3月11日、札幌市内で、小泉元首相の脱原発講演会が開催された。たまたま、午前中に開催された「原発事故から6年 フクシマを忘れない!さようなら原発!北海道集会」と同じ会場だったこともあり、せっかくなので聴くことにした。内容は以下の通りだが、私の不確実なメモを基にしているので、間違いなどあるかもしれない。
日時:2017年3月11日(土)14:00~
場所:札幌市 共済ホール
主催:
泊原発の廃炉をめざす会
3.11前まで、私は原発推進論者だった。CO2を出さないクリーンエネルギーだと思っていた。3.11で安全に疑問を持った。エネルギー関係の本をたくさん読むようになり、様々な反原発の意見、考えがあることを知った。専門家の話を聞いているうちは、反原発は左翼的な人たちの話だと思っていた。
原発推進派の言うことはウソばっかりだ。この前も、どこかの政治家が「福島第1原発はコントロールされている」と言っていた(会場笑い)。スリーマイル島、チェルノブイリの事故の後も、日本の専門家は日本の原発は違う、安全だと言っていた。当時の科学技術庁原子力局長がなんと言っていたか。「地元住民が避難しなければならないような事態は起こらない。なぜならそれが多重防護だからだ」と。今はなんと言っているか。「小泉さん、絶対に壊れない機械なんてないんですよ。飛行機も、自動車だって事故を起こすでしょう」と言っている。でも、飛行機や自動車は(被害は事故を起こした)1カ所だけ。原発は事故を起こしたら故郷がなくなる。原発は絶対に事故を起こせない産業だ。こんな地震大国の日本で、原発はやれない。
小泉はぶれないとよく言われるが、自分が間違っているとわかったときはぶれなきゃいけない(会場笑い)。今日はこの会場に、小泉内閣で幹事長を務めた中川秀直も来ている(中川が起立しあいさつ。会場拍手)。元自民党総裁と元自民党幹事長のコンビが来ている。反原発に保守も革新もない。
電力会社は今まで経営第一、利益第一だった。財界から「小泉さん、原発即時ゼロなんて無責任ですよ」と言われた。でも、これまで6年間、原発ほぼゼロでやってきた。事故前は原発の比率が3割、太陽光は2%だった。今は原発10基分を太陽光でまかなっている。政府が大して推進していないだけじゃなく、足を引っ張って妨害している。それなのに太陽光はここまで成長した。
小泉は変人と言われたが、今、これだけの事故が起きてもなお原発を推進しようという人の頭の中はどうなっているのか。変人の私から見ても相当な変人ですよ(会場笑い)。
産廃業者は自分で処分場を作らなければ産廃の会社を作る許可が都道府県知事から下りない。それなのに、産廃どころではない、危険な放射性ごみを出す原発を、処分場もないのになぜ政府は認めるのか。
私はフィンランドを訪問した。フィンランドは岩盤でできた国だ。その400mメートル掘った地下に、オンカロがある。そのオンカロでも、2km四方の広場にたった原発4基分のごみしか入らない。だからオンカロは、フィンランド国内の原発のごみしか受け入れない。しかも、オンカロでも内部に湿気が発生している。フィンランド政府は、これが将来もずっと湿気のままでいてくれるか、水になって流れ出すんじゃないかと心配している。これ、日本で同じことができるか。400mも掘ったら、湿気どころか温泉が出る(会場笑い)。
フィンランドでは、「10万年掘り出すべからず」を何語で書くか真剣に議論している〔注:高レベル放射性廃棄物の無害化には10万年かかると言われている。10万年後のフィンランド人に、10万年間、埋設された高レベル廃棄物を掘り出してはいけないと理解させるためにはどのように書いたらいいかを議論している、という意味〕。するなと言われるとしたくなるのが人間(会場笑い)。掘るなと言われると余計に掘りたくなるのが考古学者。彼らに、掘るなとどうやって書けばわからせられるのか。考古学者ですらピラミッドに書かれている文字を読めない。日本人だって、万葉集の意味はわからないし、百人一首だって、何が書いてあるのかわからない人が多いというのに、それでいいのか。自分たちの世代と若者世代、こんな短い時間でも言葉の意味は変わる。私の時代には、切れる人と言えば賢い人のことだったが、今は頭のおかしい人のことを言う。やばいという言葉だって、私の世代はまずいとか危ないの意味だったが、今の若者はおいしい物を食べると「これ、ヤバいっすよ」などと言う(会場笑い)。
今までの核のごみも捨て場所がないのに、まだ原発を再稼働させて、ごみを増やすつもりか。北海道知事は情けないね。知事には大きな権限がある。「原発を認めてほしければ、自分が処分場を見つけてこい」と、知事が言えばいい。
私は、原発推進だった頃の反省も込めて、自然エネルギーをやらなくてはいけない。北海道は自然エネルギーの適地だ。太陽光、風力。政府が妨害をやめるだけで、太陽光、風力はもっと普及する。自然エネルギーはごみを出さないから、ごみ処理に莫大なカネをかけることもない。自然エネルギーを増やしていけば、「おお、日本、凄いな」という話になる。日本のようになりたいという国も増える。
小規模太陽光発電が増え、田んぼの斜め上に太陽光パネルを置いて発電をし、売電することで農家は収穫でも儲かり、売電でも儲かる。太陽光パネルを置くことで、田んぼや畑が一部、日陰になるが、最近の研究では1日中ずっと日光が当たっているより少し日陰になるくらいの方が米も野菜も収穫がいいとわかってきた。
歴史上、日本人はピンチをチャンスに変えてきた。世の中に変わらないものなんてあるわけがなく、そのつど日本人は大きな変化に対応してきた。明治維新の前、江戸幕府が開国の方針を決めたとき、尊皇攘夷運動をした薩長は「開国なんてけしからん」と言っていたが、明治維新で自分たちが政権を取るとすぐさま開国した。戦後だって、米国と戦争していたのに、一番米国と仲良くなった。
1ドル360円の固定相場制だって、日本人はずっと永遠にあるものと思っていた。変動相場制になり、1ドル360円が250円になったとき、「数字が小さくなって、俺の給料も下がっているのに、何で円高というのか」と聞かれ、経済学者が答えられない。私が「1ドルを買うのに、今まで360円出さなければいけなかったのが250円ですむ。日本人の価値が上がるから円高というのだ」と説明すると、わかってもらえた。経済学者もその程度の認識だったが、日本はいつの間にか見事に対応した。
私の初当選は1972年。73年にオイルショックが起きた時のことは、1年生議員だったからよく覚えている。大量の買い占めが起きたが、今思い出しても不思議なのは、なぜ買い占めたのが食料じゃなく、洗剤とトイレットペーパーだったのか。これが外国なら間違いなく食料を買い占める。私の想像だが、日本人がきれい好きだからではないだろうか。石油がなくなっても、子どもの服を泥んこのままにしておけない。そんなきれい好きの日本人だからこそ、世界一厳しい排ガス規制を作り、それに対応する自動車を作り上げた。リサイクルも世界一見事にやり遂げた。そんなきれい好きの日本人は、必ず脱原発を実現できる(会場拍手)。
今の日本の政治家の誰も絶対にかなわないことがひとつある。憲政の神様と言われた尾崎行雄だ。その尾崎行雄の銅像が憲政記念館に建っているが、そこに尾崎のこんな言葉がある。「人生の本舞台は常に将来に在り」。尾崎が亡くなった年、94歳の時の言葉だ。皆さん、70歳超えたら将来なんてどうでもいいと思ってるでしょう(会場笑い)。でも尾崎は違う。94歳でなお「人生の本舞台は常に将来に在り」と言った。今日この会場には高齢の方が多いけれど、尾崎を見習って、将来のために、私とともに、脱原発を実現できるようがんばっていきましょう。本日はご静聴ありがとうございました。