16日夜ホリエモンこと堀江貴文氏率いるライブドアグループに官憲の手が入り その為17日ライブドア関連の株がストップ安 事実上売買停止 近々粉飾決算が明らかになると即上場廃止の処分もとタブロイド夕刊誌が書いている 19日にはグループ7社で値を下げ続け小銭やへそくりをやりくりしデイトレ(PCを使って日ごとの利ざや稼ぎ)もどきをしたり一般投資家でも信用取引をベースにライブドア株を中心に取引していた投資家は瀕死の大やけど 東証上場の株を秋以降仕込んだ人はライブドア株暴落の煽りを受け手ひどい怪我をした様である 後世ホリエモンの大虐殺と呼ばれよう
上場廃止となれば紙くず同様であろう 謹んでお悔やみ申し上げます 南無ー
18日のコラム風説ホリエモンでざっと書いたように堅気の衆は短期の株式市場に出入りしてはならない とても主婦が家事の片手間とかアルバイトで必死こいて貯めた小銭で儲け足を洗って抜けられるような世界では無いのだ!
1971年8月米国大統領ニクソンは金(きん)とドルとの兌換を停止した それ迄は金1オンス(31.105グラム)は35米ドルと(政府間では)交換される兌換紙幣であった 1960年代よりベトナム戦争に介入し戦費調達にドルを垂れ流しすぎ金がなくなる事態になる事を恐れたわけ
金の裏づけの必要ないドルは単なる紙幣となり“交換符証”に成り下がった 爺が持ってるりんご3個と貴方の持ってるいわし4匹が1ドルという風にそしてそれを見た田吾作は俺の豚なら100ドルだなと 茂吉はそれなら家を作ってやるから豚と交換はどうだ 成立すれば家つくりという作業は100ドルということになる 縄文時代なら他の製品100ドル分が無ければ交換は成立しない 豚を渡して100ドル貰っても得る所が無いのであるから ドルの通用する村ではドルを基準に物々交換の基準が決まるだけ
しかし輪転機を回せばいくらでも刷る事が出来る様になったドルなので金1オンスに対しドルは見る見る値打ちを下げて1973年の石油ショック前で62ドル 後には110ドル ソ連のアフガン侵攻時1979年末には700-800ドルの急騰を見せた2000年初には300ドル台であったが最近は原油の高騰につられ500ドルを越えている 金を基準に考えればドルの値打ちは12分の1になった次第
さて次に原油価格を見よう
1970年代初頭では日本が買う重質の原油の実勢価格は1バーレル〔159リットル)1ドル以下 ひとまず1ドルとしておこう ドルショックのあった1972年が基準原油のアラビアンライトで2ドル それが1973年の石油ショック後8ドル ソ連のアフガン侵攻時は26ドル 最近ではOPECバスケット(各油種まぜて)50ドルを超えているが日本への価格はこんなものではないか 50ドルとしてドルの値打ちは50分の1になってしまった 60ドルとすると60分の1だ
さてさて 為替相場はどうであったろうか 戦後から1971年迄1ドルは360円という固定相場 親類を頼りに米国に行ける日本人が闇ドルを買うと400円した それが1971年暮308円の固定相場(スミソニアン協定)1973年以降は変動相場制に移行 1978年200円割れ
1985年のプラザ合意により主要国は緩やかなドル安を容認することで米国の財政赤字・貿易赤字の双子の赤字を軽減する所となった 円は時に急騰し1991年6月100円割れ 1995年4月には79.45円をつけた 短期の急騰は輸出業者を苦しめ窮余の一策として海外に拠点を求める動きの引き金となった 2005年後半からは円安傾向で115円±であるから輸出業者はうはうはであろう
ドルの値打ちは110円として3.3分の1になった
おさらいをしよう 1971年を基点に金からみれば12倍ものドルが印刷され(それだけドルが値打ちを落としたことになる) 石油から見れば50倍ものドルが刷られた理屈である 円から見ても3.3倍も増えたので米国財務省証券の形で5000億ドル位〔2005年の外貨準備高は8000億ドル超)は日銀の金庫かどこかに眠っているのである 世界中にあるこの規模のドル紙幣と長年為替相場を維持するために垂れ流した円が外国の本当の金持ちの手元にあるのだよ 彼らがシンジケートを組んで或る時は金、次は石油、今回は日本の証券市場と狙いをつけ相場を上げるも下げるも自由自在 国がPKOとか揶揄されて40兆円も買い支えに出ても円を毟り取られるだけ ミスタードルと蔑称されドルを35兆円も買いに出ても円高にふれるばかり 儲ければさっさと別の場所にか一休み こんな手合いに1987年以降海外の不動産を最高値で掴まさせられたばかりでないか 東証株価30000円が割れて血反吐を吐いたのはだーれ?
運良く火傷で済んだ人は金輪際株に手を出すのは止めましょう
写真はうらみは深し六本木森ビル
上場廃止となれば紙くず同様であろう 謹んでお悔やみ申し上げます 南無ー
18日のコラム風説ホリエモンでざっと書いたように堅気の衆は短期の株式市場に出入りしてはならない とても主婦が家事の片手間とかアルバイトで必死こいて貯めた小銭で儲け足を洗って抜けられるような世界では無いのだ!
1971年8月米国大統領ニクソンは金(きん)とドルとの兌換を停止した それ迄は金1オンス(31.105グラム)は35米ドルと(政府間では)交換される兌換紙幣であった 1960年代よりベトナム戦争に介入し戦費調達にドルを垂れ流しすぎ金がなくなる事態になる事を恐れたわけ
金の裏づけの必要ないドルは単なる紙幣となり“交換符証”に成り下がった 爺が持ってるりんご3個と貴方の持ってるいわし4匹が1ドルという風にそしてそれを見た田吾作は俺の豚なら100ドルだなと 茂吉はそれなら家を作ってやるから豚と交換はどうだ 成立すれば家つくりという作業は100ドルということになる 縄文時代なら他の製品100ドル分が無ければ交換は成立しない 豚を渡して100ドル貰っても得る所が無いのであるから ドルの通用する村ではドルを基準に物々交換の基準が決まるだけ
しかし輪転機を回せばいくらでも刷る事が出来る様になったドルなので金1オンスに対しドルは見る見る値打ちを下げて1973年の石油ショック前で62ドル 後には110ドル ソ連のアフガン侵攻時1979年末には700-800ドルの急騰を見せた2000年初には300ドル台であったが最近は原油の高騰につられ500ドルを越えている 金を基準に考えればドルの値打ちは12分の1になった次第
さて次に原油価格を見よう
1970年代初頭では日本が買う重質の原油の実勢価格は1バーレル〔159リットル)1ドル以下 ひとまず1ドルとしておこう ドルショックのあった1972年が基準原油のアラビアンライトで2ドル それが1973年の石油ショック後8ドル ソ連のアフガン侵攻時は26ドル 最近ではOPECバスケット(各油種まぜて)50ドルを超えているが日本への価格はこんなものではないか 50ドルとしてドルの値打ちは50分の1になってしまった 60ドルとすると60分の1だ
さてさて 為替相場はどうであったろうか 戦後から1971年迄1ドルは360円という固定相場 親類を頼りに米国に行ける日本人が闇ドルを買うと400円した それが1971年暮308円の固定相場(スミソニアン協定)1973年以降は変動相場制に移行 1978年200円割れ
1985年のプラザ合意により主要国は緩やかなドル安を容認することで米国の財政赤字・貿易赤字の双子の赤字を軽減する所となった 円は時に急騰し1991年6月100円割れ 1995年4月には79.45円をつけた 短期の急騰は輸出業者を苦しめ窮余の一策として海外に拠点を求める動きの引き金となった 2005年後半からは円安傾向で115円±であるから輸出業者はうはうはであろう
ドルの値打ちは110円として3.3分の1になった
おさらいをしよう 1971年を基点に金からみれば12倍ものドルが印刷され(それだけドルが値打ちを落としたことになる) 石油から見れば50倍ものドルが刷られた理屈である 円から見ても3.3倍も増えたので米国財務省証券の形で5000億ドル位〔2005年の外貨準備高は8000億ドル超)は日銀の金庫かどこかに眠っているのである 世界中にあるこの規模のドル紙幣と長年為替相場を維持するために垂れ流した円が外国の本当の金持ちの手元にあるのだよ 彼らがシンジケートを組んで或る時は金、次は石油、今回は日本の証券市場と狙いをつけ相場を上げるも下げるも自由自在 国がPKOとか揶揄されて40兆円も買い支えに出ても円を毟り取られるだけ ミスタードルと蔑称されドルを35兆円も買いに出ても円高にふれるばかり 儲ければさっさと別の場所にか一休み こんな手合いに1987年以降海外の不動産を最高値で掴まさせられたばかりでないか 東証株価30000円が割れて血反吐を吐いたのはだーれ?
運良く火傷で済んだ人は金輪際株に手を出すのは止めましょう
写真はうらみは深し六本木森ビル