やら漫才やらをテレビで見ることが当たり前のようになっていた。その所為か今に至るまで、お笑い好き、演芸好きな性向を保っている。
本書は、上方漫才を確立した陰の立役者として活躍した秋田實についての評伝である。しかし生涯全体というわけではなく、時期をかなり絞り込んで叙述してある。
秋田實となる前、秋田が東大に入り、労働運動などの非合法活動をしていた頃。
横山エンタツと出会い、漫才作者として、漫才の地位を確立の尽力を尽くしたとき。
そして戦後である。
秋田が労働運動を経験したことにより、庶民の生活が見えたのだろうし、そこに生まれたばかりの漫才が活躍する場を見出したのではないか。
横山エンタツとの出会いがなければ今の漫才の隆盛は築けたかどうか。それまでの漫才は、砂川捨丸などに代表されるように楽器などを持ちながら話をするもので昔から伝えられる漫才の元になった仁輪加、万歳といった芸能の域を出ていない。実際、語りを聞いていてもゆったりとした口調で、祝い事を述べているような口調である。そうしたものから急にモダンな2人の掛け合いによるしゃべくり漫才が現れたのである。
横山エンタツ自身が旧制中学校を出ているインテリである。従来の万歳に対して新しい形を模索していたところ東大中退の超インテリ秋田と出会うことにより、新しい漫才が始まることとなった。楽器とかを用いない2人の掛け合いだけのいわゆる「しゃべくり漫才」が誕生したのである。2人の目指した笑いは「無邪気な笑い」「家族で楽しめる笑い」であった。それは当時新しく台頭してきたサラリーマンなどの中産階級の好みに合っただろうし、また話だけであればラジオで聞いても楽しむことができる。
秋田は、こういった笑いを主張することにより、エンタツらに理論的な裏づけを与えたのではないか。いわば東大中退のインテリさんが言うてはるんやからという感じではなかったか?
そして漫才という芸に台本がいるということを、初めて世間に示したことである。そういえば昔NHKなどで漫才を見ると漫才師と共に漫才作者の名前を紹介していたような気がする。今は???
秋田と横山エンタツが出会うことで万歳は漫才になった。新しい大衆芸能が誕生したのである。ただ、横山エンタツ・花菱アチャコのコンビは非常に短かった。しかし漫才は大衆芸能の中心として、一気に上昇気流に乗っていくことになった。
戦後は秋田自身は上方芸能界の重鎮として活動する。若手育成なども行い、単なる漫才作者の域を超えていく活動していった。
本書の最後にやすしきよしの漫才の台本が掲載されている。「男の中の男」という内容。やすしきよしの漫才の中でも私でも覚えている名作であると思う。
今、お笑い界は第3次お笑いブームだそうだ。でも漫才といった芸を見たとき果たして隆盛しているのかどうか?
会話の中に笑いがあったのだが、今、話術といったものはなくただネタを切り売りしているだけな様な気がする。TVも吉本興業も漫才という芸見せようという気もないのだろう。もっと手っ取り早く視聴率を稼げればいいという感じが見える。そこにあるのは目新しい芸人をとっかえひっかえして消費していくだけである。
笑い自身も毒のあるもの、弱者を笑いの対象にしたものと秋田らが目指した笑いと違ったものになっている。
果たしていいのだろうか。ブームが終わった後は、使い捨てられた芸人の屍が累々と積み重なるおぞましい風景が残っているだけのような気がする。
考えてみれば土曜日の昼は夢のような時間であったとふと思ったりする。もうそんな時代は戻ってこないんだろうなあ。
横山エンタツ・花菱アチャコややすしきよしなどの漫才は上方演芸資料館(ワッハ上方)で聞くことができます。
上方演芸資料館については、下記のブログでも紹介してます。
http://blog.goo.ne.jp/hikamino/e/b5f0e1d9cfd8055a02b74881d3e96a33
富岡多恵子著 平凡社ライブラリー
私の子どものころ、土曜日、小学校が終わった後、夕食の時間までずっと吉本新喜劇やら漫才やらをテレビで見ることが当たり前のようになっていた。その所為か今に至るまで、お笑い好き、演芸好きな性向を保っている。
本書は、上方漫才を確立した陰の立役者として活躍した秋田實についての評伝である。しかし生涯全体というわけではなく、時期をかなり絞り込んで叙述してある。
秋田實となる前、秋田が東大に入り、労働運動などの非合法活動をしていた頃。
横山エンタツと出会い、漫才作者として、漫才の地位を確立の尽力を尽くしたとき。
そして戦後である。
秋田が労働運動を経験したことにより、庶民の生活が見えたのだろうし、そこに生まれたばかりの漫才が活躍する場を見出したのではないか。
横山エンタツとの出会いがなければ今の漫才の隆盛は築けたかどうか。それまでの漫才は、砂川捨丸などに代表されるように楽器などを持ちながら話をするもので昔から伝えられる漫才の元になった仁輪加、万歳といった芸能の域を出ていない。実際、語りを聞いていてもゆったりとした口調で、祝い事を述べているような口調である。そうしたものから急にモダンな2人の掛け合いによるしゃべくり漫才が現れたのである。
横山エンタツ自身が旧制中学校を出ているインテリである。従来の万歳に対して新しい形を模索していたところ東大中退の超インテリ秋田と出会うことにより、新しい漫才が始まることとなった。楽器とかを用いない2人の掛け合いだけのいわゆる「しゃべくり漫才」が誕生したのである。2人の目指した笑いは「無邪気な笑い」「家族で楽しめる笑い」であった。それは当時新しく台頭してきたサラリーマンなどの中産階級の好みに合っただろうし、また話だけであればラジオで聞いても楽しむことができる。
秋田は、こういった笑いを主張することにより、エンタツらに理論的な裏づけを与えたのではないか。いわば東大中退のインテリさんが言うてはるんやからという感じではなかったか?
そして漫才という芸に台本がいるということを、初めて世間に示したことである。そういえば昔NHKなどで漫才を見ると漫才師と共に漫才作者の名前を紹介していたような気がする。今は???
秋田と横山エンタツが出会うことで万歳は漫才になった。新しい大衆芸能が誕生したのである。ただ、横山エンタツ・花菱アチャコのコンビは非常に短かった。しかし漫才は大衆芸能の中心として、一気に上昇気流に乗っていくことになった。
戦後は秋田自身は上方芸能界の重鎮として活動する。若手育成なども行い、単なる漫才作者の域を超えていく活動していった。
本書の最後にやすしきよしの漫才の台本が掲載されている。「男の中の男」という内容。やすしきよしの漫才の中でも私でも覚えている名作であると思う。
今、お笑い界は第3次お笑いブームだそうだ。でも漫才といった芸を見たとき果たして隆盛しているのかどうか?
会話の中に笑いがあったのだが、今、話術といったものはなくただネタを切り売りしているだけな様な気がする。TVも吉本興業も漫才という芸見せようという気もないのだろう。もっと手っ取り早く視聴率を稼げればいいという感じが見える。そこにあるのは目新しい芸人をとっかえひっかえして消費していくだけである。
笑い自身も毒のあるもの、弱者を笑いの対象にしたものと秋田らが目指した笑いと違ったものになっている。
果たしていいのだろうか。ブームが終わった後は、使い捨てられた芸人の屍が累々と積み重なるおぞましい風景が残っているだけのような気がする。
考えてみれば土曜日の昼は夢のような時間であったとふと思ったりする。もうそんな時代は戻ってこないんだろうなあ。
横山エンタツ・花菱アチャコややすしきよしなどの漫才は上方演芸資料館(ワッハ上方)で聞くことができます。
上方演芸資料館については、下記のブログでも紹介してます。
http://blog.goo.ne.jp/hikamino/e/b5f0e1d9cfd8055a02b74881d3e96a33
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