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食糧危機再び?~こんな時にTPP参加を熱望する最低の菅「無能政権」

2011-02-13 21:57:03 | 農業・農政
食料高騰再び/世界の実態を直視せよ(日本農業新聞論説)

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 穀物をはじめとした世界の食料需給動向が、再び緊迫感を強めている。シカゴ穀物相場は、食料危機が叫ばれた2008年以来の高値水準に達した。国連食糧農業機関(FAO)の調査によると、世界の食料価格は08年水準をさらに上回り、2カ月連続で過去最高を更新した。世界の食料需給は高騰前の05年以前とは大きく変化し、逼迫(ひっぱく)、価格高止まりの様相を色濃くしている実態を直視しなければならない。

 食料価格高騰は、ロシアやオーストラリア西部の干ばつ、米国の大雨など、世界各地で起きた異常気象によるものが大きい。米国ではトウモロコシの収穫量が予想を下回り、年間の需要量に対する期末在庫量の比率(在庫率)は、過去2番目に低い水準になる見通しだ。

 シカゴ相場は昨年11月以降急騰。12月には、小麦が1ブッシェル(約27キロ)7ドル台後半、トウモロコシは同(約25キロ)6ドル前半、大豆は同(27キロ)13ドル超に達した。05年に比べると、小麦は2.5倍、トウモロコシは3倍、大豆は2倍の水準だ。2月に入っても高騰は続き、小麦は8ドル半ば、トウモロコシは6ドル後半、大豆は14ドルを突破した。

 この水準は今年の北半球での作柄が見通せる6月ごろまで続くとの見方が強い。仮に、今年も異常気象の影響を受ければ、さらに相場が上昇する可能性もある。先高感が強まれば投機資金がさらに流入し、価格を押し上げることも想定される。また、為替レートが08年当時のように1ドル100円を超える水準になれば、6割を輸入に頼る日本国内の食料品が値上がりし、国民生活に大きな影響を及ぼすことは必至だ。FAOが毎月発表する世界食料価格指数(02~04年を100)を見ると、昨年12月は215と、ついに08年6月の214の水準を超え、統計を取り始めた1990年以来の最高を更新。今年1月は231となり、2カ月連続で過去最高を更新した。

 食料価格の高騰は、チュニジア、エジプトなどの中東、北アフリカ各地で起きている市民デモや暴動が一因との見方も強い。ロシア産小麦が禁輸で手に入らなくなり、価格が高い米国産を買わざるを得ない状況にある。食料の高騰で、政治に対する国民の不満が一挙に噴出しているのだ。

 食料自給率が低く、経済がかつての勢いを失いつつある日本にとっても、この状況は対岸の火事では決してない。穀物自給率(07年)は28%で、世界177カ国・地域中124位。1億人以上の人口を抱える国で、50%を切っている国は日本以外にない。昨年3月に閣議決定した食料・農業・農村基本計画は、食料自給率目標50%を明記した。この目標を早期に実現し、国内生産を基本にした食料の安定確保を推進すべきだ。不安定感を増す世界的な食料需給情勢の中で、食料自給は政策的な重みをさらに増している。
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高騰する食料価格がついに2008年の水準を超えた。2008年といえば、燃料高騰と食料高騰のダブルパンチに見舞われ、国内では飼料価格の高騰に悲鳴を上げた畜産農家の廃業や、燃料高騰に怒った漁業者の「一斉休漁闘争」が起こった年だ。世界的な異常気象が背景にあるとはいえ、その水準さえ超えたというのだから、まさに異常事態である。

食料価格の高騰を「世界的な異常気象が原因」のひとことで片付け、物事の本質を見ようとしない(というより、支配層にとって都合が悪いので隠している)商業マスコミの報道にだまされてはならない。なぜならこの食糧高騰は一過性の現象ではなく、構造的なものだからだ。

2008年夏、レギュラーガソリンが1リットル180円に高騰し、小麦の価格も高騰してパンやパスタなどの価格が相次いで引き上げられた「悪夢の夏」をご記憶の方は多いだろう。この悪夢の夏が終わった直後にリーマン・ショックが訪れ、金融バブルが崩壊したのは決して偶然ではない。なぜなら両者はつながっているからだ。

安倍政権時代に内閣府大臣政務官を務めた田村耕太郎氏が、「FRB(米国連邦準備制度理事会)が大量に増刷してばらまいたドルが世界の商品市場に向かい、食糧価格を引き上げた」という興味深い論考を行っている(日経ビジネス)。田村氏は自民党と民主党を渡り歩くなど、政治的には評価に値する人物とは思わないが、この論考での指摘はきわめて的確である。

アメリカは強大な軍事力で戦後世界に君臨してきたが、一方ではベトナム戦争による大量のドル垂れ流しが原因でブレトン=ウッズ体制(金本位制)が崩壊するなど、戦争のたびに高い代償を支払ってきた。ベトナム戦争が終わって以降、イラク戦争までの間、アメリカ経済が小康状態を保っていられたのは大戦争を起こさなかったからである。アメリカは今回、アフガニスタン・イラクでの戦争によって再び高い代償を要求されている。この2つの戦争によって再びドルの大量垂れ流しが始まったことが、ドルの信認を大きく低下させ、基軸通貨を揺さぶっている。行き場がなく、さまよえるドルが投機先として向かった先が燃料、そして食料だった。2008年の燃料・食料のダブル高騰はこうした事態によって引き起こされたと見るべきである。だからこそ、この金融バブルが崩壊して燃料・食料の高騰が一段落した2008年秋に、リーマン・ショックが起きたのである。

こうして金融バブルは崩壊したが、アフガニスタン・イラク戦争によるドルの大量垂れ流しという現実がそれによって改善されたわけではなく、危機は依然として続いている。このところの食料の高騰は、迫り来る再度の危機の明らかな前兆である。これに、年明けからの中東ドミノ革命が追い打ちをかける。目ざとい投機筋はこの危機さえ利用して、石油でひと儲け企んでいるだろう。これから先、恐るべき燃料高騰が再び世界を襲うことは間違いない。

繰り返しておくが、これは構造的危機であり、異常気象による一過性の現象などでは決してない。こういう世界情勢の中、菅政権はTPPに参加して、生き馬の目を抜く投機の世界にのこのこと出て行こうとしている。ポリシーも物事の本質を見る目もない政権に、この世界的危機の時代の舵取りを任せるわけにはいかない。やはり菅政権には明日といわず、今日にでも退陣してもらうしかない。

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「残飯おせち」騒動から見えてきたグルーポンの強欲

2011-01-25 22:46:38 | 農業・農政
(この記事は、当ブログ管理人がインターネットサイト向けに執筆した原稿をそのまま掲載しています。)

 2011年は正月早々、ネット販売による「残飯おせち料理」騒動で始まった。すでに経過をご存じの方も多いと思われるが、横浜市の株式会社「外食文化研究所」が経営する「バードカフェ」製「謹製おせち」が見本と全く違うものだった上、遅配となり騒動に陥ったのである。実際に届いたおせち料理は見本からは想像もできない貧相なもので、インターネット上では「残飯」という酷評さえ見受けられた。遅配のほうも酷く、1月3日になってようやく届いたという例もあったようだ。

 抗議が殺到した同社は年明けから自主休業に追い込まれた。同社のホームページはお詫びの文章とともに「食材不足と人員不足」「発送伝票が重複」「人員不足による対応の遅れ」などが原因とする見苦しい言い訳が掲載されている。さすがにこの貧相な内容では責任を持って販売できないとして、発売中止を求める声も社内で上がったようだが、水口憲治社長が「トップ判断」で販売を強行したというのが真相のようだ。

 もちろん、このような事態を招いた原因がバードカフェとその運営企業「外食文化研究所」にあることは間違いなく、また食材不足、人員不足とみずから認める混乱状態にありながら、不完全なまま出荷強行の判断をした水口社長にあることは疑いがない。だが、今回の騒動を通じて見えてきたもうひとつの問題がある。ネットによるクーポン割引販売サイト「グルーポン」を巡る問題である。

●「ネット史上最速」の急成長の陰で

 グルーポンは、米国で2008年にアンドリュー・メイソンCEO(最高経営責任者)が始めたサービスである。飲食店が一定の割引を適用することを条件に顧客を募集、一定数の顧客が集まったら成約となり割引料金で飲食サービスが提供される。「最少催行人員○名」とチラシに記載して、その人数が集まったら割引ツアーが成立、実施に移されるという旅行業界のパックツアーと似た仕組みで、割引サービスとしてはインターネットを使っていること以外、特に目新しいものではない。日本では2010年秋頃から注目され始め、あっという間に「ネット史上最速」の急成長を果たした。

 この不況とデフレの時代、急成長する「ビジネス」の背景には必ず何かがあるはずだ。そう思って新年からいろいろ調べていると、グルーポンの驚くべき実態が見えてきた。手数料率が半端ではなく、なんと「基本50%」なのだ。

 例えばある飲食店で定価10,000円のコース料理があるとしよう。この料理に顧客を100人集めることを条件として、半額の5,000円で割引クーポンを売り出す。100人集まったら初めて契約が成立となり、生産に入る。グルーポンに納める販売手数料として半額を支払うので、1個売れるごとに飲食店に落ちる金額は2,500円となる。

 この時点で、飲食店に落ちる金額は定価の25%にまで減少したことになる。飲食業界では、一般的に原材料費(食材の仕入れ費)が販売定価の3割といわれており、これでは原材料費もまかなえない。おそらくグルーポンに参加している飲食店のほとんどが赤字だろう。50%引きなんて極端だと思うなかれ。グルーポンのサイトを見ると、実際には66%引き、72%引きなどというもっと極端な値引き商品が並んでいる。72%引きで販売した売り上げの半分をグルーポンに持って行かれたら14%しか残らない。

 このような状態になってまで飲食店がグルーポンに参加する理由は何か。識者は、(1)広告費の代わり(広告は打っても空振りのときも多いが、グルーポンだと確実に売れ、食材が残らないだけ効率的)、(2)稼働率を上げるため(空席を抱えるより価格を下げても席を埋めたい)・・・等々をその理由として挙げている。

 だが、安売りが始まったら客が殺到して価格を元に戻したら急に閑古鳥、という牛丼業界などの「勝者なき消耗戦」を見ていると、とてもうまくいくとは思えない。安売りクーポンがあるときだけ客が殺到して、平常価格に戻ると見向きもされなくなるデフレ地獄に陥り、結果として「名ばかり店長」に代表される飲食業界の「ブラック化」だけが一層進行する、という未来が待っていることは容易に想像できる。

 ●呆れるほどの強欲

 「残飯おせち騒動」では、バードカフェと外食文化研究所に抗議が殺到したのは当然としても、内容をチェックせずに販売していたグルーポンにも抗議が殺到した。正月明けになり、グルーポンはおせち騒動の再発防止策を発表したが、その内容が商品の事前チェックの導入とお客様相談ダイヤルの開設というのだから、サービス業が聞いて呆れる。本来ならその程度のことは事業を開始する前に解決しておかなければならないものだ。

 そもそも、グルーポンのようなサービスは、意地悪な表現をするなら「単なる場所貸し」に過ぎない。知名度がなくて集客に苦労している飲食店と、安い店を探している消費者とをマッチングさせるため、ネット空間を提供するただの場所貸しである。グルーポンがみずからを単なる場所貸しだと認識して謙虚な姿勢で事業を行うなら、手数料率はせいぜい数%~1割程度とすべきだし、逆にみずからをネットで飲食の提供を行う総合サービス業と認識するなら、ある程度高い手数料を許容される代わりに苦情対応などの社会的責任もきちんと果たすべきだろう。「手数料は半分寄越せ、でもウチはサービス業でもないただの場所貸しだから、買った商品に苦情があるときは出品したお店に言ってね」では厚かましいにも程があるし、こんなあこぎなビジネスをしているのだから、ネット史上最速の急成長もするに決まっている。

 「本家」である米国グルーポンのメイソンCEO自身、「利他的な目的で存在するサイトや商品が成功した例はほとんどない」という驚くべき発言をしている。メイソン氏は、自分が欲しいと思うサイトや商品がなかったから自分が作ったら、そこからヒットが生まれることが多いのであって、自分自身の利便性を考える姿勢こそヒットの源泉なのだという意味でこのような発言をしたらしいが、手数料率50%というグルーポンの強欲さと残飯おせち騒動の事実を知った後でメイソン氏の発言を聞いても、もはや私はそれを額面通りに受け取ることはできない。そこには「自分さえ儲かれば他人がどうなろうと知ったことではない」「どんな卑怯な手、汚い手を使っても勝った者が正しいのだ」という、いかにも小泉、竹中的腐臭がプンプンと漂うのだ。

 このような強欲なサービスは長続きしないだろう。グルーポンが、いずれもっと穏健で謙虚な同種のサービスに取って代わられることは間違いない。

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諫早湾干拓事業訴訟で原告勝訴~今こそ美しいムツゴロウの海の再生を!

2010-12-15 22:54:48 | 農業・農政
諫干 国が上告断念 首相表明 開門調査へ(西日本新聞) - goo ニュース

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 菅直人首相は15日、国営諫早湾干拓事業(長崎県諫早市)の潮受け堤防排水門をめぐり5年間の常時開放を命じた福岡高裁判決について、「高裁の判断は大変重いものがある」として上告を断念すると表明した。16日に鹿野道彦農相と筒井信隆農林水産副大臣らが長崎県を訪れ、中村法道知事や干拓地の営農者らに伝える。判決が確定することになり、農水省は2012年度にも5年間の開門調査を始める方向で検討に入った。17日に正式に決定する。 

 菅首相は15日、官邸で鹿野農相や法相を兼ねる仙谷由人官房長官と協議し政府としての対応を決めた。終了後、菅首相は記者団に「ギロチンと言われたあの工事の時以来、私なりの知見を持っていたので、総合的に判断して上告しないという最終判断をした」と述べ、農水省などの上告方針を覆し「政治決断」したことを強調した。

 高裁判決後、農水省は「法的義務として5年間の常時開放は受け入れられない」として上告する一方、1年以上の開門調査を実施する方針を固め、官邸側と協議。野党時代から同事業の推進に反対してきた菅首相は、農水省の上告方針を受け入れず、上告見送りを模索。首相の強い意向を受け、鹿野農相が上告断念を受け入れた。

 地元の長崎県では、調整池の水を農業用水に利用する干拓地の営農者や、水害などの防災機能の低下を心配する市民などが開門調査に反対しており、政府方針への反発は必至。同事業の管理者は長崎県に移行しており、県側が強硬に拒めば、開門調査実施は困難とみられる。

 農水省は11年度予算の概算要求で開門調査の準備経費4億円を計上。実施中の環境影響評価(環境アセスメント)の中間報告が出る来年5月以降に本格的な準備を進める。「常時開放」の具体的な開門方法は高裁判決や環境アセスメントを踏まえ検討する。

=2010/12/15付 西日本新聞夕刊=
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(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 国営諫早湾干拓事業によって諫早湾の潮受け堤防排水門が締め切られ、有明海の生態系が大きく変化し、漁業に大被害を受けたとして、諫早湾沿岸の漁民らが国に排水門の開門などを求めた諫早湾干拓事業訴訟で、2010年12月6日、2審の福岡高裁は原告勝訴とした1審・佐賀地裁判決を支持し、国に5年間排水門を開門するよう命ずる判決を言い渡した。1審に続く原告勝訴の判決だ。

 この判決について、政府は上告断念を表明。期限までに上告しなかったことによって、福岡高裁判決が確定することになった。これにより、諫早湾干拓事業は完全に息の根を止められるだろう。唯一、干拓地に多くの農民が入植している長崎県だけが排水門の開門に強く反対しているが、判決が国の勝訴ならばともかく、敗訴とあっては高裁判決と国の両方に一地方自治体が抵抗し続けることは困難だ。

 ムツゴロウの住む豊かな有明海への「ギロチン刑執行」と言われたあの衝撃的な潮受け堤防の閉め切りから10年以上の歳月が流れ、干拓地では野菜作りなどの農業もようやく始まった。それだけに、この諫早湾干拓事業は「進むも地獄、退くも地獄」の状況になりつつある。上告断念によって国が事業を中止した場合、今度は干拓地で営農している農家から訴訟を起こされることになりかねない。

 だが、いろいろな事情を総合的に判断した結果、それでもやはり筆者は諫早湾干拓事業を失敗と認め、ここで退くべきだと考える。

 諫早湾に限らず、日本で過去に執行され、あるいは執行が計画された干拓事業は、すべて旧農業基本法による農業の「選択的拡大」路線に基づいた大規模化を主な動機としていた。日本で最初の干拓事業だった秋田県大潟村(八郎潟)では大規模化が成功し、大潟村だけで年間約85万トンのコメを生産している。現在の日本の年間コメ生産量が800万トン程度だから、大潟村だけで全国のコメの1割を生産していることになる。

 農水省と日本の経済界が作りたかったのは、大潟村のようなモデル農村なのだろう。日本のコメ農業がみんな大潟村のような「最小限のコストで最大限の生産」ができるようになれば、安心して貿易自由化を推し進めることができるからである。国土の7割を山林が占め、山が海にへばりつくようにせり出している地形のため平野部が極端に少ない日本でアメリカのような大規模効率化経営を実現するには干拓しかないことを、関係者はよく知っていた。

 だが結局、大潟村に続く「モデル農村」の試みはどこでも成功しなかった。島根県の宍道湖・中海干拓事業は、生態系破壊を恐れる県民の反対で事業に入ることさえできないまま中止された。諫早湾でも、有明海を殺す干拓への反対は予想以上に大きく、地方自治体レベルでも、有明海沿岸各県のうち推進は長崎だけ。福岡、佐賀は明確に反対、熊本も中立もしくは反対という状況だった。

 諫早湾干拓事業を暗転させたのは、環境保護を求める世論のかつてない高まりである。干拓は海の生態系を変化させずにはおかないからだ。八郎潟にしても、環境保護という考え自体が存在しなかった時代だからこそ成功できたといえよう。歴史に「もしも」は禁物だが、八郎潟もあと20年遅かったら、環境保護の世論に押されて事業は成功しなかったに違いない。

 2010年12月15日付け日本農業新聞論説は、干拓農民の声を重視する立場から開門反対を訴えている。いつもは日本農業新聞の論説を筆者は肯定的に捉えることが多いが、今回の論説には同意できない。「太陽光発電を使った環境重視の農業」は確かに結構なことなのだが、有明海を殺し、ムツゴロウの死骸の上に成り立つ「環境重視の農業」にどれほどの意味があるのだろうか。

 農業では森を見る前に1本1本の木を見ることが大切なことももちろんあるが、一部でなく全体を見て判断しなければならないことも多い。今回の問題はまさに全体を見て判断すべきものである。農業は同じような条件の農地が他の場所にあれば、移転して耕作を続けることができるが、漁業は海を移転させることはできないのだから、代替地に移って続けるという選択肢はあり得ないのである。

 有明海で海の幸に感謝して生きる漁民たちと、干拓地で自然に感謝しながら環境重視型農業を営む農民たち。どちらがより尊いとか、尊くないなどという比較はできないし、すべきでもない。だが、前述したようなそれぞれの特性(漁業は移転できないが、農業はできる)を考えれば、ここは干拓農民たちが譲らなければならないと筆者は考える。

 当たり前のことだが、干拓農民たちにも生活がある。今回の高裁判決が確定すれば、干拓農民たちは緒に就いたばかりの新しい農業が安定軌道に乗るいとまもないまま移転を強いられることになる。ここには国がしっかりと代替農地を手当てするとともに損害を補償すべきであることは言うまでもない。

 日本では、1985年まで耕作放棄地の面積はほぼ一定だったが、その後急速に増え始め、2005年には、ほぼ埼玉県の面積に匹敵する38.6万ヘクタールもの耕作放棄地が生まれている。耕作放棄地になると農地は荒れ、農業が本来持っていた多面的機能(災害防止、地域社会の維持といった機能)をも失う。これだけたくさんの耕作放棄地を生み出しながら、有明海の自然を破壊してまで新たな農地を人工的に作る政策が正しいのかという疑問は当然、提起されるべきだろう。点在する耕作放棄地を集積できるような法制度の整備を進め、耕作放棄地を解消してゆく政策の中に新規就農対策をリンクさせていくことが、いま求められている農政のあるべき姿といえる。今回の敗訴を機に、日本の農業と農政は改めてこの基本に戻るときである。

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未来の産業、工場野菜

2010-11-29 21:51:39 | 農業・農政
「未来野菜」産地は工場 エコで手軽、価格も安定(産経新聞)

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 施設内で効率的に野菜を栽培する植物工場が注目を集めている。店内で栽培した野菜を提供する“店産店消”の店も登場。栽培の手軽さから異業種の参入も増えているという。肥料や水などの資源を無駄なく使え、環境に配慮した「未来の産業」として期待が高まっている。(油原聡子)

 ◆店内で栽培、提供

 今春オープンしたイタリア料理店「ラ・ベファーナ汐留店」(東京)。店の中央に小型の植物工場が設置されている。高さ約2・3メートルのケース内には、幅約5・3メートル、奥行き70センチの棚が5段重ねられ、レタスなど4種類の葉物野菜が蛍光灯の光の下、水耕栽培されている。レタスの成長速度は露地栽培の3分の1の約30日。主な作業は週に1回程度、水を替えるだけという手軽さだ。店で使う半分を無農薬で栽培、毎朝約60株を収穫している。1年で2万株収穫可能だという。

 店内で栽培したレタスを使ったサラダを食べた千葉県柏市の男性会社員(31)は「工場で野菜を作るなんて未来のイメージ。柔らかい食感ですね」と満足げだ。マネジャーの大島力也さん(44)は「10月に野菜が高騰したとき、レタスの値段が3倍から4倍に上がったが、店で作っていたから影響は少なかった」と話す。光熱費などはかかるが「通年で見れば畑の無農薬野菜よりやや高いくらいでは」。

 植物工場に詳しい千葉大学の池田英男客員教授(62)=施設園芸学=は「生育環境をすべて制御するのが植物工場。少ない資源で効率よく生産でき、環境への負荷が少ない」と説明する。太陽光を使わずに完全人工制御する「完全人工光型」と、天候によって照明や室温制御も行う「太陽光利用型」があり、人工光の利用は日本が世界的にも進んでいるという。

 土壌を使わない水耕栽培が一般的で基本的には無農薬。葉物が中心で、汚れがほとんどないため捨てる部分も少ない。肥料を効率的に吸収させることが可能で、水も循環利用できる。

 ◆異業種も参入

 課題は採算性だ。施設建設費や運営費などがかかり、露地栽培より割高になることが多い。ただ、年間を通して安定供給できるため、「天候に左右されず、計画的に仕入れが行える」(飲食チェーン担当者)というメリットも。野菜が高騰すると工場野菜の方が安くなることもある。

 農林水産省によると、工場野菜が比較的多いレタスでも市場流通は1%に満たないという。しかし、新規事業や雇用の確保を求め、企業の参入も進んでいる。山梨県の運送会社「山梨通運」は今春から、社員の再雇用対策として、植物工場を始めた。担当者は「マニュアルがあるので失敗はない」と話す。

 矢野経済研究所(東京)によると、植物工場の平成20年度の新規工場建設市場の実績は16億8千万円だが、32年度には129億円の規模に拡大すると予測している。
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この「野菜工場」がどこまで伸びるか現時点では不明だが、かなり期待できることは確かだろう。去年や今年のような異常気象が今後も常態化するようであれば、工場野菜のほうが安い状態が固定化する可能性もある。

この生産方式の利点は記事にもあるとおり安定性だが、一方、デメリットは施設整備費や運転コスト(燃料費など)、輸送費などである。消費地から遠ければ、それだけ輸送費がかさみ、価格に跳ね返る。既存の参入者の多くが企業で、他業種からの参入が多いのも、元々あった遊休施設(空き工場など)を転用したため、初期投資が安くついたからだろう。外食産業などが、自分たちで消費する野菜を安定供給したくて参入するケースも目立っている。これなら「店産店消」とまではいかなくても、店の近くに工場を設けて輸送コストを最小限に抑えられる。

露地物の野菜を生産する農家の多くは高齢化しており、今後、引退が相次いでいく。農地も持たず、父母が農業者でなかった若い人たちが農地も持たずに身ひとつで参入してくるケースも増えるだろう。そのとき、畜産や果樹・花きのような「施設利用型農業」のひとつとして野菜生産を担う新規参入者が出てくることは容易に想像できる。そうした人たちに、施設での野菜生産を選択してもらえるように、今から制度的枠組みを整えておくことが必要だと思う。

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戸別所得補償制度元年 それでも続く米価崩壊~私たちはどうすれば?

2010-11-25 22:29:28 | 農業・農政
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 自民党から民主党に政権が交代した2009年は自民党政権が編成した予算の大幅な組み替えができないまま暮れ、今年、2010年こそ民主党政権の予算編成元年となった。子ども手当と並ぶ民主党政権の目玉政策は、コメ農家に対する戸別所得補償制度であった。そのモデル対策が実施され、戸別所得補償制度元年となった2010年を振り返り、猫の目のようにクルクルと移り変わった農政の進むべき方向を再検証してみたい。

●戸別所得補償制度の概要

 民主党政権が導入した戸別所得補償制度は、農林水産省の説明によれば、米のモデル事業(2010年度限り、2011年度からはモデル事業を本格実施に転換)と自給率向上事業の2つの政策から成る。モデル事業は、需給調整(いわゆる減反)に参加しているコメ農家に対して主食用米の作付け面積10アール当たり15,000円を直接支払により交付して、水田農業を担う農家の経営安定を図る事業である。自給率向上事業は、大半を輸入に頼る麦、大豆などや米粉用米、飼料用米といった自給率向上のポイントとなる作物の生産を行う農家に対して、主食用米を作った場合と同じ水準の所得が得られるよう、作物に応じた金額を直接支払により交付する事業である。

 とはいえ、自給率向上事業は、名称こそ違うものの、供給過剰基調が続くコメの生産を抑え、余った水田で米粉用米や資料用米、麦や大豆などの転作作物を作らせるという意味において、自民党政権下で2009年から本格的に始まった水田フル活用事業(水田最大活用推進緊急対策)と酷似しており、その延長線上に位置づけられる政策と見てよい。

 ただ、大きな違いがひとつある。自民党政権下での減反が主として米価維持政策であったのに対し、戸別所得補償制度の一環としての自給率向上事業は、農家への直接支払であることだ。水田フル活用政策は、あくまでも自民党政権が旧来から行ってきた減反の延長線上にあった。主食用米の生産量を政策的に抑えることによって供給を減らし、米価を維持しようとする。そのため、減反に参加する一部農家の努力によって主食用米の供給が減った結果、米価が維持され、その効果は減反に参加しない農家にも及ぶことになった。つまり、減反に協力する正直者が馬鹿を見るという側面があり、公平感という意味で無視できないものがあった。

 これに対し、戸別所得補償制度による直接支払は、減反に参加した農家だけを対象とするようにした結果、不公平感が解消することになった。これは、減反に実効性を持たせるという意味では、大きな前進といえるものだ。

●初年度から予算不足の危機

 しかし、結論から言うと、戸別所得補償制度はモデル対策が試行的に実施された2010年度から早くも大きなほころびを見せた。その要因は、農政側の制度設計がきわめて大ざっぱなものであったことのほか、110年に一度の猛暑という人知ではいかんともしがたい不可抗力の側面もあった。また、後述するコメの特殊性も背景にある。

 制度設計の問題とは、直接支払額を「標準的な生産コスト」と「標準的な販売価格」を基に面積単位の全国統一単価としたことである。これは、経営努力により生産コストを削減している農家の取り組みを一切評価しないことにつながる。

 また、品種の違いを考慮せず統一単価としたことは、高品種のコメ(つまり、高く売れるコメ)を生産している東北・北陸などの米どころほど、設定した単価では足りないということを意味する。こうした米どころの地方では、戸別所得補償制度の内容が周知されるにつれ「支払額が足りなくなるのではないか」と噂され始めた。しかも、そのような声は2010年の田植えが始まる前からすでに顕在化していたのである。

 しかし、制度のほころびは、農家が危惧していたのとは全く異なる方面からやってきた。110年に一度という、近代農業が経験したことのない異常な猛暑である。

 気象庁によれば、今年の猛暑は1898年の統計開始以来最悪となるもので、特に8月は、沖縄・奄美を除く全地域で平年の平均気温を2度以上上回った。真夏日(最高気温30度以上)は西日本のほぼ全域で9月末まで続いた。熱中症だけで400人を超える死者が出たことはまだ記憶に新しい。

 この猛暑は、2010年産米における1等米比率の極端な低下となって現れた。10月20日、農水省が発表した2010年産米の検査結果によれば、最も品質の良い1等米は64.4%。過去5年間では2008年産の77.5%をはるかに下回り、1999年(63.0%)以来11年ぶりの低水準となった。1等米比率を低下させた大きな要因は胴割れ(米粒の中央に横線のような亀裂が入ること)と呼ばれる高温障害にあった。

 この結果、2010年産米の1俵(60kg)当たり価格は、過去最低を記録した2009年産米よりもさらに2,000円程度下落すると見込まれる。農水省は、その年に生産されたコメの販売価格が過去3年の標準販売価格を下回った場合に上乗せ支給する「変動部分」の算定に入っているが、1等米比率の低下幅が大きすぎ、早くも予算不足となる懸念が出ている。

●根本原因は日本人のコメ離れ

 米価は、食糧管理制度が解体させられた20年ほど前から右肩下がりで低下を続けている。大半が農業生産法人でなく個人農である日本では、米価はイコール農家の所得であり、農水省も農家も、そして自民党も減反によってなんとか米価下落を食い止めようと努めてきた。しかし、減反を上回るスピードでコメ消費の減少が進み、生産を減らしても減らしても余るという状況は今日なお続いている。

 1920~30年代には、日本の人口は8000万人と現在の3分の2であったにもかかわらず、年間1600万トンものコメを消費してきた。現在は、当時と比べ人口は4000万人も増えたのに、日本の年間コメ消費量は800万トンに過ぎない。1990年頃と比べても、当時の年間コメ消費量は1000万トン前後だったから、20年で2割も低下したことになる。極端な日照不足と長雨により、作況指数が戦後最悪の75を記録、「100年に一度」「祖父母も経験したことのないほどの大冷害」といわれ、外国産米の緊急輸入に追い込まれた1993年のコメ生産量はおよそ780万トンに落ち込んだが、20年後の今日、この大冷害の年の生産量でも足りるほどコメ消費は減少してしまったのだ。

 こんな状況だから、減反してもしてもコメが余り、米価が下落を続けていくのもうなずける。もはや日本人のコメ離れ、コメ消費の減少は、農政と農家の努力でどうにかなるレベルを超えてしまっている。

●コメの価格特殊性

 米価低落の背景に日本人のコメ離れがあるとしても、価格低下の幅があまりに大きすぎるのではないかという疑問は多くの読者が抱いているかもしれない。20年間で2割消費量が減少したとしても、1年では1%の減少に過ぎないのに対し、2010年産米は60kg当たり2,000円も下がり、11,000円となる見通しだというのである。仮に見通し通り下落すれば、13,000円のうちの2,000円は15%にも相当する。1等米比率の低下と年間1%の消費量の減少だけでは、15%もの極端な米価下落を説明できない。

 実は、米価は過去にも生産量のわずかな増減の割に大きく変動してきた。その背景には、コメが自給作物として、基本的に生産した国で消費され、国際貿易市場に出回る量がきわめて少ないという事情がある。国際貿易市場で取引されるコメの量は、生産量の3~5%程度といわれる。生産量の20~25%が輸出を想定して生産される大豆や小麦とはそもそも前提が全然違うのである。世界のコメ生産量は概ね年間5億トンと言われているから、国際貿易市場に出回るのはわずか1500万~2500万トンに過ぎない。

 この事実は、大量にコメを消費する日本のような国で、前述した93年のような大凶作が起きたとき、国際市場から不足したコメを買い付けるのがきわめて困難であるということを意味している。実際、日本が259万トンものコメを緊急輸入した93年には、わずか半年で1トン当たり235ドルだった取引価格が500ドルを超えるまでに高騰した。日本が輸入した量は、国際貿易市場に出回る量からすれば最大でも5分の1に過ぎないにもかかわらず、価格は2倍以上に跳ね上がったのである。

 生産量の変化に敏感なのは国内市場も同様で、93年の大凶作の直後、94年2月には60kg当たり60,000円を超える価格が付いた地域もあった。

 国際貿易市場に出回る量が少なく価格変動幅が大きいコメのような作物は、一攫千金を狙った投機筋が暗躍する場にもなり得る。日本国民の主食であるコメが、常にこうしたリスクにさらされている事実は、ほとんど知られていない。

●ミニアム・アクセス米の輸入は直ちに中止せよ

 世界各国のコメ生産が国内自給を前提として行われ、凶作により国際市場からコメを買い付けたい国があっても、出回る量が極端に少ないという状況の中で、日本は1995年のガット・ウルグアイラウンド農業合意により、必要もないミニマム・アクセス米(MA米)を毎年輸入するよう約束させられた。MA米の多くは主食用米として出回らないまま、政府の食料倉庫に眠るか、加工用米に転用されている。その加工用米の需要も、前述した水田フル活用や、自給率向上事業による転作米に今後は取って代わられるだろう。その一方で、コメを主食としながら経済的に貧しい発展途上国(その多くがアジア地域である)は、日本のMA米輸入によりさらに取引量が少なくなった国際市場で満足なコメ買い付けもできず、災害による大規模な凶作のたびに食糧不足に苦しんでいる。

 こんな愚かな農政を日本はいったいいつまで続けるつもりなのか。多くの識者が指摘しているように、ウルグアイラウンド協定のいかなる条項も日本にMA米の輸入義務など課してはいない。すべては日本の自主的な政策として行われてきた無駄な輸入に過ぎない。

 世界的に農産物が過剰基調にあるという認識の下で作られた農産物の貿易自由化という枠組みそのものが、今や全くの時代遅れとなった。世界人口は60億人に近づいており、その1割を超える9億が飢餓に直面している。今こそ日本は、途上国に災いだけをもたらす不要なMA米輸入などやめ、発展途上国のためにも、世界のコメ需給緩和に努めなければならない。

●今後の課題-価格維持政策か所得補償か

 本稿筆者は、かつて戸別所得補償制度は日本の農業を救わないが、生命維持装置としてその死をいくぶん先に延ばすことはできると指摘した。高齢化した個人農にできるだけ長く水田にとどまってもらう上で所得補償が一定の効果を発揮することは疑いないが、結局彼ら彼女らがリタイアすればその先はないという意味であり、筆者の戸別所得補償制度への態度はあくまでも「消極的容認」に過ぎない。

 戸別所得補償制度について、モデル事業もまだ終わっていない現段階で評価を下すのは早すぎることは承知しているものの、初年度に早くも顕在化したいくつかの問題を巡って、今後のコメ政策が価格維持政策中心であるべきか、所得補償中心であるべきかについて述べておくことは必要である。それは、長く日本を支配してきた自民党政権が前者を基本としてきたのに対し、2009年に政権を奪取した民主党が後者へと政策を一変させたことに見られるように、民主・自民両党の農業政策の鋭い(けれども、ほとんど唯一の)対決点ともなっている。

 減反や余剰米の政府買い上げといった価格維持政策は、すでに述べたように、減反に参加している一部農家の努力によって米価が維持され、その成果が減反に参加しない農家にも及ぶという意味で不公平感が出ることが問題である。一方、わずかな収穫量の増減が大幅な価格の変動につながることが多いコメの場合には、農家所得を金銭(直接補償)で調整するよりも、コメの市場への供給量で調整するほうが安く済む場合が多く、財政負担という点で優れた方式である。所得補償はその逆で、公平である反面、収穫量の増減がわずかである割には多額の財政負担を強いられる場合が多いというのが欠点である。

 結局のところ、どちらを選ぶかは農業を国民経済と国民生活の中でどのように位置づけるかによって決まるといえよう。コメは主食なのだから国民全体で支えるべきだという観点に立つなら、税金で所得補償を行うことは立派な農家支援策といえる。一方、コメ生産の維持はあくまで受益者=消費者の負担であるべきだと考えるなら、価格維持政策がその中心になるだろう。ただ、主食であるコメへの関わり方は濃淡があるとしても、日本国民のほとんどが毎日1回はコメを食べているに違いないから、コメに関する限り、受益者負担か税負担かというのはそれほど大きな問題にはならないのではないだろうか。

 2010年の戸別所得補償制度元年におけるモデル事業は、こうした事実を浮き彫りにし、再検討する機会を農政関係者に教えてくれただけでも有意義な経験だったといえそうだ。

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日本国民の「いのちの食と農」壊滅させるTPPに断固反対を!

2010-10-25 23:04:38 | 農業・農政
TPP参加検討/今こそ共生の道筋示せ(日本農業新聞)

壊滅招くTPP/農業団体の声反映せよ(日本農業新聞)

菅政権になって以降、新自由主義への動きが強引かつ目に余る。日本農業新聞が訴えているように、これは日本農業を丸裸にする暴挙だ。最近また、自民党政権時代と同じ「大規模化」「やる気のある農家への選択と集中」を求める動きが強まっている。だが、大規模化が幻想に過ぎないことは、戦後農政60年の歩みを見れば一目瞭然だ。

今まで農業が論議となるたびに言われてきたことだが、湿田に1本1本、苗を植えていく日本と、何十ヘクタールもある巨大な乾田にヘリコプターで種をまいていくようなアメリカやオーストラリアでは競争にさえならない。やる気で何とかなるレベルではないのだ。「それなら日本もアメリカみたいに乾田にヘリで種をまけばいい」という考えも間違いである。傾斜地が多く、湿潤で降雨量の多い日本には、そのような耕作方法はそもそも不向きなのである。

水田が持つ、保水や環境保護といった多面的機能もなくなってしまう。最近の集中豪雨による水害の多発は、水田の耕作者がいなくなったことによる保水機能の低下が一因といわれているが、もし農業を自由化して大規模農業しか生き残れなくなれば、中山間地域の保水機能を担っている小規模経営は壊滅する。保水機能はさらに低下して水害はますます増えるだろう。

農業の多面的機能は、経済価値に換算すれば数十兆円にもなるという試算が過去に行われたこともある。地方の食品産業、加工業、流通業へ与える影響も考えれば、農業壊滅による損害は百兆円規模に達するかもしれない。

2008年末の「年越し派遣村」以降、日本は新しい社会に突入したのだ。製造業や建設業で解雇が相次ぎ、大都市が労働者を食べさせることが次第にできなくなりつつある。一方、新たな時代を担う医療、介護、福祉、教育などは郊外から中小都市、地方に拡散しながら都市から地方への逆流の流れを作り出しつつある。先日、このブログで取り上げた若年世代の給与の男女逆転も、こうした産業構造の変化の流れの中に位置づけられるのである。今後は農業やこうした事業が主役となり、新しい時代を作っていくことになる。競争から共生へ向けた新しい時代を。

民主党政権にはこうした時代の流れが見えていないとしか言いようがない。TPPなど日本には不要だ。グローバリズムはもう過去の遺物であり、経団連と一緒に博物館にでも展示しておけばいい。ついでに自民党、民主党、みんなの党、そして経産省も一緒に展示しておくことにしようか。

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農業軽視の前原外相発言を許すな!

2010-10-20 23:35:17 | 農業・農政
外相発言に農水省抗議へ=農業切り捨て論と反発(時事通信)

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環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加を主張する前原誠司外相が第1次産業の切り捨て論とも取れる発言をしたことに対し、筒井信隆農林水産副大臣は20日の記者会見で、農水省として抗議する方針を明らかにした。農水省はTPP参加に慎重で、さや当てが激化している。

前原外相は19日の講演で、TPP交渉参加を改めて主張した上で「日本の国内総生産(GDP)における第1次産業の割合は1.5%だ。1.5%を守るために98.5%のかなりの部分が犠牲になっているのではないか」と述べた。

 この発言は、20日の民主党農林水産部門会議で問題となり、「ほんの一部だから捨ててもいいという趣旨につながる発言で、強く抗議してほしいという要請があった」(筒井副大臣)という。

 同部門会議の佐々木隆博座長は筒井副大臣とそろって会見し、「前原大臣の発言は修正あるいは撤回していただかないといけないという意見が出るのは当然だ」と述べた。
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当ブログは、このふざけた発言を絶対に容認しない。前原外相は、この発言だけでも万死に値する。今すぐ外相など辞めるべきだ。

前原発言の問題点は、「少数者は切り捨ててもいい」ということ、さらに言えば「国民の命を守る食と農」を切り捨てても大企業が儲かればそれでいいと、白昼公然と表明したことだ。

カロリーベースで40%に過ぎず、先進国最低といわれる日本の食料自給率だが、その40%を誰が守ってきたのか? 1.5%の篤農たちが守ってきたのではないのか。1990年代、牛肉・オレンジをアメリカに売り渡してまで守った財界と自動車産業が、我々に何をしてくれたのか? 日本の労働者すべてを貧困に落とし込む非正規雇用化と大量の首切りではないか!

日本国民と労働者を貧困と不幸のどん底に陥れた財界や自動車産業への配慮など不要だ。雇用も生み出そうとしない産業などいらない。そんなに儲けたければ宇宙にでも行って勝手にすればいい。貧しくとも米などの農産物さえあれば、食うに困ることはない。お天道様に感謝し、天からいただいた恵みをおいしくいただく。それだけで十分ではないか。

その程度のこともわからないような人物が閣僚としてこの国を運営しているという屈辱に私はこれ以上耐えられない。前原のような「亡国の徒」には1日も早く内閣から去ってもらうほかはない。

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【農地法改正】企業参入と担い手/副作用徹底して審議を

2009-03-06 22:16:07 | 農業・農政
企業参入と担い手/副作用徹底して審議を(日本農業新聞論説)

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 政府は農地法改正案を国会に提出した。狙いの一つは、企業の農業参入促進であることは間違いない。農水省の伝統的な担い手政策を修正する考えが含まれており、影響はさまざまな面に及ぶ。国会審議で、企業参入の可能性と限界、参入による副作用について、よく議論し、必要な処方せんを講じるべきだ。

 同省は、戦後の「自作農創設」から旧農業基本法の「選択的拡大」、「新しい食料・農業・農村政策の方向」の「効率的安定的な経営体」に至るまで、農家と、農家を基盤とする経営体(農業生産法人)を農業活動の主体に据えてきた。現行の食料・農業・農村基本計画で集落営農組織を担い手に位置付けたのも、この延長線だ。企業を新たな担い手とする考えは、農業構造改革の質的な変化で、「歴史的な大転換」であることを指摘したい。

 同省の構造改革とは、農業で勤労者並みの所得を挙げる農家を育成し、こうした層が生産の相当部分を占める効率的な生産体制を確立するというものだ。認定農業者とは、その目標に向かって経営努力する人であり、国がさまざまな対策で支援する。これが農政の基本である。ポイントは育成すべき対象があくまで農業内部にいるという点だ。

 今回の農地法改正案には、農業の内部外部を問わず、主体を拡大・多様化する意図が込められている。営農意欲があるなら、農家であれ企業であれ問わない。特区で始まったリース方式による企業などの参入は、2005年の農地法改正で全国に展開し、08年9月現在320に上る。今回は、所有制限が最後のとりでとして残ったが、この流れでは外れるのが時間の問題となる恐れがある。

 「企業への農地解放」が、さほどの軋轢(あつれき)を生まずに進む背景には、39万ヘクタール近い耕作放棄地を生み出した負い目が農業関係者にあるからだろう。農家自らが農地を守り切れないのに、とやかく言うなというわけだ。「耕作放棄地の解消」を、錦の御旗にして反対論を封じ込めている。

 企業の農業担い手論には、楽観論の響きが感じられる。規制緩和すれば企業の農業参入が次々と進み、自由化に対抗できる力強い農業構造が実現し、食料自給率も上がる――というようなことが簡単にできるだろうか。

 逆にこんなケースが想定されないか。企業は収益性の低い水田農業には参入しない。条件の悪い農地には見向きもせず、中山間地の耕作放棄地の増加に歯止めがかからない。地域によっては優良農地の取り合いが認定農業者との間で激化する。

 各党は企業の農業参入への過大な期待を戒めてもらいたい。国会は、農地法改正案の功罪を冷静に、そして十分に審議するべきだ。同時に家族経営に対する政策支援を後退させてはならない。
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いよいよ戦後農政の一大転換、農地法改正が日程に上ってきたようだ。

戦後農政の柱は、記事にもあるように「自作農創設」であり、これは別の言い方をすれば「小作農からの解放」を意味した。この戦後改革は、大地主による農民への搾取がなくなったという意味で巨大な前進ではあったが、所得の農工格差解消という課題の解決には失敗した。

農家の所得が増えなかったわけではない。しかし、戦後、サラリーマンの給与が10倍になったのに、米価は4倍程度にしかならなかったから、結果的に農業では食えなくなった。農家のうち、ある者は廃業して都会を目指し、またある者は兼業農家として農業を副業にしながら生活をすることになった。耕作放棄地の拡大は、食えなくなった農家が大量に廃業していった結果であり、農村の現実が深く影を落としている。

「耕す者が所有する」農地法の原則を、「土地を持たない者が耕す」貸与も含めた方向への改正が、こうした農村の現実を何とかしたいという思いから出たものであることは理解できる。自作農で食えなくなったことが耕作放棄の原因だから、土地資本の集積を認め、多様な経営体に参入をさせてみようということである。だが、うまくいく保証はない。

『企業の農業担い手論には、楽観論の響きが感じられる。規制緩和すれば企業の農業参入が次々と進み、自由化に対抗できる力強い農業構造が実現し、食料自給率も上がる――というようなことが簡単にできるだろうか。

 逆にこんなケースが想定されないか。企業は収益性の低い水田農業には参入しない。条件の悪い農地には見向きもせず、中山間地の耕作放棄地の増加に歯止めがかからない。地域によっては優良農地の取り合いが認定農業者との間で激化する』

日本農業新聞のこの予想は、かなり現実味を帯びていると私は思う。結局のところ、企業というのはビジネスのためにやるのだから、儲かるところでしかやらない。中山間地域のように、耕作放棄が広がり、本当に関係者が担い手を捜している非効率な場所ほど担い手は見つからないだろう。大潟村のように、個人農業でも何とか食べていける優良な土地ほど企業が虎視眈々と狙いを定めるというのは、じゅうぶんあり得るシナリオである。

もうひとつ、企業に農業を解放した場合、企業が狙っているのはおそらく高い付加価値をつけられそうな施設利用型農業(果樹・花き、畜産など)ではないだろうか。この分野ではすでにかなり企業化が進んでいるが(特に畜産)、既存農家の耕作放棄地を借りられるようになった場合、そこで水田を経営するのではなく、果樹・花き、畜産などが展開されるのではないかと当ブログは予想する。

もちろん、放棄された耕作地が有効に活用される中で、安全な食材が「顔の見える生産者」の元で供給され、自給率も向上するならそれに越したことはない。それに、事態がここまで深刻化した現在、「デメリットが考えられるから改革反対」と言う段階はとうに過ぎたのではないか。

だが、日本農業新聞の懸念もあながち杞憂とばかりは言えない。改革がもはや避けられないとしたら、その中で私たちの目指すべき方向性ははっきりしている。生産者が誇りを持って働き、食べていける所得水準を確保すること、国土と自然の保全に役立つような環境型農業であること、産地偽装等が生まれないよう、生産から消費まで一貫して透明化された流通形態を確立すること、そして何より私たちの食が安全であること。

これらが時代の要請であることは間違いないと思う。今後の農政には、こうした課題を解決するための方策こそが、求められる。

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農林漁業への就職希望が殺到

2009-01-24 20:55:54 | 農業・農政
<農林漁業>就職希望が殺到 農水省窓口に1カ月で3千件(毎日新聞)

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 雇用情勢が悪化する中、農林漁業への就職を希望する人が急増している。農林水産省や関連団体が、派遣切りなどの雇用問題に対応するため08年12月24日に設けた窓口への相談件数は、20日までで3000件を突破した。後継者不足に悩む農林漁業にとっては、不況の深刻化が思わぬ「追い風」となっている形で、この機会に人材を確保しておこうという農業法人や林業組合などからの求人も1900件近くに達している。

 農水省は雇用問題への緊急対策として、本省や全国7カ所の地方農政局、39カ所の農政事務所などのほか、都道府県や関係団体なども常設の窓口を設置し、就労希望者を対象に相談会などを開いている。同省の集計では、これらの窓口に20日までに寄せられた相談件数は計3149件で、希望職種は林業が最多で農業、漁業の順という。求人は林業855件、農業837件、漁業195件の計1887件に上る。

 就農希望者をあっせんするため、全国農業会議所(地方の農業委員会の全国組織)が常設している全国新規就農相談センターも、8~21日の相談件数は258件で、通常の2倍程度のペースになっている。これまでに23の農業法人に就職が決まった47人は、すべて家電メーカーで「派遣切り」に遭った人など失業者だった。昨年末に100人規模で求人した日本養豚生産者協議会によると、今月23日までに応募した88人の2割近くが派遣を打ち切られた人だという。

 大阪市で9、10日に開かれた全国森林組合連合会の相談会には、昨年より8割多い1254人が詰めかけた。同連合会は定期的に就職相談会を開いているが、「今年は農林業に縁の薄い文系学生の就労希望も増えている」と話す。

 新規就農者数はバブル崩壊後の90年代も増加傾向を示したが、03年に8万人を突破した後は横ばい状態で、引退する高齢者の穴を埋められない状態が続いている。農水省は「就労希望者を農山漁村に定着させることが今後の課題」と話している。【工藤昭久】
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農村からどんどん担い手が減り、歯を食いしばって残った者たちが支えている農業に未来なんてあり得ないように思えるが、農民作家の山下惣一さんはその状況を見て「農業に明日はない。しかし明後日がある」と言った。いつまでが明日で、いつからが明後日なのか、彼が明確に期限を予測したわけではないが、もう少し時間が経ってから振り返ったとき、「2008~2009年が明日と明後日の境界線だった」と総括されることになるのではないかという気がしている。

なぜなら、つい数年前まで農業の新卒採用に当たる「新規学卒就農者」は年間で2000人程度と言われてきたのだ。それが、大不況による「雇用崩壊」の影響とはいえ、わずか1ヶ月で希望者が3000人というのはそれこそ驚天動地の出来事なのである。

第1次産業から第2次産業へ、そして経済のサービス化による第3次産業を経て、いま時代はぐるりと1周し、装いも新たに再び第1次産業の時代が来るのだろうか。

もとより、「他に雇ってくれるところがないから」というだけの理由で入ってくる若者たちが農業で続けていけるかと問われれば、答えはおそらく否だろう。お天道様とともに起き、夜とともに眠る生活は、一見簡単なようで実際は難しいものだ。ましてや、農業に従事すれば雨の日でも田畑に出なければならないし、稲の出穂期は10日~2週間程度しかないのだから、「今日は面倒だから来週やるよ」なんていう奴にはまず勤まらない。それでも、意欲のある若者は是非農業の門を叩いてほしいと私は思う。

最後に、農業と農村の現状について2003年に私が書いた文章をご紹介して本エントリーを締めくくろう。この文章は、私が自由に書かせてもらっているあるメディアにコラムとして執筆したものの再掲である。6年近く前のものだが、今でも全く同様に通用するし、私の考えも当時からほとんど変わっていない。

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冷夏から見えるニッポン(2003年8月執筆)

 天候不順のことしの夏。日照不足と低温の影響が最も深刻な東北の太平洋側や北海道では、すでに「平成の大凶作」「100年に1度」「おじいちゃん、おばあちゃんも知らないほどの冷害」といわれた1993年の気象データさえ塗り替えられるものが出ているというからただ事ではない。震度6強の地震に見舞われた宮城では、被災者の避難場所にストーブが焚かれる日もあったという。実際、私自身、コミケ(同人誌即売会のことで、私の趣味のひとつ)参加のため東京入りしたお盆の3日間、明け方は震えるほど寒く、街では長袖やカーディガン姿の女性を大勢見た。食料調達のため訪れたコンビニでも売れているのはアイスクリームではなくおでん、清涼飲料水ではなくホット缶コーヒーだった。お盆明け後こそ気候は持ち直し、暑さも戻ってきたが、こうなるともはや冷夏を通り越して「寒夏」というべきかもしれない。

 10回以上も「やませ」が吹いた東北の太平洋側では当然のごとく農作物に影響が出ている。やませとは、山を背にして吹く風の意味であり、オホーツク海から流れ込む湿った冷たい空気である。しばしば深刻な冷害に苦しんできた東北の農民は、飢餓風、凶作風などと呼び、恐れてきた。

 稲の生育にとって最も重要なのは、穂が成長する2週間である。「穂ばらみ期」と呼ばれるこの2週間が、稲の生育を決定的に左右する。この期間に日照と高温に恵まれれば、あとは少々天候不順でも構わない。逆にこの期間に日照不足と低温に襲われれば、その後天候が持ち直し、稲の背丈は伸びても穂がつかず、あるいは穂がついても中身は空っぽという状態になることも多い。かくして「実るほど頭を垂れる稲穂」はすっくと立ったまま農民を見下ろし続けることになり、農家に実りの秋は訪れない。

 穂ばらみ期は地域によっても違うし、品種によっても違う。第一「今がわたしの穂ばらみ期です」などと稲が教えてくれるわけもないから、結局各々の農家が経験から判断することになるが、概ね7月下旬から8月中旬あたりの時期であることが多い。今年の夏は、ちょうどこの時期に日照不足、異常低温、そして台風のトリプルパンチに襲われたため、不安が大きくなっているのだ。

 ところで、農家、とりわけ北国の農家にとって冷害は日常茶飯事である。農民たちはいつも為す術を持たず、手を拱いていたわけでは決してなく、むしろ知恵を絞って冷害回避に努めてきたのだ。私が今の職場に入ったとき、労働組合の新入組合員セミナーなる行事で田んぼに入る体験をしたことがあるが、田んぼの水は暖かい。冷たいやませが吹いていても、田んぼの水は別世界のように暖かいのである。農家に充分な人手があった昔なら、冷たい風から稲を守るため、稲が頭まですっぽり覆われるほどに田んぼに暖かい水を引く、きめ細かな水管理をしていたものだ。ところが今はどうか? 農業生産額の対GDP比は3%を割り込み、今やパチンコ産業の総生産額よりも低いという有様である。全国に300万人いる農家のうち200万人が65歳以上で、さすがに70歳になれば続々と引退を迎えるだろう。日本の農業がジイちゃん、バアちゃん、カアちゃんの「3ちゃん農業」と揶揄された時代さえ遠い過去となり、農家は人手不足によって稲をやませから守るための水管理も充分にできなくなりつつある。東京・練馬で野菜を栽培しているある農民は、中学生当時、家業を継ぐために農業高校(東京都内に今でも5校ある)に進学したいと担任の教師に申し出たら、何も「そんなところ」に行かなくても…と言われ絶句したという。「戦後の日本は国を挙げて農業を辱めてきたのだ」と彼は語っている。

 今、私は1993年の大冷害は単なる天災ではなかったと確信している。近年の温暖化傾向に慢心して、冷害に弱く倒伏しやすいササニシキを勧めた関係者にも被害を大きくした責任がある。そこには日本の農業の構造的欠陥に加え、誤った営農指導という人災の側面もかいま見える。それでも、都会に働き手を奪われる中で田舎に残り、「国を挙げての陵辱」に歯を食いしばって耐えてきた篤農こそが日本の米を守ってきたのだ!


 農業の新卒採用に当たる「新規学卒就農者」は今、毎年2000人程度でしかない。統計学上は誤差の範囲として切り捨てられそうな弱々しい数字である。無慈悲なリストラに明け暮れる日本企業によって、切り捨てられるどころか初めから一顧だにされない若い労働力が行き場もなくさまよっているにもかかわらず、農業に就きたいと考える若者は皆無に等しい。それは、「国を挙げての陵辱」と決して無関係ではないだろう。

 社会的に意義のある仕事がしたいと思っている若者諸君!「人はパンのみにて生きるにあらず」と偉い神様はおっしゃった。でも人はパンがなければ生きられないことも事実である。それに、あらゆる産業にとって最も大きな財産は「ひと」つまり人材である。その「ひと」が生きるための食料を作りながら環境保全の役割を果たす農業が、社会的に意義のない仕事だなどということがどうしてあるだろうか? 命を懸け、すべてを犠牲にして会社に尽くしたサラリーマンが、最後はリストラの名の下にごみのようにうち捨てられているそのときに、農村では果実さえ得られるのだ。カネのためにではなく、自らの喜びのために働く。これこそすべての鎖から解放された労働者階級の真の姿なのだ。だから若者諸君、農業に来ないか? もちろんここでも困難は多い。でも、困難に打ち勝って入った企業でリストラと賃下げに苦しむくらいなら、果実の得られる農村で大自然と一緒に仕事をしてみないか?

 農村は、きっと君たちを待っている。

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石破農相「減反政策見直し」、総選挙前に自民離れ加速も

2009-01-15 23:49:41 | 農業・農政
石破農相「減反政策見直し」、総選挙前に自民離れ加速も(読売新聞)

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 石破農相が昨年末に打ち出した、コメの生産調整(減反政策)の制度廃止を含めた見直し発言が波紋を呼んでいる。

 約40年間にわたって国内のコメの価格を維持するために続けられてきた減反政策は、制度内容が頻繁に変わり、農家の生産性向上といった構造的な問題の解決に役立っていないとの指摘が多い。総選挙を前に農家を支持基盤に抱える自民党が、減反の抜本見直しに踏み切れるのか注目される。

 ◆石破発言

 石破農相は昨年12月28日に今後の農政について記者団に「いろいろな角度から減反政策について見直す。タブーを設けず、あらゆることが可能性として排除されない」と述べ、廃止も検討対象になることを示唆した。農水省は今月末から農政の基本計画の改定作業に着手し、今夏にも結論をまとめる意向だ。

 減反は国民がコメを食べる量が減り、コメが余ってきたため、農家の収入が減ることに歯止めをかけるため、1971年度から始まった。作付面積を減らしてコメの価格を維持しようとした。現在、約270万ヘクタールの水田のうち、減反政策によって、コメの代わりに約4割で麦や野菜などが作られたり、休耕田となったりしている。

 しかし、減反政策の中身は様変わりしてきた。最近でも、06年度から政府は、翌年のコメの目標生産量を提示し、都道府県に配分したが、実際にコメ農家がどれだけ生産するかは、農協や農家が独自に決める仕組みに変えた。この結果、コメの過剰作付けで、コメの生産量が増え、価格が最大10%程度も下落してしまった。

 07年度は、割り当てた目標を達成するために、地方自治体や農協への締め付けを厳しくしたが、効果が上がらず、生産量が増え、価格低迷が続き、農家の不満は募るばかりだ。

 ◆廃止?

 減反政策の問題点について、石破農相は、「『正直者がばかを見る』といった形が払拭(ふっしょく)できない」と語っている。減反でコメの作付面積を減らした結果、価格が維持されたとしても、協力せずに、自由に作る農家が価格維持の恩恵を受けるからだ。石破発言の背景には、選挙をにらんで、問題を放置すれば農家票の自民離れを助長しかねないとの懸念があるが、同時に減反政策の制度疲労を浮き彫りにする狙いがある。

 専門家も、コメ価格維持の効果について、東京大学の生源寺真一教授は「コメは多様な銘柄と産地によって価格が異なる。コメの生産量の総量(を制限する)目標を達成しても価格を維持できる保証はない」と指摘する。九州大学の伊東正一教授も「減反で(コメの生産量が減るため)農家が生産性を高めることが難しい」と指摘する。

 経済産業研究所の山下一仁上席研究員は、廃止した場合、1万4000円(60キロ・グラム当たり)が9500円に低下すると試算する。価格下落で、国内の需要が増え、さらに価格低下分の8割を農家に補填(ほてん)するとしても、現在の転作補助金と同程度の1600億円で済むと主張している。

 世界貿易機関(WTO)の新多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)が再開し、仮に大枠合意すれば、コメの輸入枠が拡大し、安い輸入米が国内に多く入ってくる。株式会社が参入しやすくするなど農業の担い手を増やす抜本策が必要だ。

 ただ、農家には減反を支持する声も根強く、自民党農林族議員なども減反の抜本見直しに反発する可能性が高く、見直しを巡る議論は難航しそうだ。(幸内康)
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石破農相の減反見直し発言を、当ブログは歓迎する。石破氏のことを単なる軍オタと思っていた認識は、改めなければならないかもしれない。

コメ余りの原因は、食生活の多様化に伴うコメ需要の減退にあるのであり、決して農家のせいではない。加えて、現在の家族的自作農制度の下では、コメ価格がそのまま農家収入となるから、食生活の多様化に伴うコメ余りで価格が低下し、それによって農家収入が減ったとしても、それも農家の責任ではない。農政を論じるに当たっては、この点を押さえておかなければならない。

食糧自給率を上げようというスローガンを掲げながら、コメを作りたい者に自由に作らせない減反制度は明らかにおかしい。「現実にコメが余っているじゃないか」という反論はあるかもしれないが、それはコメ以外の食料で国民がカロリーを摂取できるから「今は」そうだというだけのことである。将来、食料輸入が途絶し、日本国民が国内自給できるコメと芋しか食べられなくなったとき、当ブログのおおざっぱな試算では年間2400万トン程度のコメが必要になる。それは、現在の国内年間コメ生産量の3倍にも相当する。

その程度の知識もないのに、したり顔で「コメ余り」などとのんきなことを言っている評論家は、私が説教してやるから出てこいとすら思う。連作障害もなく、日本の気候風土にもっとも適したコメを作っておけば、加工用(煎餅など)、備蓄用、飼料用、緊急支援的輸出用などいろいろな用途に使える。

その上で、価格が暴落して農家が食えないという事態にならないよう、当ブログはコメの価格下支え政策の導入を提言する。コメの最低基準価格(例えば1俵1万5000円)を決めておき、市場価格がそれを下回った場合には、差額を農家に補填するようなシステムを導入するのである。そうすれば、農家は安心して生産に励むだろう。

ただ、現在のコメ余りが需要の減退から起きていることを踏まえるならば、ただ作れ作れと奨励するだけではいけない。消費刺激策を考えないと、増産したコメがそっくりそのまま備蓄用倉庫行きという事態になりかねないからだ。「朝は和食」キャンペーンとか、学校給食はコメを原則、パンを例外に改めるとか、とにかくいろいろなアイデアを出して消費刺激策を考える必要があると思う。

大阪の大衆食堂には、「お好み焼き定食」(お好み焼きをおかずにしてご飯を食べる)という信じがたいメニューがあるが、お好み焼きとご飯なんてとてもじゃないけど食べきれないという人々のために、お好み焼き定食を「半ライス、半お好み焼きセット」にアレンジして全国普及をはかるなどというのも、コメ消費の拡大のためには面白いかもしれない。

そうして消費拡大を図り、同時に価格を下支えしながら、増産体制を確立していくことが食糧自給への最短経路である。消費が拡大すれば、価格は必然的に上昇するから、価格下支えのための補助金支出も徐々に必要がなくなり、コストも下がる。この段階にくればあらゆる政策が軌道に乗るだろう。

今回の減反見直しが正式に国の政策となるかどうかは、夏にとりまとめられる提言をみなければわからないが、せっかく農水相からこのような思い切った発言が出たのだから、これを機に食糧自給を達成していくための方法について、あらゆる角度から議論が広がっていけばよいと思っている。

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