平成28年6月11日(土)
昨年度末から何度となく訪れている平城京の発掘調査である。特に積水化学工場跡地の発掘調査については、3回目の現地説明会ということになります。今回は、東西の2か所に調査区を設定し、朱雀門前における朱雀大路西側側溝と二条大路の南側側溝並びに西一坊坊間東小路の位置と規模を明らかにするために行われたものである。
この日は、6月も中頃に差し掛かろうかという時期にもかかわらず真夏のような日差し。ほんとに暑かった。
二条通から朱雀大路の横にある通路から調査区には入ることになる。途中で説明パンフを受け取り、一路調査区へ!調査区にはすでに多くの人が集まっており、調査員の説明を聞きいっていた。
まずは解説の順番に従い、東側の調査区から記述していこう。
【東側調査区】
東側調査区では、朱雀大路西側側溝と二条大路南側側溝が検出された。
手前が二条大路、奥の調査員が立っている辺りが朱雀大路である。朱雀大路と二条大路が交差しているところについては、朱雀大路の西側側溝が二条大路を横断していることがわかった。おそらく当時はこの西側側溝の上を蓋をしていたか、あるいは橋のようなものがかけられていたのではないかとのこと。
二条大路の側溝については、素掘りの溝であり、朱雀大路のように杭などで護岸している様子は見られていない。南側側溝の4.0m、深さは0.7mとなっている
逆に朱雀大路については、今年の3月に発掘された朱雀大路の発掘調査と同様に、朱雀大路の側溝には護岸用の杭列が検出されている。この杭列は、3月の時の調査区と接続する形になるのであろう。側溝の最大幅は5.5m、深さは1.3mある。
【西側調査区】
西側調査区からは、二条大路南側側溝と西一坊坊間東小路西側溝と二条大路南側側溝に接続をする南北溝が発見されている。西側調査区については、昨年度末の橿原考古学研究所が行った調査の調査区の真北にあたる。これまでの3回の調査で右京三条一坊の四隅が検出されたことになる。
二条大路南側の側溝が検出されている。溝の中に写真のように木製品が見つかっている。何のためのものかは現時点ではわかっていないらしい。護岸施設や橋げたなどの痕跡は見つかっていない。
二条大路を横断する南北溝が検出されている。この溝については、二条大路の南が側溝に流れ込むような形になっており、平城宮の方から流れ込んでいる排水設備であったと考えられている。南北溝については、南北約8m検出され、幅約3.8m、深さ8mあった。
西一坊坊間東小路西側側溝を南北6mに及び検出。溝は素掘りの溝で、幅1,6m、深さ0.5mということで、二条大路の溝などと比較するとかなり小さいものである。
二条大路の接続点では、写真のように多くの瓦が見つかっている。おそらく三条一坊八坪については、築地塀が続いていたと考えられている。
今回の発掘により、これまでの発掘調査の成果と併せて考えると朱雀門前の条坊道路や側溝の配置は、朱雀大路を中心に左右対称に計画されていることが判明した。いくつかの発掘調査の成果とつなげていって少しづつ昔の人の暮らしがみえてくるということなんだなあ。
参考にこれまでの平城京の朱雀大路近辺の発掘調査について、リンクしときます。
■平城京右京三条一坊一・二・七・八坪 現地説明会
■平城京左京三条二坊一四坪 現地説明会
昨年度末から何度となく訪れている平城京の発掘調査である。特に積水化学工場跡地の発掘調査については、3回目の現地説明会ということになります。今回は、東西の2か所に調査区を設定し、朱雀門前における朱雀大路西側側溝と二条大路の南側側溝並びに西一坊坊間東小路の位置と規模を明らかにするために行われたものである。
この日は、6月も中頃に差し掛かろうかという時期にもかかわらず真夏のような日差し。ほんとに暑かった。
二条通から朱雀大路の横にある通路から調査区には入ることになる。途中で説明パンフを受け取り、一路調査区へ!調査区にはすでに多くの人が集まっており、調査員の説明を聞きいっていた。
まずは解説の順番に従い、東側の調査区から記述していこう。
【東側調査区】
東側調査区では、朱雀大路西側側溝と二条大路南側側溝が検出された。
手前が二条大路、奥の調査員が立っている辺りが朱雀大路である。朱雀大路と二条大路が交差しているところについては、朱雀大路の西側側溝が二条大路を横断していることがわかった。おそらく当時はこの西側側溝の上を蓋をしていたか、あるいは橋のようなものがかけられていたのではないかとのこと。
二条大路の側溝については、素掘りの溝であり、朱雀大路のように杭などで護岸している様子は見られていない。南側側溝の4.0m、深さは0.7mとなっている
逆に朱雀大路については、今年の3月に発掘された朱雀大路の発掘調査と同様に、朱雀大路の側溝には護岸用の杭列が検出されている。この杭列は、3月の時の調査区と接続する形になるのであろう。側溝の最大幅は5.5m、深さは1.3mある。
【西側調査区】
西側調査区からは、二条大路南側側溝と西一坊坊間東小路西側溝と二条大路南側側溝に接続をする南北溝が発見されている。西側調査区については、昨年度末の橿原考古学研究所が行った調査の調査区の真北にあたる。これまでの3回の調査で右京三条一坊の四隅が検出されたことになる。
二条大路南側の側溝が検出されている。溝の中に写真のように木製品が見つかっている。何のためのものかは現時点ではわかっていないらしい。護岸施設や橋げたなどの痕跡は見つかっていない。
二条大路を横断する南北溝が検出されている。この溝については、二条大路の南が側溝に流れ込むような形になっており、平城宮の方から流れ込んでいる排水設備であったと考えられている。南北溝については、南北約8m検出され、幅約3.8m、深さ8mあった。
西一坊坊間東小路西側側溝を南北6mに及び検出。溝は素掘りの溝で、幅1,6m、深さ0.5mということで、二条大路の溝などと比較するとかなり小さいものである。
二条大路の接続点では、写真のように多くの瓦が見つかっている。おそらく三条一坊八坪については、築地塀が続いていたと考えられている。
今回の発掘により、これまでの発掘調査の成果と併せて考えると朱雀門前の条坊道路や側溝の配置は、朱雀大路を中心に左右対称に計画されていることが判明した。いくつかの発掘調査の成果とつなげていって少しづつ昔の人の暮らしがみえてくるということなんだなあ。
参考にこれまでの平城京の朱雀大路近辺の発掘調査について、リンクしときます。
■平城京右京三条一坊一・二・七・八坪 現地説明会
■平城京左京三条二坊一四坪 現地説明会
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