円楽さん、異例の引退表明 「もう恥はさらせない」(朝日新聞) - goo ニュース
報道に拠ると落語家の三遊亭円楽師匠(74歳)が昨日25日の舞台を最後に引退を表明したらしい
師匠は長い事「笑点」の司会を務めていた 05年10月脳梗塞で倒れ歌丸師匠に司会が交代した 歌丸師匠が「常連は皆年金をもらう年になった」と披露していた番組を見た記憶がある 林家木久蔵師匠もお爺さんになったもんね
さて円楽師匠はリハビリに励んできた 昨年いつかの「笑点」で快気披露をした時の顔と語り口を見聞きしたがこれで「客からお足を頂くのは無理」と思った
国立劇場で「芝浜」を演じる事が決まった時その出来次第では引退もと口にしていた
爺はこの席での話し振りを聞いていないがご本人は納得行かなかったのであろう
演じるのは落語であるが人生の生き方(引き際)が素晴らしい
こう書いては見も蓋も無いが「芸能人やスポーツマン場合によっては政治家」等にはもうTVに顔さらすなと注意したくなる人士が結構いるもんだ
今後は円楽として直接舞台に立たなくとも円楽一門の頭領であるから後輩の指導に力を注いで欲しい
健康に留意され益々の活躍を期待します
朝日新聞:
テレビ番組「笑点」の司会で知られる落語家三遊亭円楽さん(74)が25日、「ろれつが回らない。もう恥はさらせない」と、記者会見で引退を表明した。円楽さんは05年10月に脳梗塞(のうこうそく)で倒れ、リハビリを続けて1年後に関西の高座に復帰。この日、「出来次第では、引退を覚悟している」と話して東京の国立演芸場の「国立名人会」に臨み、古典「芝浜」を口演した。
口演後に会見した円楽さんは開口一番、「だめですね」。約30分の予定が40分余りに長引いた「芝浜」を「ろれつが回らなくて、声の大小、抑揚がうまくいかず、噺(はなし)のニュアンスが伝わらない」と総括。「3カ月けいこしてきて、これですから。今日が引退する日ですかね」と話した。
会見では、評論家から引退の再考を促す質問も出たが、円楽さんは「黙って去っていく形が、自然かもしれません。お客さんは『まだまだできる』と言って下さると思いますが、それに甘えてたんじゃ、あたし自身が許さないんです」ときっぱりと語った。
円楽さんは現在、週3回の人工透析を続けている。今後、高座にあがることはないが、「弟子の会などに対談者としてゲスト出演する可能性はある」という。
円楽さんは東京・浅草出身で、55年に六代目三遊亭円生に入門。29歳で真打ちに昇進するなど早くから頭角を現した。「笑点」には66年の放送開始と同時にレギュラーで出演。83年から05年に倒れるまで断続的に司会も務め、人気を集めた。06年5月放送の40周年番組でも司会をした。
また、78年に師匠円生が落語協会を脱退した際、それに連なり、師匠の死後も円楽一門として弟子たちを率いている。
八代目桂文楽が71年、噺の途中で絶句し、「勉強し直して参ります」と言って高座を降り、二度と復帰しなかった例はあるが、高座の出来への不満から直後に引退表明したケースは極めて異例。(以下略)
写真は「芝浜」公演中の円楽師匠
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報道に拠ると落語家の三遊亭円楽師匠(74歳)が昨日25日の舞台を最後に引退を表明したらしい
師匠は長い事「笑点」の司会を務めていた 05年10月脳梗塞で倒れ歌丸師匠に司会が交代した 歌丸師匠が「常連は皆年金をもらう年になった」と披露していた番組を見た記憶がある 林家木久蔵師匠もお爺さんになったもんね
さて円楽師匠はリハビリに励んできた 昨年いつかの「笑点」で快気披露をした時の顔と語り口を見聞きしたがこれで「客からお足を頂くのは無理」と思った
国立劇場で「芝浜」を演じる事が決まった時その出来次第では引退もと口にしていた
爺はこの席での話し振りを聞いていないがご本人は納得行かなかったのであろう
演じるのは落語であるが人生の生き方(引き際)が素晴らしい
こう書いては見も蓋も無いが「芸能人やスポーツマン場合によっては政治家」等にはもうTVに顔さらすなと注意したくなる人士が結構いるもんだ
今後は円楽として直接舞台に立たなくとも円楽一門の頭領であるから後輩の指導に力を注いで欲しい
健康に留意され益々の活躍を期待します
朝日新聞:
テレビ番組「笑点」の司会で知られる落語家三遊亭円楽さん(74)が25日、「ろれつが回らない。もう恥はさらせない」と、記者会見で引退を表明した。円楽さんは05年10月に脳梗塞(のうこうそく)で倒れ、リハビリを続けて1年後に関西の高座に復帰。この日、「出来次第では、引退を覚悟している」と話して東京の国立演芸場の「国立名人会」に臨み、古典「芝浜」を口演した。
口演後に会見した円楽さんは開口一番、「だめですね」。約30分の予定が40分余りに長引いた「芝浜」を「ろれつが回らなくて、声の大小、抑揚がうまくいかず、噺(はなし)のニュアンスが伝わらない」と総括。「3カ月けいこしてきて、これですから。今日が引退する日ですかね」と話した。
会見では、評論家から引退の再考を促す質問も出たが、円楽さんは「黙って去っていく形が、自然かもしれません。お客さんは『まだまだできる』と言って下さると思いますが、それに甘えてたんじゃ、あたし自身が許さないんです」ときっぱりと語った。
円楽さんは現在、週3回の人工透析を続けている。今後、高座にあがることはないが、「弟子の会などに対談者としてゲスト出演する可能性はある」という。
円楽さんは東京・浅草出身で、55年に六代目三遊亭円生に入門。29歳で真打ちに昇進するなど早くから頭角を現した。「笑点」には66年の放送開始と同時にレギュラーで出演。83年から05年に倒れるまで断続的に司会も務め、人気を集めた。06年5月放送の40周年番組でも司会をした。
また、78年に師匠円生が落語協会を脱退した際、それに連なり、師匠の死後も円楽一門として弟子たちを率いている。
八代目桂文楽が71年、噺の途中で絶句し、「勉強し直して参ります」と言って高座を降り、二度と復帰しなかった例はあるが、高座の出来への不満から直後に引退表明したケースは極めて異例。(以下略)
写真は「芝浜」公演中の円楽師匠
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「お金を頂ける仕事ができなくなった。」と仰ったそうで、溜息が出ました。
政治家も芸人も定年がありませんからね、
意外な引き際に、新鮮さを感じ、今後幸せに生きて頂きたいなぁと思いました。
円楽師匠は「笑点」や寄席でふざけて見えたのは「芸」で芸でお足が頂けないとご自分で見極めたら引退と「真剣勝負」で生きていらしたのでないかと
今後は体調に留意され後輩の指導に当たって欲しいものです 又お寄りください