人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【鉄ちゃんのつぶや記 第2号】運命の出会い

2003-06-07 22:18:15 | 鉄道・公共交通/交通政策
 国労闘争共闘会議サイト「ともにGO!」リニューアルに伴い、私が連載コラムの執筆陣に加わることになりました。

 すでに執筆していらっしゃる中野隆宣さん、安田浩一さん、おじちゃま@片柳さんに次ぎ4人目の連載コラム担当です。サイト上では、ペンネームとして「特急たから」を名乗りますのでよろしくお願いいたします。

 すでに、先日投稿した「日本を愛したスパイのお話~スパイ・ゾルゲ」を記念すべき第1号として掲載していただきましたので、本号が第2号となります。この第2号では、私が「人らしく生きよう」と出会ってから1年を過ぎたことを記念して、その運命の出会いについて述べようと思います。先日、酒席である人にこの話を初めてしたところ「えぇ話やなぁ(関西弁)」と思いっきり感動されてしまったのですが・・・(^^;;

 私が「人らしく」と初めて出会ったのは、昨年、2002年5月11日の横浜上映会ということに、公式にはなっています。確かに「初めて人らしくを見た日はいつか」と聞かれればその通りなのです。しかし、私がこの作品の名前を初めて聞いたのはいつか・・・と聞かれると、それからさらに1ヶ月半ほど時計の針はさかのぼります。

 それは忘れもしない、昨年、2002年の3月22日、金曜日。

 この日、職場では4月1日付け人事異動予定者の送別会が盛大に開かれていました。金曜日で明日の心配も無用だったため、ついつい飲み過ぎた私は帰りの電車で豪快に寝過ごし、自宅最寄り駅を大幅に通過、自宅から約15km離れたK市に流れ着きました。

 反対方向の列車で折り返そうと時刻を見ると、もう列車は無し・・・(^^;;;

 仕方なく、K駅前の某ホテルに一夜の居を構えることにしました。

 そして、翌土曜日、3月23日の朝。

 いつもと違う寝心地の中、起きるのもおっくうで惰眠をむさぼっていた私は何の目的があるというわけでもなく、枕元のラジオをつけました。すると、そこからは今どきドラマにもならないような、ある意味お約束(?)のトークが聞こえてきたのです。

 (若い男性の声)「・・・親父がそんなことをしていたとは知りませんでした。はじめは親父のしていることが分からなかったが、最近になって、そんな親父を誇りに思えるようになりました」

 (若い女性の声)「ある日、親が私の部屋にやってきた。何か言いたそうだったので何かと聞いたが何でもないとのことだった。・・・やがて大学を出たあとになって、あの時、家計が苦しいから私に大学をやめてくれと言うつもりで親が私の部屋に来たものの、言えなかったということを知った。生活の苦しさをおくびにも出さず、こんな私を両親は結局卒業させてくれたのです」(注:引用は正確ではありません)

 途中から聞き始めたので何がなんだか分からない私。しかし、そんな私を置き去りにしてトークは勝手に進んでいく。

 司会者「・・・しかし、なぜ今また国労なんですか?」

 私「はぁ???」

 ・・・結局、これが国労闘争団2世たちのトークだということが理解できたのは、ようやく番組も終わり近くになってから。そして最後のだめ押し。

 「こんな国労闘争団員らの人間ドラマを描いた映画、“人らしく生きよう・国労冬物語“の上映はこれから各地で予定されています」

 こんなナレーションで短い番組は締めくくられたのです。

 それを聞き終わった時の私の率直な気持ち。

 「そうか、そういえば”あの事件”はまだ未解決だったな」

 「4党合意を受け入れなかったと聞いたが、どんな暮らしをしているのだろうか」

 「今頃になって国労を取り上げるとは酔狂なメディアもいるもんだな(失礼)」

 それと同時に、私の中で忘れ去られていた記憶がよみがえったのです。草むしりや車両磨きや、ガムはがしをさせられていた「人活センター」の人々の記憶が・・・。

 もう一度、「あの人たち」のことを追いかけてみよう。

 こんな境遇に耐えてまでなぜ孤独な闘いを続けていられるのか。

 この映画を見れば、あるいは答えが見つかるかもしれない。

 この体験こそが、私を5月11日の横浜上映会へと突き動かしたのです。

 その後の私がどんな風に変わったかは言うまでもありません。

 「人らしく」との出会い。

 初めはそれが運命だなんて思いもしなかった。

 でも、あの前日が飲み会でなかったとしたら?

 あの時私が飲んだくれて電車を乗り過ごさなかったら?

 乗り過ごしたとしても、なぜあの朝に限ってラジオをつけたのだろう?

 誰の言葉だったか忘れたけれど、誰かがある本で言っていたっけ。
 「人が出会ったり別れたりするのは、後から考えると、それが運命だったと思えることの方が多い」と・・・

 そう考えると、これはやはり運命だったのかもしれないと思う。

 あたかも運命づけられた若い二人が、赤い糸に引かれて出会うように。

 私ははじめからこうなる運命だったのかもしれない。

 そんなこんなで「この道」に入ってきた私。

 でも、運命といっても受け入れられるものとそうでないものがある。

 闘争団が今受けている仕打ちは、運命だからのひとことでは決して片づけられない。

 運命は切り開いていくものでもある。

 センチメンタルな書き方をしてきたけれど、運命的な出会いをしたと自分で勝手に思っている「人らしく」と闘争団。

 私ひとりの力は小さくても、もうしばらく、私はこの道を歩き続けてみようと思います。

(特急たから・2003/6/7)

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