植木等さん 仲間の待つ天国へ旅立ち(スポーツニッポン) - goo ニュース
みのさんの「朝ズバ」を見てましたらクレージーキャッツのメンバーである植木等さんが昨日朝逝去された事を話題にしていました
享年80歳 謹んでご冥福を祈ります
ここ10年ほど肺気腫を患っていたそうですが80歳とお聞きして「一寸まだお若いのに」と爺は思いました スーダラ節の頃の植木さんのイメージが残っているのでしょうね
葬儀は密葬で、延命処置はしないようにとはご本人の希望とか 植木さんらしいですね
というのは大分前老妻と「植木さんは寺の息子で本人はいたって真面目」という話の番組を見ていたからです
植木等と聞くと「スーダラ節」が頭に浮かびます
昭和36年(1961年)青島幸男作曲
♪チョイト一杯のつもりで飲んで いつの間にやらハシゴ酒…分っちゃいるけどやめられない ア、ホレ スイスイスーダララッタ スラスラスイスイスイ…
その後 無責任男で映画がシリーズ物が出て森繁久弥と小林圭樹の社長シリーズに取って代わりました
時代はもはや戦後ではないから高度経済成長期へ
爺は思うのです 植木等さんの様に昭和2から3年生まれは兵隊にはとられず(志願は別)戦後を迎えた方たちは戦後を猛烈に働き生き抜き高度経済成長時代を駆け抜けバブル経済がはじける頃には第一線を退きました 年金もそこそこ 60歳から給付を受けて人生の見通しが立ちました
植木さんの年代から10年後までは良い時代でした
その後10年の年代は50歳代になってバブル経済崩壊の影響を受け配転、リストラ、、早期退職 など終わりは厳しくなりました 年金も60歳から65歳へと先伸ばしに
爺はこの年代です お先は真っ暗ではありませんが大分夢見た老後が変わりました
この後の10年今団塊定年組といわれている方たちはもっと大変ですね
植木さんのお年と無責任男から一寸関連して思い出しましたよ
改めてよい時代に生きた植木さんに 合掌
スポニチ:
戦後の高度成長期を代表するコメディアンでクレージーキャッツのメンバー、植木等(うえき・ひとし)さん=本名同じ=が27日午前10時41分、呼吸不全のため都内の病院で死去した。80歳。三重県出身。本人の遺言により、近親者のみの密葬にし、来月初めにも「お別れの会」が執り行われる。肺気腫を患いながら仕事を続けてきたが、昨年、盟友の宮川泰(享年75)、青島幸男(享年74)の両氏を相次いで亡くし、憔悴(しょうすい)していたという。
今月1日に「クレージーキャッツ」に参加してちょうど50年を迎えた中、日本中にたくさんの笑いを届けてくれた植木さんが、静かに逝った。
所属する渡辺プロダクションによると、今月中旬に患っていた肺気腫が悪化。しばらくして意識が混濁し、27日午前、入院先の病院で登美子夫人と愛娘3人にみとられて亡くなった(後略)
みのさんの「朝ズバ」を見てましたらクレージーキャッツのメンバーである植木等さんが昨日朝逝去された事を話題にしていました
享年80歳 謹んでご冥福を祈ります
ここ10年ほど肺気腫を患っていたそうですが80歳とお聞きして「一寸まだお若いのに」と爺は思いました スーダラ節の頃の植木さんのイメージが残っているのでしょうね
葬儀は密葬で、延命処置はしないようにとはご本人の希望とか 植木さんらしいですね
というのは大分前老妻と「植木さんは寺の息子で本人はいたって真面目」という話の番組を見ていたからです
植木等と聞くと「スーダラ節」が頭に浮かびます
昭和36年(1961年)青島幸男作曲
♪チョイト一杯のつもりで飲んで いつの間にやらハシゴ酒…分っちゃいるけどやめられない ア、ホレ スイスイスーダララッタ スラスラスイスイスイ…
その後 無責任男で映画がシリーズ物が出て森繁久弥と小林圭樹の社長シリーズに取って代わりました
時代はもはや戦後ではないから高度経済成長期へ
爺は思うのです 植木等さんの様に昭和2から3年生まれは兵隊にはとられず(志願は別)戦後を迎えた方たちは戦後を猛烈に働き生き抜き高度経済成長時代を駆け抜けバブル経済がはじける頃には第一線を退きました 年金もそこそこ 60歳から給付を受けて人生の見通しが立ちました
植木さんの年代から10年後までは良い時代でした
その後10年の年代は50歳代になってバブル経済崩壊の影響を受け配転、リストラ、、早期退職 など終わりは厳しくなりました 年金も60歳から65歳へと先伸ばしに
爺はこの年代です お先は真っ暗ではありませんが大分夢見た老後が変わりました
この後の10年今団塊定年組といわれている方たちはもっと大変ですね
植木さんのお年と無責任男から一寸関連して思い出しましたよ
改めてよい時代に生きた植木さんに 合掌
スポニチ:
戦後の高度成長期を代表するコメディアンでクレージーキャッツのメンバー、植木等(うえき・ひとし)さん=本名同じ=が27日午前10時41分、呼吸不全のため都内の病院で死去した。80歳。三重県出身。本人の遺言により、近親者のみの密葬にし、来月初めにも「お別れの会」が執り行われる。肺気腫を患いながら仕事を続けてきたが、昨年、盟友の宮川泰(享年75)、青島幸男(享年74)の両氏を相次いで亡くし、憔悴(しょうすい)していたという。
今月1日に「クレージーキャッツ」に参加してちょうど50年を迎えた中、日本中にたくさんの笑いを届けてくれた植木さんが、静かに逝った。
所属する渡辺プロダクションによると、今月中旬に患っていた肺気腫が悪化。しばらくして意識が混濁し、27日午前、入院先の病院で登美子夫人と愛娘3人にみとられて亡くなった(後略)