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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

大和古寺風物詩

2013-02-01 23:25:00 | 読書日記
大和古寺風物詩
 亀井勝一郎著 新潮文庫

 本書は、たぶん中学校の時、教科書だったか問題集であったかそこに取り上げられていたのが最初の出会いである。といいながらずいぶんご無沙汰をして、初めて読了した。今や観光地となってしまった奈良の有名寺院を対象に、そこにある仏像等を美術品という視点ではなく、あくまでも信仰の対象であるという観点で記述した随想集である。
 取り上げられた寺院は、斑鳩宮、法隆寺、中宮寺、法輪寺、薬師寺、唐招提寺、東大寺、新薬師寺である。(斑鳩宮については、聖徳太子の斑鳩宮の跡に建立された法隆寺の東院伽藍がらんのことである。)
 僕自身は、大阪に住んでいるので、小さいころから何度も行ったことのある寺院である。
 これらの寺院というのは、どうしても日本史に出てくる舞台であり、教科書に出てくるものを実際に目にする、あるいは美術品としてみることが多くなる。これらの寺院、あるいは仏像が、信仰の対象となって、多くの人々の祈りの対象であったという視点で見ることは少ない。昔の人たちはこの仏たちを見ることで何を思ったのか、何を願ったのかということに思いを馳せることはほとんどないような気がする。

 本書は、まず聖徳太子の祈りから始まる。近親同士の血なまぐさい抗争が続く中、法隆寺などの寺院は建設され始めた。そういった歴史的な背景を念頭のおきながら、諸仏を見たとき、私たちは何かを感じざるを得ないのだろう。
 また、この本が書かれた時代は、日本は、戦争に突入しようとしているときであり、また戦争が終わった直後であった。著者の祈りは、こういった戦争の犠牲者に対する追悼だったのかもしれない。

 ちなみにいくつかの寺院の写真を載せてみたいと思う。

  

  

 

 
 本書の中で、奈良は、このまま朽ちていくようなところに良さがあるといった表現がある。確かに奈良の良さは、京都の寺院にあるようなきらびやかな雅さとはちがう。どこかくすんだ極彩色ではないモノクロ写真を見るようなところに良さを感じるところがある。ちょっと崩れかけた土塀が風情を感じさせるところがある。滅びゆく美学を感じさせるのである。そういえば昔は、そんなことを感じながら歩いていたことを思い出した。いつの間にか忘れていた。

 どうしても観光気分で、とにかく行ってきた、見てきたになりがちになっている。よく考えると、確かに昔の人たちはいろいろなことを願い、祈ってきたのである。そういったことを考えながらこれらの寺院を訪れるとまた違ったものが見えてきそうである。

 久しぶりに奈良を歩いてみたくなってきた。冬枯れた田園風景を見るのもいいもんだな。
 
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