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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

巨大古墳の世紀

2005-05-13 06:54:37 | 読書日記
 巨大古墳の世紀
 森 浩一著 岩波新書
日本全国(北海道・沖縄を除く)が古墳造りに熱中した古墳時代、特に大仙古墳に代表される巨大古墳が作られた時期に焦点を絞って叙述している。
 特に最近、宮内庁の史料でも明らかになった天皇陵の指定の問題点も指摘している。天皇陵の指定については、かねてから神武天皇陵造営など疑念とされるものがあったがそれ以外にも幕末の時点でかなり手を加えて作り変えているものがあるという。本書では推古天皇陵、仁明天皇陵などを上げている。その他でも雄略天皇陵などは円墳でどう考えても6世紀の大王陵とは思えないし、継体天皇などは、明らかに5世紀の古墳で、継体天皇のいたと思われる時代とはかけ離れていると考えられている。古代の天皇陵の指定では確実なものは天智天皇陵、天武・持統天皇陵の2つしかないといわれている。
 そして、仁徳天皇陵と伝えられている大仙古墳もほぼ間違いないといわれてたがどうも違うようだ。考古学的に考えると大仙古墳は今、考えられているより比較的遅い時代のものと考えられるらしい。(そういえば堺市博物館では、誉田山古墳(伝応神陵)-百舌鳥陵山古墳(伝履中陵)-大仙古墳(伝仁徳陵)の順番に築造されたと記述してあったと思う。)そうなってくると倭の五王と巨大古墳とを無批判に結びつけて考えることに無理があるということになる。そして大仙古墳の三重目の堀は、どうやら明治時代になって作られたものであるらしく、また同時代に盗掘を受けて、それがアメリカのボストン博物館に所蔵されているのだという。
 森氏は巨大古墳を築造した勢力と治水の関係に注目している。河内地方は今でこそ平野部が続いている地域であるが、古墳時代は、河内湖というものがあり、大和川も今のように1本で大阪湾に注ぎ込んでいるわけではなく、かなり氾濫しやすい川であったようだ。ちなみに八尾という地名は、大和川から分かれた川が八つの尾のようになっていることから、八尾という地名の語源であるらしい。古市大溝というものがあり、今も残っているという。
 最後に本書でも、騎馬民族征服説についてかなり好意的に見ている。特に後期古墳から馬具が爆発的に出土することから、何らかのかかわりを見ているが、果たしてそうだろうか?僕自身は、騎馬民族征服説は眉唾に見てます。史料的な裏づけもないし、だいいち騎馬民族って何って全くはっきりしていない。かつて江上氏と佐原氏の騎馬民族をめぐる対論集が出版されたのを読んだがいまいちすっきりしなかった印象がある。
 
 本書は、現在は講談社学術文庫より「巨大古墳」と改題されて出版されています。
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