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【福島原発事故刑事裁判第14回公判】あいまいなものは理解できない? 被告弁護士=東大法学部卒の「天才」の態度は、地震学者の懸命な努力を侮辱するものだ

2018-06-03 12:52:55 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
第14回傍聴記~100%確実でなくとも価値はある

 6月1日の第14回公判は、前々日に続き都司嘉宣・元東大准教授が証人だった。反対尋問を担当した岸秀光弁護士は、歴史地震研究の「不確かさ」を際立たせようとした。それに対して都司氏は、100%確実ではない、ぼんやりした部分も残る古文書から、地震についての情報を引き出していく学問の進め方を説明。「1611年、1677年、1896年の3回、三陸沖から房総沖にかけての日本海溝沿いに津波地震が起きた」と長期評価が判断した理由を、前回に引き続いて補強していった(注1)。

◯悩ましかった「宮古の僧が聞いた音」

 都司氏は、1611年の大津波の原因を「現在は津波地震だと考えている」と証言したが、正断層地震や海底地すべりが引き起こしたと考えた時期もあったと述べた。どれが原因なのか、都司氏を悩ませたのは、『宮古由来記』に書かれた常安寺(岩手県宮古市)の僧の行動だったらしい。

 1611年10月28日午後2時ごろ、常安寺の和尚は、法事のため寺から約1キロ離れた家にいたが、海の沖の方から鳴動音が4、5度聞こえ、異常を感じてあわてて寺に引き返した。ここで大津波に襲われ、過去帳を取り出すまもなく高所に逃げてようやく助かった(注2)。この時の津波で宮古の中心市街はほとんど壊滅した。『宮古由来記』によると、宮古では民家1100戸のうち残ったもの6軒、水死110人とされている。

 「音がしたというのは、正断層型の昭和三陸地震(1933)の時にも報告されていて、太平洋プレートが日本海溝付近でポキンと折れて生ずる正断層型地震の特徴」と証言した。

 一方で、1611年が本当に正断層型の地震であれば、揺れによる被害も古文書に残されているはずだ。「ところが、陸上の被害に注目しながら、もう一回、多くの文献を読み直して見たが、陸上での被害が全くない」。これは津波地震の特徴である。

 1998年にパプアニューギニアで海底地すべりが大津波を引き起こし、このときも「海で大きな音がした」という証言があったことから、地すべり説も考えたが(注3)、そうすると津波が明治三陸津波より広範囲を襲ったことと矛盾する。

そこで、津波地震がもっとも可能性が高いとの結論が導かれたという。

 「いろんなデータがはいってくるごとに自然科学の研究者は考えを改めることはある。変化しなきゃおかしい」とも述べた。

◯「精度が悪い=情報ゼロ」ではない

 機械でしか観測できないような小さな地震まで含めると津波地震が福島沖を含む日本海溝沿いにずらりと並んでいることを示した渡邊偉夫氏の論文(2003、注4)についても、岸氏は都司氏に質問した。



 岸「地震の起きている場所が、日本海溝より陸地に寄っているように見える」

 都司「まだ全国に地震計が数台しかなかった明治時代の地震観測記録も含まれており、位置の精度が悪いものも入っている」

 岸「なぜ精度が悪い論文を(法廷に)出してきたのですか」

 この岸氏の質問に、都司氏は猛然と食ってかかった。

 「まったく情報ゼロというわけではない」

 「ぼんやりではあるが、一定の情報が引き出せる」

 「あいまいさが含まれていれば全部消しちゃえ、とはやらない」

 その迫力に負けて、岸弁護士は話題を切り替えたように見えた。

 理想的な観測機器が使えず、精度が高い記録が得られない状況でも、その限られた手段を用いてしぶとく自然の姿の手がかりを捕まえようとするのが、最先端の科学者の「営み」だ。正解の固まった学校理科を習ってきた岸弁護士(法学部出身)には、そんな科学者の生態を理解するのは難しかったのかもしれない。

注1)都司嘉宣「歴史上に発生した津波地震」月刊地球 1994年2月

注2)都司嘉宣「慶長16年(1611)三陸沖地震津波の発生メカニズムの考察」歴史地震 第28号(2013)

注3)都司嘉宣「慶長16年(1611)三陸津波の特異性」月刊地球 2003年5月

注4)渡邊偉夫「日本近海における津波地震および逆津波地震の分布(序)」歴史地震 第19号

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【福島原発事故刑事裁判第13回公判】バカにできない「古文書」のチカラ~これぞまさに温故知新?

2018-06-03 12:32:45 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
第13回公判傍聴記~「歴史地震」のチカラ

 5月30日の第13回公判の証人は、元東京大学地震研究所准教授の都司嘉宣(つじ・よしのぶ)氏だった。都司氏は古文書の記述を読み解いて昔の地震の姿を解き明かす「歴史地震」分野における数少ない専門家の一人だ。「三陸沖北部から房総沖までの日本海溝寄りのどこでも津波地震は起こる」という長期評価(2002)をまとめた地震本部の海溝型分科会にも加わっていた。

 検察官役の久保内浩嗣弁護士の質問に都司氏が答える形で、都司氏の原著論文までたどり、長期評価がまとめられた過程で歴史地震研究がどんな役割を果たしたか明らかにしていった。

◯近代地震学でわかるのは過去130年分ほど

 地震計を使った近代的な地震観測が始まってから、まだ130年ほどしか経っていない。それより古い時代に起きた地震の姿を知るには、古文書や石碑に残された揺れや津波の記録が不可欠になる。

 古文書の記述から、揺れの様子、どこまで津波は到達したのか、被害はどのくらいだったのかを読み解き、地震学の科学的な知識と照らし合わせて、地震の姿を解明するのが歴史地震学だ。都司氏は自ら毛筆体の文書を読み、日本史の研究者とも協力して文書の記述内容を精査すると同時に、津波の数値計算などの専門知識も生かして、古い時代の津波の姿を復元してきた。それによって浮かび上がる地震の法則性を、防災に生かすことができるというのだ。

 都司氏の証言によれば、東北地方で地震の記録が豊富に残っているのは約400年前からのことだ。江戸幕府の支配で戦乱が起こらなくなり古文書が逸失しなくなったことや、寺子屋教育のおかげで字を書く人が増えたことが要因という。

 長期評価をとりまとめた海溝型分科会の専門家たちの間でも、当初は歴史地震の知識は限られている人が多かったと都司氏と述べた。都司氏が、過去の地震について最新の研究成果を他の海溝分科会メンバーに提起。議論を重ねるうちに意見は収束し、1611年(慶長三陸沖)、1677年(延宝房総沖)、1896年(明治三陸)の3つの地震が津波地震であるという結論が、最終的に承認されたと証言した。

◯古文書が東海第二を救った

 「1677年の地震は、津波地震であることがはっきりしている。津波が仙台の近くから八丈島まで到達した記録があるので、陸地に近いところで起きたという考え方では説明できない」

 こう証言した都司氏は、今村文彦・東北大学教授らと共同で1677年の延宝房総沖地震について論文(注)を発表しており、それも法廷で紹介された。まず古文書から福島県〜千葉県沿岸の村における津波による建物被害の記述を選び出す。それと当時の建物棟数と比べて被害率をはじき出す。建物被害率50%以上の場合、浸水深さ2m以上と算定し、村の標高も勘案して各地に到来した津波の高さを求めた(表)。



 その結果、浸水高さは千葉県沿岸で3〜8m、茨城県沿岸で4.5〜6m、福島県沿岸で3.5mから7mなどと推定され、1677年延宝房総沖地震は、従来考えられていたより高い津波をもたらしていたことがわかった。

 調査の成果を生かして、茨城県は2007年に津波想定を見直した。それによると、日本原電東海第二原発(茨城県東海村)では、予想される津波高さが5.72 mとなり、日本原電が土木学会手法(2002)で想定していた4.86mを上回った。

 日本原電は海辺の側壁を1.2mかさあげする工事を始め、工事が終了したのは東日本大震災のわずか2日前だった。襲来した津波は、かさ上げ前の側壁高さを40センチ上回っており、工事が終わっていなければ非常用発電機が動かなくなるところだった。

 歴史地震の研究成果が、東海第二を救ったと言える。一方、歴史地震の成果をとりこんだ長期評価を東電は軽視し、大事故を引き起こしたのだ。

注)竹内仁ら「延宝房総沖地震津波の千葉県沿岸〜福島県沿岸での痕跡高調査」歴史地震 2007年

第13回公判法廷画(吉田千亜さん)

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【福島原発事故刑事裁判第12回公判】「いろんな意見があるからわからない」では現在進行形の問題には一切対策は取れないということになりますが? そういうのを「無責任」っていうんですよ!

2018-06-03 11:47:04 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。5月9日に行われた第11回公判以降、2週間の休みを挟んで、5月29日に第12回、翌30日に第13回、そして1日置いて6月1日には第14回公判が相次いで行われた。これらの公判の模様を伝える傍聴記についても、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。執筆者はこれまでに引き続き、科学ジャーナリスト添田孝史さん。第15回公判は6月12日(火)、第16回公判は6月13日(水)、そして第17回公判は6月15日(金)に行われる。

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第12回公判傍聴記~「よくわからない」と「わからない」の違い

 5月29日の第12回公判は、前回に引き続き島崎邦彦・東大名誉教授の証人尋問だった。

 弁護側の岸秀光弁護士の反対尋問で始まった。「三陸沖北部から房総沖の海溝寄りのどこでも、マグニチュード(M)8.2程度の津波地震が起こりうる」という長期評価(2002年)がまとめられた過程について、地震本部の長期評価部会や海溝型分科会の議事録(注1)をもとに、岸弁護士は島崎氏に議論の様子について細かく質問を続けた。特に、1611年の慶長三陸沖(M8.1)、1677年の延宝房総沖(M8.0)を津波地震と判断した根拠が、あいまいであることを示そうとしていた。

 議事録の中にある「三陸沖よりもっと北の千島沖で発生した津波ではないか」「房総沖の津波地震は、もっと陸よりで起きたのではないか」などの専門家の発言を岸弁護士はとらえ、「長期評価に信頼性は無い」という東電幹部らの主張を裏付けようと試みた。しかし、原発が無視してよいほど信頼性の低いものだと示すことは出来なかったように見えた。反対尋問は予想より早く終わった。

◯「活発な議論がある=信頼度は低い」?

 岸弁護士は、専門家たちが活発に議論していた様子から、長期評価は唯一の正解である科学的評価ではないと言いたかったようだ。

 これに対し、島崎氏は、専門家の議論の様子を、「右に行ったり、左に行ったりしながら収束していく過程」と説明した。

 「文字に残すと荒い、雑駁で不用意な発言に見えますけれども、みんなの意見が出やすいようにしている」

 「1611年、1677年、1896年(明治三陸地震)と3回、津波が起きたのは事実。場所については議論が分かれているところもあったが、だからといって長期評価から外してしまっては防災に役立てられない」

 こんなふうに反論した。

◯津波地震とハルマゲドン地震の違い

 「証人自身も、歴史地震(地震計による観測がない1611年や1677年の地震)のことは、よくわからないと思っていたんじゃないですか」

 岸弁護士は、こんな質問も島崎氏に投げかけた。

 島崎氏が会合でこう述べていたからだ。

 「やはり歴史地震の研究が不十分なところがあって、そこまでは未だ研究が進んでいない。現在のことがわかっても昔のことがわからないと比較ができない。今後いろいろな人が興味を持っていただければと思っている」

 島崎氏は岸氏にこう説明した。

 「(歴史地震の研究は)重要なのに、地震学者の間でさえその認識が行き渡っていないことが問題だという意味」

 「『よくわからない』と、『わからない』は違う。震源域(断層がずれ動いた場所)が図にかけるほどわかっているわけではない。しかし全体的に見ていくと、津波地震である」

 本当にわかっていなかったことの例として島崎氏が説明したのは、津波地震とは全く別の、ハルマゲドン地震だ。天変地異を引き起こす超巨大地震のため、こう呼ばれていた。

 東北地方の日本海溝沿いでは、歴史上知られている規模をはるかに超える、陸地を一気に隆起させてしまうようなハルマゲドン地震が発生する可能性があることは1990年代後半から論文で指摘されていた。それは、東日本大震災を引き起こしたM9の地震の手がかりを、おぼろげながらつかんでいたとも言える。長期評価では「しかし、このような地震については、三陸沖から房総沖において過去に実際に発生していたかどうかを含め未解明の部分が多いため、本報告では評価対象としないこととした」というコメントの記載にとどまっていた(注2)。

 一方、島崎氏は、M8クラスの津波地震については地震のイメージを持てていたと述べた。それを超える、理学的に可能性があるが姿が見えないハルマゲドン地震に比べると、津波地震のことはわかっていた。だからこそ、長期評価は津波地震については警告していたわけだ。

◯「異常な動き」を見せた専門家

 この日の最後は、検察官役の久保内浩嗣弁護士からの質問で、大竹政和・東北大学教授(当時)と長期評価の関連について、島崎氏が証言した。大竹氏は、そのころ原子力安全委員会原子炉安全審査会委員や、日本電気協会で原発の耐震設計に関わる部会の委員を務めており、原発と縁の深い地震学者だ。

 大竹氏は、長期評価が発表された直後の2002年8月8日に「1611年の地震は津波地震ではなく、正断層の地震(太平洋プレートが日本海溝付近で折れ曲がることによって生ずる)ではないか、今回の評価はこれまでに比べて信頼度が低い」などとする意見を、地震本部地震調査委員会委員長宛に送っていた(注3)。

 そして、2002年12月から始まった日本海東縁部のプレート境界付近で起きる地震の長期評価の議論に、委員ではない大竹氏がずっと出席したことを「異常なことだと思いました」「地震の評価を巡って大竹氏が突然激昂されたこともあった」と証言。このプレート境界に近く、長期評価の影響を受ける東電柏崎刈羽原発との関連を示唆した。

注1)地震本部長期評価部会海溝型分科会の第7回(2001年10月29日)から第13回(2002年6月18日)までの論点メモ

注2)地震本部「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」2002年7月のp.22

注3)島崎邦彦「予測されたにもかかわらず、被害想定から外された巨大津波」科学、2011年10月



第12回公判法廷画(吉田千亜さん)

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