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渋谷向山古墳の前方部の周濠の道を挟んで向かいに上ノ山古墳がある。
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渋谷向山古墳が東西を主軸にしているのに対して、上ノ山古墳は、主軸を南北に置いており、渋谷向山古墳と直交するような位置関係に所在している。
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そして、渋谷向山古墳の周濠が、前方部の北側がかなり狭くなっているが、航空写真などを見ると、もう少し周濠の幅が広がっていてもよさそうな感じがする。
実際、発掘調査で上ノ山古墳の外堤と渋谷向山古墳の外堤が接していたことが確認されている。ちなみに、どちらの古墳も4世紀後半に築造されたと考えられている。
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上ノ山古墳については、全長144mの前方後円墳であり、周りを⊃が巡っていたと考えられている。
古墳に隣接する水口神社の裏側に回ると、墳丘の裾に約1mほどの溝が巡っており、これが周濠の名残なのかもしれない。
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上ノ山古墳と国道の間は、小さな公園として整備されており、その際に発掘調査が行われており、鰭付円筒埴輪、朝顔形円筒埴輪、壺型埴輪などが、中でも珍しいのが、盾形の加工板材が出土していることである。
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これも、現在、なら芸術文化村「大和古墳群と柳本古墳群」の企画展で見ることが出来る。墳丘に立てて用いられたようである。
前述のように、古墳の西側、くびれ部の辺りに誉田別命を祭神とする水口神社が鎮座している。
式内社でもあり、この古墳との関係が何となく想像されるが、どうやら中世になってこの地に遷座したものであり、上ノ山古墳とは関係がなさそうである。
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神社の鳥居の横から、少し墳丘に登ることが出来る。ただし途中までで、三残念なことに景行天皇の陪冢に指定されているので、墳丘の上は立入禁止である。
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ただし、上ノ山古墳からの渋谷向山古墳の眺めは、樹の幹が邪魔だが、なかなか良い。
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前方部の一部は写真のようにかなり低くなっていた。
この後は、景行天皇の陪冢に指定されている、残りの二つの古墳を見て回ることにしよう。
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