杉山古墳を出て、南へ向かって大安寺に向かう途中、大安寺北面中房跡と記された空き地があり、礎石と基壇が復元されていた。
奈良時代、大安寺には887人もの僧侶がいたらしく、その僧侶たちの住まいである僧房も東・北・西の三面に二重で建てられており、ここで復元されているのは、北側にあったものである。下の写真は北西中房である。
また、同じ場所に「旧大安寺村役場跡」と記された石碑も建っていた。大安寺村は、昔この辺りにあり、明治22年に町村制が成立した時に朽木村、大安寺村、八条村が合併して誕生し、昭和26年奈良市に編入し、消滅した。その大安寺村を記念して建てられたものである。
また、その横にも復元された僧房跡がある。これが、北東中房跡である。
道を挟んで、北東中房跡がある。
後世の道路が、僧房跡を横切っていることになる。
その間の道をさらに南に行くと、今度は「大安寺旧境内」という石碑が立っている。
この辺りは、鐘楼が建っていたらしい。
この周辺でも所々に空き地があるのは、もともとは大安寺の境内であったことから、その遺構が地下に眠っているために空き地になっているのだろうか?
このまま歩いていくと大安寺の現在の境内と駐車場の間にでることが出来た。
大安寺は、ご存じの如く東大寺や興福寺などと並ぶ南都七大寺の一つであり、奈良時代はその筆頭とも言える位置にあった名刹である。
もともとは、聖徳太子が建てたと伝えられる熊凝精舎を、舒明天皇が百済大寺として建立し、その後、大官大寺として飛鳥の地に移転し、奈良時代になり、平城京遷都とともに現在の地に移転したと伝えられる。
現在は、平安時代以降、度重なる火災等により衰退していったようである。ただ、これらの遺構を見て歩いているだけでも奈良時代の大安寺の大きさを感じることは容易であろう。
せっかくの機会なので境内に入ってみよう。
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