休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

在原業平の寺 不退寺

2016-02-07 18:42:49 | 史跡を歩く
 冬の日、春の訪れを少しづづ感じながら、家に居ても退屈なので奈良の方にでも行ってみようとあてもなく電車に乗ってみて、佐保路の方を歩いてみようと思い、新大宮駅で下車、北に向かって歩い始める。佐保川を越えた辺りで、不退寺ってお寺があったなあという訳でぶらりと立ち寄ってみた。
 JRの関西本線を越えていくと一気に鄙びた雰囲気になる。

 

 雑木林の向こうに、不退寺の南門が見える。白黒の濃淡であらわされた水墨画のような空間である。いかにも大和の古寺と言う趣の小さいお寺である。
 鎌倉時代に造られたという不退寺の南門をくぐると小さな境内に、四季折々のいろいろな花や樹木が植えられている。晩秋の紅葉が有名であるらしい。残念ながら冬だったので、ほとんどの樹々はすっかり枯れていたのだが、むしろこういうのも風情があっていいような気がする。境内から、一段上がったところに本堂がある。
 
 

 本堂については、鎌倉時代後期の建築と伝えられ、寄棟造、三間四面の平面形式であり、中には木造の聖観音菩薩立像と五大明王像が安置されている。本堂には行ったときお寺の方が、お昼を過ぎると本堂の中に日が差して、仏さまがきれいに見えますよと教えてもらったので、しばらく本堂の中で待たしてもらった。確かに、陽が傾くに従って、スーッと日が本堂に差し込んでくると、仏像の剥落しかかっている文様が浮かび上がってくる。なるほどと得心した。

 この聖観音菩薩像は、本寺の開基と伝えられる在原業平の作と伝えられる。実際は、平安時代中期の作と考えられ、業平が生きた時代より少し後に造られたもののようである。また、本堂には、平城天皇から在原業平に至る系図も展示されている。寺伝によると、仁明天皇の勅願を受け、平成天皇萱御所を、平城天皇の皇子であり、在原業平の父である阿保親王の菩提寺として在原業平の開基したと伝えられる。その関係で業平寺とも言われている。
 寺地からは、平安時代の前期のものと考えられる古瓦が出土しており、業平の時代には、この地に寺院があったことは間違いないようである。

 境内には、単層の多宝塔があり、もともとは二層の建物であったらしい。この建物が、不退寺の中で一番古い建物である。多宝塔も、南門、本堂と同様に国の重要文化財に指定されている。

 

 本堂の左手、庫裡の前に古墳時代の石棺が置かれている。

 

 寺の周辺は、佐紀楯列古墳群があり、この石棺も、近くにあるウワナベ古墳の辺りから運ばれたと言われている。

 境内には、在原業平にまつわる歌碑がある。

 

 この歌碑には、在原業平の有名な百人一首の採録されている「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くゝるとは」が刻まれている。このほか伊勢物語の歌碑もある。

 

 ちなみに、不退寺の寺号は、正しくは「不退転法輪寺」というようだ。南門の脇に石標が建っていた。

 

 奈良らしいいい感じのお寺でした。今度は紅葉にときに足を運んでみたいなあ。

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