神廟拝所と総社拝殿の間にけまりの庭と呼ばれる広い空間がある。大化の改新が始まる前、藤原鎌足(当時は中臣鎌足)と中大兄皇子とは、この地で行われた蹴鞠の席で知り合ったという故事にちなんでいる。
談山神社は、藤原氏の始祖である藤原鎌足を祀っているだけあって、藤原鎌足と中大兄皇子が大きな役割を果たした大化の改新にまつわるエピソードの舞台となっている。
そういえば、あの建物は総社拝殿の表側だな。写していないと思ってたな。(笑)
この反対側にあるのが、神廟拝所。もともとは、法楽寺の講堂であったものを、明治時代になって神社の拝殿として改めたもの。建物は、江戸時代、寛文年間の再建である。
ここの本尊であった阿弥陀三尊像は、廃仏毀釈後、安倍文珠院に移されたとのこと。このけまりの庭から見る神廟拝所と十三重塔の眺めが素晴らしい。たぶん、近鉄などのポスターによく使われている。絵になる場所である。
きっと、桜や紅葉の季節は美しいのだろうなあ。最近は、紅葉の時期にはライトアップもしているのだそうだ。
ここから、東へ、元来た階段を横切って、境内の東側へ。
拝殿の裾はこんな感じになってます。
これが、東宝庫、元和5(1619)年に建てられたもの。ここには、談山神社の宝物が収蔵されていた。東というからには、西もあるんだろうという訳で、あります西宝庫。
西宝庫は、拝殿を出た、すぐのところにあった。
話を戻して、東宝庫の前を通っていくと、恋神社と呼ばれる摂社、東殿がある。途中に、こういうのを見つけたが、これも磐座なのだろうか?
恋神社こと摂社、東殿の祭神は鏡女王である。藤原鎌足の妻となったことから、ここに祭神とされたのであろう。藤原鎌足と鏡女王といえば、万葉集にお互いが詠んだ相聞歌が収録されている。
ちなみに鏡女王は、これも万葉歌人で知られる額田王の姉であるとも言われている。井上靖氏の「額田女王」はこの説を採っている。
さらに、桜井市の舒明天皇陵のそばに鏡女王墓が伝わっているのだが、何故か宮内庁ではなく、談山神社となっている。
これは江戸時代に談山神社の本殿を移築したもの。これも重要文化財である。
東殿の正面のところに、鏡女王像が置かれている。
娘たちのために、作法通り参拝しておいた。
それから、こういうことをしておいた。楼門のわきにある社務所で、厄割り玉というのを売っていたので、このころは、あまり良いことがなかったので、この機会に、陰から陽に気の流れを変えようということで購入、恋神社のそばにある、厄割り石に落として割れると厄が落とせるらしい。
この日は、見事に二つとも割れた。ラッキー✌
しかし、考えてみりゃ、古代のはるかな時代の遺物から、現代までいろいろなものが残っている。すごいところである。しかも風光明媚。はるばると登ってきた甲斐があったというもの。
この後は、明日香の方に下っていきたいと思う。
ここから出て、明日香へ向かおう。レッツ・ゴーだ。(古いなあ。)
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