休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

葛城の国の古墳めぐり⑦ ~二塚古墳~

2023-08-12 23:37:25 | 古墳紀行

 道の駅「かつらぎ」から県道254号線寺口北花内線を通って、二塚古墳に向かうのだが、この道が、結構交通量がある割に歩道が狭かったり、なかったりするので、少し危険な感じだった。

 葛城市の学校給食センターの前を通る道を入っていく。道は徐々に登っていく感じになる。田園地帯を通って寺口の集落に入っていく。

 

 寺口の集落に入ると、写真の様な案内板が何カ所かあるので、ちょっと登り道がきついが、古墳の所在に迷う事はなく、難なく古墳に到着する。目の前には、桃の花だろうか、ピンク色の花が咲いていた。

 

 二塚古墳は、前方部を北に向けた全長60mの前方後円墳である。後円部径36m、前方部幅41m、墳丘の高さはともに10mを測り、腰高の古墳である。

 この古墳の珍しいのは、後円部、前方部、造り出し部の3ヶ所にそれぞれ形の違う横穴式石室があることである。

 まず初めに後円部にある石室を見学する。

 

 残念なことに柵に鍵かかかっていて、中に入ることはできない。柵の隙間からカメラを差し込んで写真を撮る。

 

 羨道からして、3、4段の石を積み上げて作っており、人が立って中に入れそうな感じである。

 

 両袖式の横穴式石室で、玄室の天井はかなり高さがありそうである。石も表面は平らに加工されているようである。

 ちなみに石室全体の長さは、全長16.4m、玄室の長さは6.7m、幅2.98m、高さ4mとなっている。柵の外からでも、その石室の巨大さを十分感じることができる。

 

 羨道部は、長さ9.68m、幅1.7m、高さ1.5mである。古墳の基底部と石室の基底部が同じ高さの古墳である。

 次に、造り出し部だが、古墳の西側に回り込んでいくと、墳丘の裾の部分に笹に覆われた石室が見える。

 

 造り出し部の石室は入ることができる。羨道部の位置が高く、玄室の方が低くなっている。

 

 造り出し部の石室は、長さ7.82mで、無袖式の横穴式石室であるが、先ほども述べたように羨道が玄室の床面よりも高くなっており、「竪穴系横穴式石室」と呼ばれている。

 

 この石室は、未盗掘であったようで、発掘調査では、180個あまりの須恵器や土師器、鉄製の馬具、鉄刀、刀子などが見つかっている。副葬品用の石室と考えられそうだが、遺物の間に空間があることから、木棺が一つ置かれていたのではないかと言われている。

 

 そして、最後に前方部の横穴式石室である。はじめ、どのにあるのか全然わからなかったのだが、よくよく墳丘を眺めてみると、一か所、雑草がなぎ倒されて、道のようになっているところがあった。

 

 この道を登っていくと、目の前に横穴式石室がある。ここも柵があって、中に入れない。

 

 とは言っても何とか写真に収めたいという事でカメラを突っ込んで石室内の写真を撮ってみた。

 

 片袖式の石室のようである。前方部の石室の全長は約9m、後円部の石室と比較すると、かなり小さくはなっている。

 

 古墳をほぼ一周できるので、廻ってみると、前方部がある所については、西側の山から伸びる尾根を一部削って古墳の墓域を確保している。

 

 最後に二塚古墳から、大和平野を眺めると、畝傍山、耳成山などの山が見える。ここは海抜200mぐらいとのこと。被葬者は、この光景を気に入って、この二塚古墳を築いたのではないだろうか?などと想像が高まってくる。ちなみに古墳が築造されたのは6世紀の中頃と考えられ、この後に行く屋敷山古墳などと関係があるそうな古墳である。

 二塚古墳を堪能したのち、今度は一気に山を下って、神明神社古墳を探訪することにしよう。


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