「終戦のローレライ」を読む その2 の続きです
第3巻第4章1
8月5日東京本郷 広島から帰京した大湊大佐は自宅から霞ヶ関の軍令部に出向いた 軍令部17名の首脳部に浅倉大佐とイ507の行方について報告の目的だ 大湊は調査の結果から「浅倉大佐の行動とイ7507は浅倉の意図の下に、独断の命令に単純に或いは恣意的に協力した将兵の参画したある作戦である もともと断号作戦はイ507をテニアン島に配し搭載のローレライを駆使して島に近づく輸送船をことごとく沈め新型爆弾の輸送を阻む’であった 海陸情報部の得た米国の新型爆弾とテニアンのB29の活動を併せ考え得た浅倉大佐主導の作戦構想です しかし軍令部に却下された UF4が亡命と引き換えに来日、断号作戦は復活したがナーバルを紛失しようとしまいと軍から作戦に横槍が入る事を想定していた それを見越した上で浅倉は何かを考えていると思われる 従って引き続き関係者を追及する事」を求めた 事は海軍全組織の根幹に触れる問題であり富岡軍令部次長以下幹部はこの問題に真面目に取り組む気がない 今回の朝倉の独断も見かけは作戦の復活でありボロ潜水艦と怪しげな秘密兵器のみ やらせておいても責任問題にならぬとの幹部連中の官僚的判断に追うところは多い
大川内軍令部総長「朝倉は《あれ以来、狂ったか?》」と大湊に問いかける
大川内の結論は「朝倉問題を追及しない いまや海軍はポツダム宣言を受け国体の維持に1億玉砕のみ 陸軍と力をあわせ戦争終結に力を合わせる事だ 天皇陛下が東京を疎開されないのは殲滅戦を避けよとのご意思だ」
ついに軍人として決断する事無く国家滅亡のこの機に天皇の袖に隠れ身を処すお粗末 強硬派も終結派も言葉の遊びで答えが出ない 大湊はにわかに思う
或いは朝倉ならこの中吊の立場から抜け出す方法を見出し「謀議」を企てたか?
同日昼 ウエーク島 被弾した一式陸攻機が不時着炎上し中から朝倉大佐一人が這い出てくる 迎える土谷佑技術中佐 二人の間で何やら怪しげな会話 「ローレライと交換に」「前大統領は使用に躊躇した」「それは人道的ポーズ」「明日一つ目が落ちる」どうやら米軍のスパイと密約について語っているようです
8月6日朝7時50分 折笠は後部哨戒直の折、パウラを甲板に連れ出します パウラは乗員の配慮に感謝し「戦争が終わった日本に暮らしたい」と「俺の故郷で歌でも謳って」と誘う折笠 彼の「♪名も知らぬ遠き島より~」にパウラの美しい旋律が重なります ♪流れよる椰子の実一つ 故郷の岸を離れて 汝はそも波にいく月♪何と歌声は伝声管を通じ全艦に流れます いつしか各部での唱和が加わり全艦75名が謳っている感じです
♪いずれの日にか国に帰らん----♪
田口掌砲長はパート(兵員控え室)で歌声を聞いています その歌声が(彼の前の戦場を思い出させます 歌声を絶えさせない様に必死に歌う重傷の一等兵 その彼に銃を向ける自分 一等兵の絶望とお母チャンの絶叫--- と「若い者は良いねー」と岩村機関長「前の艦に乗っていた時テニアン島で敵襲で足止めされた 子供みたいな若い兵が椰子の実を歌い最後に艦内の汚水の中でも良いから連れて帰ってくれと泣いて頼まれて---」歌声が希望だけでなく絶望を感じる身は辛い 歌えない二人
(良い所だが爺の疑問:既に早川艇長が電池室の故障を直す為壮烈な殉職をしているので歌えるのは総員77名なら74名でないのか?)
同日8時10分 広島上空 B29エノラ・ゲイは広島の爆撃目標に向う 同8時15分16秒 原子爆弾投下 同16分丁度に起爆
爆心地から200メートルにある料亭 折笠に禁止の恋歌を聞かせ大湊を宿泊させた内芸者キクと近くの小学1年生の俊子 俊子はシラミをたけた頭をかきむしりおできだらけ 頭を5分刈りにされている 二人は瞬時に髪まで燃え上がらせ灰となった
同時刻光るものを見た折笠とパウラ ローレライを発動すると何万人もの人が怨嗟がパウラに伝わった 信じられない恐ろしい事が起きたようだ
更に同日夜ウエーク島
土谷中佐と朝倉大佐の会話で「広島が壊滅した事がわかり二つ目の爆弾が三日後に落とされるようです」
「それ迄日本が持ち堪えれば」そもそも米首脳は原爆によりソ連を出し抜き対日戦を勝利する事を目論んだ ヤルタ協定で譲りすぎた極東の利権を取り戻す腹であった 日本が耐えれば そしてソ連が対日参戦を15日から11日へそして更に繰り上げて攻撃に加われば米国は極東の利権を分け与えねばならない 浅倉と米国の密約とは何であろうか?
8月9日大和田通信隊本部(埼玉県新座)に大湊大佐の部下中村大尉は立つ 海軍の総ての通信を管理する施設だ この数日日本を囲む状況は激変した
8月6日9時過ぎ広島に落ちた爆弾は壊滅的被害を与えた 翌7日午後の報道では「相当数の被害」としてではあるが もはや「損害は軽微」と嘘も言えない
8月8日ソ連の対日宣戦布告 ソ連を介して和平交渉に望みをかけていた大本営は凍りついた それから13時間後の9日午前零時には満州国境から満州への侵攻が開始された 民間人と在郷軍人の49万人と現地邦人160万人は悲劇の逃避行を行う事となる
さて朝倉大佐の追跡を諦めない中村大尉は通信隊になら必ずイ507との通信記録がある事に着目しこの場所で村瀬通信隊参謀に記録の存在を語らせるが村瀬が手榴弾で資料と共に自決する巻き添えを喰い殺される
軍令部第三課長室で中村の死の連絡を受ける所へ「長崎へ 原子爆弾が」と急報
大湊は連日の過労とショックで入院となる
第4章1終わり
第4章2 152頁から
病床で思い出す朝倉大佐の変わり様 「軍令部で先は海軍大臣とまで折り紙付きの逸材がミッドウエー海戦の敗北を機に南方戦線への転属を強硬に願い出て転属する地獄の戦場と呼ばれる場所から1年ぶりに生還してから何かが変わった」朝倉は言い切った「軍人・知識人・多くの国民がやすやすと開戦に流され精神論に己の尊厳を託す その様な甘えを根底から変える必要は無いか 国家としての切腹 この国が迎えるべき終戦の形だ」
8月10日 午前病院で 入院中の大湊を天本少尉が訪れる 彼は爆死した中村の大和田通信隊行きを助け一部を目撃した海兵時代の後輩である 彼の懇請で朝倉の人となりを語る「海兵卒業時には恩賜の軍刀、海軍大学は主席卒業 将来の栄達を振り切り南方の激戦地へ 1年も消息不明の後 奇跡の生還 そしてあの時以来何かが変わった それから軍令部第一課長に復帰 この1年で何かを育てそれを発散する機会を見つけた 中村大尉はその芽を一つ一つ調べて根っこを引きずり出す仕事の途中で殺された」
大湊大佐の説明に得心した天本は「自決した村瀬参謀がウエーク島の通信施設が云々と言うのを聞いた話」を告げる
すぐ地図でウエーク島を探す ウエーク島を基点に西南 小笠原諸島の更に南 サイパン・グアム・テニアン 何と米軍の飛行場群のある所 特にテニアンは例の原子爆弾を投下したB29の発進基地 「寄って立つものを破壊する」「国家としての切腹」「この国が迎えるべき終戦の形」朝倉の発言を思い起こし大湊は震えた
第四章2、171頁まで
その4に続く
写真:B29
第3巻第4章1
8月5日東京本郷 広島から帰京した大湊大佐は自宅から霞ヶ関の軍令部に出向いた 軍令部17名の首脳部に浅倉大佐とイ507の行方について報告の目的だ 大湊は調査の結果から「浅倉大佐の行動とイ7507は浅倉の意図の下に、独断の命令に単純に或いは恣意的に協力した将兵の参画したある作戦である もともと断号作戦はイ507をテニアン島に配し搭載のローレライを駆使して島に近づく輸送船をことごとく沈め新型爆弾の輸送を阻む’であった 海陸情報部の得た米国の新型爆弾とテニアンのB29の活動を併せ考え得た浅倉大佐主導の作戦構想です しかし軍令部に却下された UF4が亡命と引き換えに来日、断号作戦は復活したがナーバルを紛失しようとしまいと軍から作戦に横槍が入る事を想定していた それを見越した上で浅倉は何かを考えていると思われる 従って引き続き関係者を追及する事」を求めた 事は海軍全組織の根幹に触れる問題であり富岡軍令部次長以下幹部はこの問題に真面目に取り組む気がない 今回の朝倉の独断も見かけは作戦の復活でありボロ潜水艦と怪しげな秘密兵器のみ やらせておいても責任問題にならぬとの幹部連中の官僚的判断に追うところは多い
大川内軍令部総長「朝倉は《あれ以来、狂ったか?》」と大湊に問いかける
大川内の結論は「朝倉問題を追及しない いまや海軍はポツダム宣言を受け国体の維持に1億玉砕のみ 陸軍と力をあわせ戦争終結に力を合わせる事だ 天皇陛下が東京を疎開されないのは殲滅戦を避けよとのご意思だ」
ついに軍人として決断する事無く国家滅亡のこの機に天皇の袖に隠れ身を処すお粗末 強硬派も終結派も言葉の遊びで答えが出ない 大湊はにわかに思う
或いは朝倉ならこの中吊の立場から抜け出す方法を見出し「謀議」を企てたか?
同日昼 ウエーク島 被弾した一式陸攻機が不時着炎上し中から朝倉大佐一人が這い出てくる 迎える土谷佑技術中佐 二人の間で何やら怪しげな会話 「ローレライと交換に」「前大統領は使用に躊躇した」「それは人道的ポーズ」「明日一つ目が落ちる」どうやら米軍のスパイと密約について語っているようです
8月6日朝7時50分 折笠は後部哨戒直の折、パウラを甲板に連れ出します パウラは乗員の配慮に感謝し「戦争が終わった日本に暮らしたい」と「俺の故郷で歌でも謳って」と誘う折笠 彼の「♪名も知らぬ遠き島より~」にパウラの美しい旋律が重なります ♪流れよる椰子の実一つ 故郷の岸を離れて 汝はそも波にいく月♪何と歌声は伝声管を通じ全艦に流れます いつしか各部での唱和が加わり全艦75名が謳っている感じです
♪いずれの日にか国に帰らん----♪
田口掌砲長はパート(兵員控え室)で歌声を聞いています その歌声が(彼の前の戦場を思い出させます 歌声を絶えさせない様に必死に歌う重傷の一等兵 その彼に銃を向ける自分 一等兵の絶望とお母チャンの絶叫--- と「若い者は良いねー」と岩村機関長「前の艦に乗っていた時テニアン島で敵襲で足止めされた 子供みたいな若い兵が椰子の実を歌い最後に艦内の汚水の中でも良いから連れて帰ってくれと泣いて頼まれて---」歌声が希望だけでなく絶望を感じる身は辛い 歌えない二人
(良い所だが爺の疑問:既に早川艇長が電池室の故障を直す為壮烈な殉職をしているので歌えるのは総員77名なら74名でないのか?)
同日8時10分 広島上空 B29エノラ・ゲイは広島の爆撃目標に向う 同8時15分16秒 原子爆弾投下 同16分丁度に起爆
爆心地から200メートルにある料亭 折笠に禁止の恋歌を聞かせ大湊を宿泊させた内芸者キクと近くの小学1年生の俊子 俊子はシラミをたけた頭をかきむしりおできだらけ 頭を5分刈りにされている 二人は瞬時に髪まで燃え上がらせ灰となった
同時刻光るものを見た折笠とパウラ ローレライを発動すると何万人もの人が怨嗟がパウラに伝わった 信じられない恐ろしい事が起きたようだ
更に同日夜ウエーク島
土谷中佐と朝倉大佐の会話で「広島が壊滅した事がわかり二つ目の爆弾が三日後に落とされるようです」
「それ迄日本が持ち堪えれば」そもそも米首脳は原爆によりソ連を出し抜き対日戦を勝利する事を目論んだ ヤルタ協定で譲りすぎた極東の利権を取り戻す腹であった 日本が耐えれば そしてソ連が対日参戦を15日から11日へそして更に繰り上げて攻撃に加われば米国は極東の利権を分け与えねばならない 浅倉と米国の密約とは何であろうか?
8月9日大和田通信隊本部(埼玉県新座)に大湊大佐の部下中村大尉は立つ 海軍の総ての通信を管理する施設だ この数日日本を囲む状況は激変した
8月6日9時過ぎ広島に落ちた爆弾は壊滅的被害を与えた 翌7日午後の報道では「相当数の被害」としてではあるが もはや「損害は軽微」と嘘も言えない
8月8日ソ連の対日宣戦布告 ソ連を介して和平交渉に望みをかけていた大本営は凍りついた それから13時間後の9日午前零時には満州国境から満州への侵攻が開始された 民間人と在郷軍人の49万人と現地邦人160万人は悲劇の逃避行を行う事となる
さて朝倉大佐の追跡を諦めない中村大尉は通信隊になら必ずイ507との通信記録がある事に着目しこの場所で村瀬通信隊参謀に記録の存在を語らせるが村瀬が手榴弾で資料と共に自決する巻き添えを喰い殺される
軍令部第三課長室で中村の死の連絡を受ける所へ「長崎へ 原子爆弾が」と急報
大湊は連日の過労とショックで入院となる
第4章1終わり
第4章2 152頁から
病床で思い出す朝倉大佐の変わり様 「軍令部で先は海軍大臣とまで折り紙付きの逸材がミッドウエー海戦の敗北を機に南方戦線への転属を強硬に願い出て転属する地獄の戦場と呼ばれる場所から1年ぶりに生還してから何かが変わった」朝倉は言い切った「軍人・知識人・多くの国民がやすやすと開戦に流され精神論に己の尊厳を託す その様な甘えを根底から変える必要は無いか 国家としての切腹 この国が迎えるべき終戦の形だ」
8月10日 午前病院で 入院中の大湊を天本少尉が訪れる 彼は爆死した中村の大和田通信隊行きを助け一部を目撃した海兵時代の後輩である 彼の懇請で朝倉の人となりを語る「海兵卒業時には恩賜の軍刀、海軍大学は主席卒業 将来の栄達を振り切り南方の激戦地へ 1年も消息不明の後 奇跡の生還 そしてあの時以来何かが変わった それから軍令部第一課長に復帰 この1年で何かを育てそれを発散する機会を見つけた 中村大尉はその芽を一つ一つ調べて根っこを引きずり出す仕事の途中で殺された」
大湊大佐の説明に得心した天本は「自決した村瀬参謀がウエーク島の通信施設が云々と言うのを聞いた話」を告げる
すぐ地図でウエーク島を探す ウエーク島を基点に西南 小笠原諸島の更に南 サイパン・グアム・テニアン 何と米軍の飛行場群のある所 特にテニアンは例の原子爆弾を投下したB29の発進基地 「寄って立つものを破壊する」「国家としての切腹」「この国が迎えるべき終戦の形」朝倉の発言を思い起こし大湊は震えた
第四章2、171頁まで
その4に続く
写真:B29