国営飛鳥歴史公園から野口王墓古墳(天武・持統天皇陵)を通っていく道から、レンタサイクルの貸出場のあたりから、脇にそれる道を東に入っていくと、大きなお地蔵さんの石像がある。
この道は、南側に田んぼが広がる奈良らしい景色の広がる道であるが、少し東へ行くと売店の脇に亀石と呼ばれる巨石がある。亀石は、飛鳥の三大謎の石造物の一つで、残りは「益田の岩船」と「酒船石」である。
しかし、田んぼの中にポツンと亀の顔を彫った石が置かれているのかは謎である。よく語られる言い伝えでは、この石はもともと東を向いていたのだが、世の乱れとともに回転し、現在は西南を向いている。さらに世が乱れると西面し、この世界は、泥に海の中に沈んでしまうというものだ。
その他では、川原寺の寺域の西南隅を表している、条理の境界を示している、古道の交差点を示す牓示石であるなどの説がある。
わりと興味がわくのが、大阪の羽曳野市にある野中寺の礎石を例に挙げながら、寺院の礎石に使われる石が未完成で放置されたのではないかというものである。かつて、野中寺に行ったことがあるのだが、確かに、その子置かれている礎石には亀の顔らしきものが彫られている。(『中の太子「野中寺」』参照)
ただ、礎石に使うとするとかなり上面を削っていかないといけないような気がする。ただ、亀が世界を背負うという仏教的宇宙観と関連も気になるところではある。
また、この亀石自体、未完成品ではなく、加工の痕跡が石全体に及んでいることから完成品であるという説もある。
この亀石については、定説と言われるものはまだなく、諸説紛々としているようである。そういえば、昔、古代人が見た宇宙船を模したものであるというのもあったなあ。まあ、いろいろな想像力を掻き立てるところが魅力なんだろう。
亀石の置かれている場所、昔に比べるとずいぶんと狭くなったような気がするのは気のせいかな。亀石は、川原寺の飛び地ということで国の史跡となっている。ということは、川原寺の西南隅を表しているという考えに則ったものなのかな。
最後に国立飛鳥資料館にも亀石のレプリカが置かれている。
亀石も酒船石同様、何度も何度も見ているためか、あまり写真を撮っていないのだなあ。(笑)
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