正月、いろいろ用事済ませて、帰ってきてから、ビールの2本目に手を付けようとしていたら、家がゆれた。ゆっさゆっさとゆれた。
神戸淡路島地震の時に被災した。(なにぶん古い話なので記憶も不確か。)
早朝、出勤のために起きたところで、寮の窓の外見ると、電信柱が左右にしなっていた。
寮は最新の鉄筋構造だったので被害が全くなく、寮や社宅の人の被害はなく、棚からものが落ちた程度で済んだ。
当時は建設業の仕事してたので、現場の日立支社ビルに行こうかとしたのだが交通手段がわからない。
ガラケーが普及し始めたころで、ポケベルってのがまだ全盛だった頃だ。テレビかラジオしか情報がない頃だったのでテレビを見る。
阪神高速はテレビ情報で閉鎖中。となると、クルマでは渋滞で、身動きが取れない。
早朝だったせいか、被害が思ったよりもなかったようで、阪急が早く復旧した。でも地下鉄関係は動いてない。
となると、現場にはいけないので、会社の大阪支社に出勤することにした。
たしか昼は過ぎていたと思う。電車で出勤。梅田駅から会社まで歩く。
歩道を歩いてると、中之島の付近で、窓ガラスが数か所、歩道に飛散してた。上を見上げると、ビルの窓がない。5メートル×3メートルほどの大型の窓ガラスで、厚みも親指の太さぐらいあっただろうか。
あれが頭上に落ちたらと思うとぞっとした。地震に恐怖を感じたときだ。
会社に出勤して、待機してるうちに一日が終わった。翌日になると、神戸支社の被害が上がってきた。
神戸支社のひとと家族には不幸はなかったらしい。ただ住んでるところの影響がひどかったと聞いた。
会社から神戸支社に水の配達を命じられた。支社は神戸の外れにあるらしく、ほぼ被害がないらしい。車ぐらいでしか移動手段がないので、地図を片手に、下道で神戸方向へ。
テレビの被害報告で、街中の火災や、高速道路が転倒してるらしいので、位置だけ抑えて、遠回りに支社に急ぐ。
水をおいて、大阪支社への荷物を預かる。すぐ引き返すように課長に言われたので、引き返し大阪支社にもどった。
寒さが厳しい1月。家の端材とかで、焚き火して暖をとってる、被災者とか見た。
何をしたらいいか、どうしたらいいかわからない、民衆を右に左に見ながら帰った。
意外と大阪市内は地震の影響が深刻で無かったようで、数日の内には元に戻っていた。
神戸淡路地震の死亡者は確か7000名ぐらいと後で知った。いまだに遺体が見つからない人が25名ほどいるとも聞く。
30年ほどたつ。
というような思い出を、ふと思い出した。
ことしの正月から世間は災難だった。
それでも、2日目は何もすることがないので、祈願しに伊勢参りすることにした。
とはいっても、三河の地で済ますことにした。
とすれば『あれ』。
伊勢神峠参りだ。
子供のころの記憶だと、すぐ上だった覚えなんだが、思ったよりも高く登らされた。何度も何度も休みながら登った。
山の感じは似ているので、場所が確かにここだ。でもずいぶん広場が狭くなっていた。自分が大きくなったんだな。
子供のころ見た祭壇はなかったが、他に3組、15名ほどすれ違った。
伊勢はこのけぶった雲の向こう。
昨日の地震を思って、安全祈願とし、二礼二拝一礼した。
あと世界平和。もいちど、二礼二拝一礼した。
森の中に四拍の柏手の音が響く。
気持ちイイ。
東海自然歩道の標識がある。ここはそのルート上。
帰ってきてから、正月番組を見ていた時に、いきなり旅客機が機体外壁に沿って、チロチロと燃えてる画像だった。ずっと釘付けになった。
正月早々、刺激的に過ぎる。
今年もよろしくお願いします。
(*´∀`) 今年もブログ楽しみにしてますね。