考古学つれづれ草
佐原 真著 小学館
佐原真氏の考古学エッセイである。著者のいう考古学の成果をわかりやすく伝えようと言うエッセイ集である。
内容は、大きく7つの章に分けられている。
「考古学への誘い」
「考古学つれづれ草」
「身の回りの考古学」
「大昔の美に学ぶ」
「対談 世界のまじない文化」(大林太良氏との対談)
「講演 戦争について考える」
「佐原真を語る」
読んでみると、考古学というのは単に古い昔の遺物や遺跡を発掘するだけの学問ではなく、そうした古い時代の我々の祖先の生活や文化を復元することにより、現代の我々の文化等を相対化する視点を与えてくれるものなのだということが解る。いわば文化人類学や民族学などと同様の視座を持つことになる。むしろ、このような視点を持たないと考古学は単に古い時代の遺物や遺跡のデータを集めているだけの博物学になってしまう。
本書で佐原氏が戦争について、戦争は弥生時代、農耕が始まってから人類が起こしたものだ。人間が本能的に持っているものではないのだ。だから戦争をなくすことは人類の努力で可能なのだと主張しているのもその表れであろう。
自然についてもそう。我々が自然と思っている山々の木々についても、長い間に人の手が入っていって改変がなされているものである。原始から続いているものではない。また、日常、我々が公園や道路で目にしている樹木や花もも外国から入ってきているものが多いという。そういえば、公園とかの木に虫がついているのを見たことがないなあ。要するに食草にならないということなんでしょうね。確かに、こういう視点で行くと、今の我々の環境というのはどうなんだろうとは思うのだが、毛虫等がダメな私としては、いない方がありがたいという気もするんですが・・・。でも甲虫は好きだしなあ。(エゴイストだね。)
いろいろと文明的な視野で考えさせられたりする反面、縄文人と弥生人のどちらの形質を受け継いでいるのかというテストなどの遊びもあったりする。ちなみに私は、ちょっと縄文人的な要素が強いみたいです。(父方が九州の南部の出身だからなあ。)
佐原真氏については、2001年歴史民俗博物館を退官され、これから考古学をもっと市民にわかりやすいものにするんだと意気込んでおられた矢先に病に倒れられ、2002年に亡くなられた。本書は、佐原氏が亡くなる直前に出版された本である。
本書の最終章である「佐原真を語る」は自らの研究の業績を語っておられるのだが、これからは、晩期としてこんな事をしていくんだという想いが多く綴られており、思い半ばで逝かれたのが伝わって何とも痛ましい気がする。これから、市民と考古学という学問の橋渡しを務められるはずであったのに本当に残念に感じられる。遺跡保存にしても何にしても、市民から遊離しては進めることができない。だからこそ佐原氏のような役割の人が必要だったのだが・・・。
そして、我々も、できるだけ悔いのない生き方をしないといけないなあという想いを強く持つね。
最後に、本書の出版後、佐原真氏の著作をまとめた「佐原真の仕事 全6巻」が岩波書店から出版されている。以前から、私も一冊づつほそぼそと揃えていたのだが、このたびやっと全巻を購入し揃えることができた。ただ、全くの積読状態なので少しづつでも読んでいかないとね。前を向いて頑張っていこう。
佐原 真著 小学館
佐原真氏の考古学エッセイである。著者のいう考古学の成果をわかりやすく伝えようと言うエッセイ集である。
内容は、大きく7つの章に分けられている。
「考古学への誘い」
「考古学つれづれ草」
「身の回りの考古学」
「大昔の美に学ぶ」
「対談 世界のまじない文化」(大林太良氏との対談)
「講演 戦争について考える」
「佐原真を語る」
読んでみると、考古学というのは単に古い昔の遺物や遺跡を発掘するだけの学問ではなく、そうした古い時代の我々の祖先の生活や文化を復元することにより、現代の我々の文化等を相対化する視点を与えてくれるものなのだということが解る。いわば文化人類学や民族学などと同様の視座を持つことになる。むしろ、このような視点を持たないと考古学は単に古い時代の遺物や遺跡のデータを集めているだけの博物学になってしまう。
本書で佐原氏が戦争について、戦争は弥生時代、農耕が始まってから人類が起こしたものだ。人間が本能的に持っているものではないのだ。だから戦争をなくすことは人類の努力で可能なのだと主張しているのもその表れであろう。
自然についてもそう。我々が自然と思っている山々の木々についても、長い間に人の手が入っていって改変がなされているものである。原始から続いているものではない。また、日常、我々が公園や道路で目にしている樹木や花もも外国から入ってきているものが多いという。そういえば、公園とかの木に虫がついているのを見たことがないなあ。要するに食草にならないということなんでしょうね。確かに、こういう視点で行くと、今の我々の環境というのはどうなんだろうとは思うのだが、毛虫等がダメな私としては、いない方がありがたいという気もするんですが・・・。でも甲虫は好きだしなあ。(エゴイストだね。)
いろいろと文明的な視野で考えさせられたりする反面、縄文人と弥生人のどちらの形質を受け継いでいるのかというテストなどの遊びもあったりする。ちなみに私は、ちょっと縄文人的な要素が強いみたいです。(父方が九州の南部の出身だからなあ。)
佐原真氏については、2001年歴史民俗博物館を退官され、これから考古学をもっと市民にわかりやすいものにするんだと意気込んでおられた矢先に病に倒れられ、2002年に亡くなられた。本書は、佐原氏が亡くなる直前に出版された本である。
本書の最終章である「佐原真を語る」は自らの研究の業績を語っておられるのだが、これからは、晩期としてこんな事をしていくんだという想いが多く綴られており、思い半ばで逝かれたのが伝わって何とも痛ましい気がする。これから、市民と考古学という学問の橋渡しを務められるはずであったのに本当に残念に感じられる。遺跡保存にしても何にしても、市民から遊離しては進めることができない。だからこそ佐原氏のような役割の人が必要だったのだが・・・。
そして、我々も、できるだけ悔いのない生き方をしないといけないなあという想いを強く持つね。
最後に、本書の出版後、佐原真氏の著作をまとめた「佐原真の仕事 全6巻」が岩波書店から出版されている。以前から、私も一冊づつほそぼそと揃えていたのだが、このたびやっと全巻を購入し揃えることができた。ただ、全くの積読状態なので少しづつでも読んでいかないとね。前を向いて頑張っていこう。
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