JR奈良駅の東側にある駅前広場の接して南北に通じている道路を南へ20分ほど歩き、左手にあるUR桂木団地を入ったところに、ポケットパークがあり、その中に柵に囲まれた場所がある。これが野神古墳である。
古墳と言っても、墳丘の上に小さな祠があるのみなので、古墳と言われないとたぶん古墳とはわからない様子である。
一応、前方後円墳と言われているが定かではない。現在は後世の削平をかなり受けており、後円部のみが残っている状態である。
墳丘の上には、野神古墳について、地域の自治会かな、京終高地総代による野神古墳の来歴が記されている。これによると、明治9年の発掘時には、直刀や鏡、玉類や石棺などが見つかっている様子である。ただし、これらの出土品については所在が分からなくなっているらしい。
別の場所にも奈良市教育委員会が作成した説明板もある。ただ、この時は、ぐるりと柵が囲まれているので中に入れないものと決め込んで、外からの観察だけにとどめたのだが、よくよく調べてみると中に入れたらしい。
中には、竪穴石槨が一部残っており、その中には阿蘇溶結凝灰岩(ピンク石ってやつです。)にて作られた刳抜式家形石棺が残っていて見ることが出来るらしい。何ともったいない事をしたものか。いくらかでも事前に下調べしておけばこんなミスをすることはなかったのに、後悔することしきりである。
遠目に、かまぼこのような天井石を確認することはできた。
その下に石棺があったのかあ。
天井石の下のコンクリートの施設の中に石槨の一部と石棺が保存されているようだ。
しかし、阿蘇溶結凝灰岩で製作した石棺を使っている古墳は少なく、桜井市にある兜塚古墳の石棺が、この古墳と同じ古式の家形石棺を使用していると言われている。
天井石も3石あり、縄掛け突起が見られるという話である。野神古墳については、6世紀の初めごろの築造と考えられており、被葬者としては、春日氏などが想定されている。
この後、来た道を少し戻って、西に入ると大安寺の少し大きな墓地がある。
ようく観察してみると、どことなく地面が盛り上がっているのがわかる。これが大安寺墓山古墳と呼ばれる古墳で、5世紀の中頃に築造された全長80mの前方後円墳である。航空写真を見てもわかるが周濠と外堤の一部が発掘調査が行われており、円筒埴輪や蓋形埴輪などは出土している。
ここのように、古墳の墳丘上に現代のお墓が立っている例は、天理市の燈籠山古墳や柳本墓山古墳などがあり、結構奈良県あるあるとも言えそうである。
墓地の中に入ってみても、古墳の痕跡を残すものは存在はしていない。
この後は、杉山古墳や大安寺をめぐってみることとしよう。
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