安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

管理人の近況、そして福島県知事選

2014-10-08 23:43:10 | 日記
10月に入り、早いもので今年もあと3か月を切った。すでに、当ブログの更新頻度が、8月ごろから極度に落ちていることにお気づきの方も多いと思う。

御岳山の噴火、10月1日に開業50周年を迎えた東海道新幹線の今後に向けた課題など、書きたいと思っていることは山ほどあるが、とにかく時間がない。9月12~14日にかけ、乗り潰しを兼ねて旅した青森県のレポートも書かなければならないのだが…。9月24日にようやくさっぽろ自由学校「遊」での講演を終えたと思ったのもつかの間、今度は10月26日の「団結まつり」でJR北海道の安全問題、リニア問題の報告を行わなければならず、その準備に追われている。団結まつりが終わる11月以降も、地元・北海道の女性団体に招かれ原発問題の講演、12月にも北海道の労働組合系の集会で原発問題の発言要請があり、忙しい日々が続きそうだ。

しかも、あろうことか、明日告示、10月26日投開票の福島県知事選で、某陣営の運動にかかわることになってしまった。巻き込まれたというほうが適切かもしれない。当ブログ管理人は、好ましからざる人物ばかりが特定業界団体の組織票で当選し、市民が当選を望んでいる候補はどんなに頑張っても当選できない現行の選挙のあり方に根本的な疑問を抱いており、すでに現行の選挙方式は歴史的使命を終えたと思っている。そんなものにかかわるくらいならもっと違うことにエネルギーを向けたいのだが…

とはいえ、告示日以降は選挙についてあれこれ書けなくなってしまうので今のうちに書いておく。今回もまた、東京都知事選同様、脱原発陣営から2人の候補が立候補しており、候補一本化を求める意見がある。だが、与党が敗北した滋賀県知事選では野党候補が民主党系、共産党系に分裂していたが民主党系の候補が勝利した。一方、過去数回の沖縄県知事選のように民主・社民・共産が統一候補を立てても勝てないときもある。選挙というのは「統一すれば勝ち、分裂すれば負ける」というほど単純なものではない。

福島のように特殊な状況に置かれている県の場合、県内の原発全機廃炉を求めるのは当たり前で、それはおそらく争点にならない。だが、争点にならないことが脱原発の敗北を意味するのではない。むしろ政治的には逆であり、小熊英二氏が主張するように「全員が脱原発を掲げざるを得ないということは、事実上脱原発の勝利」なのである。争点がないというより、脱原発が完全勝利したため、推進派が原発再稼働を目指すには「選挙中は脱原発と言っておき、当選後に裏切る」以外に方法がないのである。

このように、脱原発そのものが争点としては後景に退く中で、それでも原発を争点として機能させるためには、「脱被曝」かそうでないかをメインに据えるしかない。そして、それをメインに据えるなら、脱原発2候補の一本化は事実上不可能だと思う。今回も、東京都知事選同様、それぞれが自分の主張を競い合い、切磋琢磨しながら脱原発票の全体的上積みを図る以外にない。脱原発2候補が互いの票を食い合って共倒れになるというのはゼロサムゲーム的発想であり、全体のパイが増えるなら、それは問題ではないのである。

福島県知事選は、おそらく史上最低の投票率となるだろう。候補者擁立を巡って二転三転どころか七転八転が繰り返された結果、福島県内はすでにしらけムードであり、投票率は50%を割ることになるかもしれない。これまでの流れから見て、当ブログが最も当選を望まない候補(元副知事)の当選という結果になるだろう。当ブログは少数派の声を代弁することを目的としているから、敗北には慣れており、いまさら失望などはしない。すでに述べたように、大多数の国民が望んでいる候補がことごとく当選できない選挙制度が歴史的使命を終えているというだけのことだ。

本来、金持ちも貧乏人も、平等に1票が与えられている選挙制度の下では、金持ちは一握りに過ぎないのだから、貧乏人を代表する候補者が勝つはずである。しかし現実はどこの国のいつの歴史を見てもそうはならなかった。ロシア革命の後、レーニンは、ロシア社会民主労働党(ボルシェヴィキ、後のロシア共産党)による一党独裁に踏み切るきっかけをつかめず、一度は資本主義国と同様の「自由選挙」で制憲議会選挙を実施した。しかし、第1党になったのは2月革命後の臨時政府を支えた社会革命党(エス・エル)であり、ボルシェヴィキは第2党にとどまった。この結果を見て、金持ちも貧乏人も平等に1票を行使できる「自由選挙」がまやかしであることに確信を抱いたレーニンは制憲議会を強制的に閉鎖・解散させ、ソビエト(人民議会)に全権限を集中。共産党による一党独裁の道へ入って行った。

いわゆる「自由選挙」がまやかしであることは、この時にすでに結論が出ている。ロシアが100年近くも前、レーニンの時代に否定した「自由選挙」に、我々がいまだにしがみついていることが本来、おかしいのである。当ブログはやるだけ無駄の「自由選挙」はもうやめて、ソビエトのような「労働者代表議会」を作り、そこで政府の意思決定をするようにしたらいいと、最近はかなり本気で思っている。

そんなわけで、当ブログ管理人の本格的なネット復帰は年内は無理かもしれない。だが、当ブログは「時間がない・意欲が湧かない・思考が安定しないときは無理をしてまで書かなくてもよい」が基本方針なので、今後ものんびりお付き合いいただければと思っている。

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