寛仁さま見解に懸念表明 「心配」と宮内庁次長 (共同通信) - goo ニュース
昨日朝 新聞を開いたら文芸春秋の2月号に“なぜ私は女系天皇に反対なのか”との記事があるのを知り清水の舞台から飛び降りる勇気を奮って買った なにしろ近頃は出すものは舌を出すのも嫌だという位省エネ節約生活をしているから¥730は贅沢な買い物となった

さて本題だが記事は三笠宮寛仁親王殿下とジャーナリスト桜井よしこさんとの会見の格好をとっている
宮家は内情がなかなか苦しい事や長くハンセン病療養のための面倒を見てこられた話を前振りにして本題に入る
寛仁殿下の主張は昨秋福祉団体の会報で表明された趣旨に変わらない
「帝は神話の時代から代々父方の血を受け継いで2665年続いた(皇紀紀元元年から数え今年は皇紀2665年だから)伝統でありこの血の伝統の重みに逆らえない この血統に由来する国民の尊崇の念をあつめている(今日ここにある)」
「早急な女系天皇容認論は天皇陛下のご意思であるか」「仮に愛子様が即位されるにしても3-40年あるのだからさまざまな選択肢を確認して決めて欲しい」とがご主旨であろう

その方法論として「直系の男子が絶えたらば傍系より後継天皇を選ぶ伝統がある そして継体天皇、後花園天皇、それから光格天皇が7親等以上も遡る例を上げておられる さらに宇多天皇は臣籍降下された後、皇族に復帰され天皇に即位された事を一例として加える」又「皇族は今でも天皇家と交際があるので(愛子様がお小さいうち)早急に帝王学を学ばれる必要もないし今上陛下は普通教育を通じてかくご立派な天皇におなり遊ばされていると」
これに対し桜井よしこさんは「万世一系男系による継承に賛成」「それゆえ女系天皇は積極的に反対している」天皇のご意思については「例えば平成4年の天皇訪中についても根強い反対意見があったが天皇陛下のご意思との事で押し切った あとで(桜井)が随分調べたがその事実は確認されなかった 従って今回の女系天皇容認の件も天皇のご意思に沿うているのか」と この質問に寛仁殿下は「有り得なかろう」とそれを受けて桜井さんは「私には2665年続いた伝統を陛下はお望みで無いのではないか」と

おいおい 近頃みるTVでの裁判の場面 桜井さんの発言は「個人の推測による判断に過ぎないから取り消ししてください」 にあたるのでないか? この問いには寛仁殿下は「その様な推測には答えようが無い」と返答されるのが賢い態度である あえて自分の意見を付け加えたのであれば確信犯であろう イエローカードが出るかも

さて爺は思う 今回の寛仁殿下のご発言は突き詰めれば「男系男子の皇統をつなげる方法は傍系であっても臣籍降下された方々が皇族に復帰すれば良いのであって例えば600年も遡らぬといけないと発言もあるが2665年の歴史からすれば許容の範囲 先人の方策を知り国民大多数の意見で決めて欲しい」と
爺はもともと女性・女系天皇容認かのコラムで述べた様に男系男子尊重ならば傍系に遡るかご養子を取れば良いとの考えであるから大筋で賛成する
桜井よしこさんについては一時素晴らしいジャーナリストと思ったが近頃では彼女の価値観に反する資料は全く省みずに意見を述べる視野狭窄の人だと分かったのでこれ以上論評はしない
さてさて寛仁殿下の父上は三笠の宮様で大東亜戦争中は昭和天皇の眼の代わりに支那派遣軍に赴任され日本軍の蛮行を指摘された方 戦後はオリエント方面の研究で学者でいらっしゃるはづ その息子が万世一系2665年と言い出すのはおかしくないであろうか 寛仁殿下は天皇家の一員であるからその様な伝承をお持ちでそれを誇りにされていても何の問題も無かろう しかし国民にひろく象徴天皇の後継を問うときに伝説というか神話というかその部分から続くので長く尊いと発言されては贔屓の引き倒しであろう

皇紀紀元については恐らく聖徳太子が蘇我馬子と天皇記・国記を編集された西暦620年より前の最初の辛酉(かのととり)は601年推古九年でありこの年から讖諱説(しんいせつ)に基づき1260年遡ることの紀元前660年を日本紀元元年辛酉正月かむやまといわれひこの尊が大和の橿原宮で即位されたとするところにある
讖諱説(しんいせつ)関連については2月11日紀元節までに別コラムを書いて説明する
ここは古代日本史のコラムでないから詳述しないが日本に広域クニらしいものが出来たのは西暦紀元421年倭王讃 武帝から称号を受ける(宋書 6世紀)頃からである これも天皇家の天(あま)一族かどうか分からない それはともかく日本に統一政権らしきものが出来て対外的に確認できるのが5世紀半ばと言う事であろう それでも1600年の歴史であるから十分古い 継体天皇から数えても1500年なにも神話を架上せずとも長い伝統である

さらにその伝統の血こそ尊いことを強調されるが果たしてそうであろうか 室町時代を過ぎ戦国時代の下克上を経験した日本人が血こそ尊いと思っているであろうか??? そうではない 武力に頼らず何とか徳の力で皇統をつないでいらっしゃるお姿に日本民族の生命力、持久力を投影して尊敬申し上げているのだと思う

長くなった 結論を急ごう 大いに議論は良いことであるが提供する素材に偏りがあると結果が違う恐れがある それとは関係ないが宮内庁が寛仁殿下の発言は政治的でないかと懸念している 会見の形であればこそ話し合う相手を賢く選ぶことは大切である

昨日朝 新聞を開いたら文芸春秋の2月号に“なぜ私は女系天皇に反対なのか”との記事があるのを知り清水の舞台から飛び降りる勇気を奮って買った なにしろ近頃は出すものは舌を出すのも嫌だという位省エネ節約生活をしているから¥730は贅沢な買い物となった

さて本題だが記事は三笠宮寛仁親王殿下とジャーナリスト桜井よしこさんとの会見の格好をとっている
宮家は内情がなかなか苦しい事や長くハンセン病療養のための面倒を見てこられた話を前振りにして本題に入る
寛仁殿下の主張は昨秋福祉団体の会報で表明された趣旨に変わらない
「帝は神話の時代から代々父方の血を受け継いで2665年続いた(皇紀紀元元年から数え今年は皇紀2665年だから)伝統でありこの血の伝統の重みに逆らえない この血統に由来する国民の尊崇の念をあつめている(今日ここにある)」
「早急な女系天皇容認論は天皇陛下のご意思であるか」「仮に愛子様が即位されるにしても3-40年あるのだからさまざまな選択肢を確認して決めて欲しい」とがご主旨であろう

その方法論として「直系の男子が絶えたらば傍系より後継天皇を選ぶ伝統がある そして継体天皇、後花園天皇、それから光格天皇が7親等以上も遡る例を上げておられる さらに宇多天皇は臣籍降下された後、皇族に復帰され天皇に即位された事を一例として加える」又「皇族は今でも天皇家と交際があるので(愛子様がお小さいうち)早急に帝王学を学ばれる必要もないし今上陛下は普通教育を通じてかくご立派な天皇におなり遊ばされていると」
これに対し桜井よしこさんは「万世一系男系による継承に賛成」「それゆえ女系天皇は積極的に反対している」天皇のご意思については「例えば平成4年の天皇訪中についても根強い反対意見があったが天皇陛下のご意思との事で押し切った あとで(桜井)が随分調べたがその事実は確認されなかった 従って今回の女系天皇容認の件も天皇のご意思に沿うているのか」と この質問に寛仁殿下は「有り得なかろう」とそれを受けて桜井さんは「私には2665年続いた伝統を陛下はお望みで無いのではないか」と

おいおい 近頃みるTVでの裁判の場面 桜井さんの発言は「個人の推測による判断に過ぎないから取り消ししてください」 にあたるのでないか? この問いには寛仁殿下は「その様な推測には答えようが無い」と返答されるのが賢い態度である あえて自分の意見を付け加えたのであれば確信犯であろう イエローカードが出るかも

さて爺は思う 今回の寛仁殿下のご発言は突き詰めれば「男系男子の皇統をつなげる方法は傍系であっても臣籍降下された方々が皇族に復帰すれば良いのであって例えば600年も遡らぬといけないと発言もあるが2665年の歴史からすれば許容の範囲 先人の方策を知り国民大多数の意見で決めて欲しい」と
爺はもともと女性・女系天皇容認かのコラムで述べた様に男系男子尊重ならば傍系に遡るかご養子を取れば良いとの考えであるから大筋で賛成する
桜井よしこさんについては一時素晴らしいジャーナリストと思ったが近頃では彼女の価値観に反する資料は全く省みずに意見を述べる視野狭窄の人だと分かったのでこれ以上論評はしない
さてさて寛仁殿下の父上は三笠の宮様で大東亜戦争中は昭和天皇の眼の代わりに支那派遣軍に赴任され日本軍の蛮行を指摘された方 戦後はオリエント方面の研究で学者でいらっしゃるはづ その息子が万世一系2665年と言い出すのはおかしくないであろうか 寛仁殿下は天皇家の一員であるからその様な伝承をお持ちでそれを誇りにされていても何の問題も無かろう しかし国民にひろく象徴天皇の後継を問うときに伝説というか神話というかその部分から続くので長く尊いと発言されては贔屓の引き倒しであろう

皇紀紀元については恐らく聖徳太子が蘇我馬子と天皇記・国記を編集された西暦620年より前の最初の辛酉(かのととり)は601年推古九年でありこの年から讖諱説(しんいせつ)に基づき1260年遡ることの紀元前660年を日本紀元元年辛酉正月かむやまといわれひこの尊が大和の橿原宮で即位されたとするところにある
讖諱説(しんいせつ)関連については2月11日紀元節までに別コラムを書いて説明する
ここは古代日本史のコラムでないから詳述しないが日本に広域クニらしいものが出来たのは西暦紀元421年倭王讃 武帝から称号を受ける(宋書 6世紀)頃からである これも天皇家の天(あま)一族かどうか分からない それはともかく日本に統一政権らしきものが出来て対外的に確認できるのが5世紀半ばと言う事であろう それでも1600年の歴史であるから十分古い 継体天皇から数えても1500年なにも神話を架上せずとも長い伝統である

さらにその伝統の血こそ尊いことを強調されるが果たしてそうであろうか 室町時代を過ぎ戦国時代の下克上を経験した日本人が血こそ尊いと思っているであろうか??? そうではない 武力に頼らず何とか徳の力で皇統をつないでいらっしゃるお姿に日本民族の生命力、持久力を投影して尊敬申し上げているのだと思う

長くなった 結論を急ごう 大いに議論は良いことであるが提供する素材に偏りがあると結果が違う恐れがある それとは関係ないが宮内庁が寛仁殿下の発言は政治的でないかと懸念している 会見の形であればこそ話し合う相手を賢く選ぶことは大切である
