境目谷古墳から住宅地の中を歩いていくと、JR奈良線に差し掛かろうかというところに、一体が藪のようになった場所があった。周囲を鉄条網で囲われていて立ち入ることができないが、どうも前方後円墳らしい墳丘が見える。
奈良県の遺跡地図によると、全長56mの前方後円墳であり、ウワナベ古墳のい号陪冢として宮内庁が管理をしている。ただ、ウワナベ古墳からは、少し距離があり、間には現在JR奈良線が走っている。確証はないが、ちょっとウワナベ古墳の陪冢と考えるには、難しいような気がする。
写真で見るとマウントが二つあり、北向きの前方後円墳のように見えた。
ここから、さらに西へ向かい、JR奈良線を越えて、国道24号線を渡るとウワナベ古墳に出る。ちょうど奈良線を渡るあたりが、ウワナベ古墳の全景が撮れるスポットのような気がする。(見出しの写真がそうです。)
ちなみに、国道24号線は、ウワナベ古墳の周濠の外堤の上に造られている。その建設工事の時には、発掘調査が行われており、外提の上に、ずらりと並ぶ円筒埴輪列が検出されている。また、現在の周濠の外にさらに周濠らしきものが見つかり、ウワナベ古墳が二重濠であった可能性も示唆されている。
このような悲劇が起こった原因は、陵墓参考地として宮内庁が管理しているのは、墳丘だけであり、周濠や外堤は民有地ということだったようだ。(まあ、そのお陰で、発掘調査が行われ、ウワナベ古墳に関する資料が得られたのであるが・・・。)
ウワナベ古墳は、全長約255mに及ぶ巨大な前方後円墳である。大きな周濠に浮かぶその姿は、奈良地方の古墳の白眉であると思っている。緑豊かな墳丘と水量の豊かな周濠が、見事に調和している。前方部がすらっと長いことがさらにその美しさを増長させている。
墳丘について、もう少し書くと、後円部径約130m、前方部幅約130m、前方部がかなり長い。三段築造で、西側に造り出しがある。前方部が長い姿は、百舌鳥古墳群の大山古墳との類似をが語られる場合もある。築造は5世紀の中頃だが、大山古墳よりは古いのではないだろうか。
写真で見ると、墳丘の裾が周濠の水でかなり浸食されているのがわかる。
西側から見た墳丘。古墳のフォルムがきれいだ。ウワナベ古墳は、古墳の周囲をぐるっと回ることができる。ただ、後円部に行くしたがって道が狭くなり、ちょっと濠に落ちたらどうしようとドキドキする。
墳丘の緑が、水に映る。いいなあ。江戸時代、近くの法華寺の尼僧が、この古墳の周濠で舟遊びしたという話もさもありなんという気がした。
ウワナベ古墳については、昨年度、宮内庁、奈良県、奈良市合同で発掘調査が行われており、新しい知見が得られている。また、発掘調査の現地説明会については、また、のちに触れたいと思う。
この後は、コナベ古墳、ヒシアゲ古墳を見て回ることにした。
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