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【羽田空港衝突事故 第5弾】国交官僚の人生から透けて見える新自由主義的交通行政の半世紀/安全問題研究会

2024-02-18 16:42:11 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

 元日を襲った能登半島地震とともに全国の正月気分を引き裂いた「1・2羽田事故」。安全問題研究会は、過去4回にわたって本欄で報じてきた。今回は、前回報じた、空港施設の幹部人事に介入した元国交省官僚の姿を通して、過去半世紀間続いてきた交通行政の本質を読み解く。なぜなら彼の人生にこそ、旧運輸省から国土交通省に変わっても連綿と続いてきた「新自由主義的国交行政」が凝縮されていると考えるからだ。(以下、役職はすべて当時)


<写真=JR新会社へのメッセージを運ぶ「旅立ちJR北海道号」「同東日本号」の出発式で、メッセンジャーを前にメッセージを読み上げる杉浦喬也国鉄総裁(中央)=上野駅で(毎日新聞より)>

<シリーズ過去記事>
第1回「羽田衝突事故は羽田空港の強引な過密化による人災だ」(1月8日付け)

第2回「航空機数は右肩上がり、管制官数は右肩下がり~日本の空を危険にさらした国交省の責任を追及せよ!」(1月9日付け)

第3回「過密化の裏にある「羽田新ルート」問題を追う」(1月29日付け)

第4回「羽田新ルートを強行した「黒幕」と国交省、JAL、ANAの果てしない腐敗」(2月6日付け)

 ●国鉄分割民営化にも大きく関与

 空港施設に「別の有力国交省OBの名代」を名乗って乗り込み、乗田俊明社長に面会してまでポストを要求した本田勝・元国交省事務次官は1953年生まれ。76年、東大法学部卒業後、旧運輸省に入る。大臣官房文書課で運輸省が国会提出する法案などを担当後、1985年2月、大臣官房国有鉄道部財政課国有鉄道再建実施対策準備室に配属される。85年4月、準備室が正式に対策室(国鉄再建実施対策室)となるのに合わせ、本田氏は補佐官に就任した。

 当時の運輸省は、鉄道監督局に国有鉄道部(国鉄部)が置かれていた。1984年から国鉄部は大臣官房に移されるが、それは国鉄「再建」を求める首相官邸の意向に国鉄部を従属させることを目的とするものだった(国鉄以外は鉄道監督局がその後も担当。後に鉄道監督局は鉄道局となる)。

 国鉄分割民営化を答申した「第2臨調」基本答申原案では、総理府(現在の内閣府に相当)に国鉄再建監理委員会を置くこと、再建監理委を国家行政組織法第3条に基づき、強い独立性を持つ「3条委員会」とすることを求めていた。3条委員会は、当時としては公正取引委員会、中央労働委員会、公安審査委員会(公安調査庁の求めに応じて団体への破防法適用を審査する)などわずかな実例しかなかった。当時の運輸省大臣官房国鉄部はこれに強く抵抗したが、結局、1983年に再建監理委は当初の構想通り発足していた。

 こんなエピソードがある。角田達郎大臣官房長、吉田耕三鉄道監督局財政課長の2人が橋本龍太郎運輸相を尋ね、「(再建監理委を)3条機関とすることは運輸省国鉄部を解体し、消滅させるに等しい。それだけはやめてほしい」として国会行政組織法第8条に基づく「諮問委員会」とするよう求めたという。橋本運輸相が「国鉄改革に後ろ向きだからこういうことになるのだ」と言うと、角田官房長は「これからは心を入れ替えて全力で取り組みます。その証に私自身が出向します」と答え、林淳司国鉄部長とともにみずから再建監理委へ出向した(「国鉄改革の真実」葛西敬之・著、2007年、中央公論新社)。

 一方、本田氏は再建監理委には異動せず、運輸省側で国鉄分割民営化を推進。JRグループ各社が発足した1987年4月には大臣官房国有鉄道改革推進部監理課補佐官となる。国有鉄道再建実施対策室補佐官からの肩書きの変遷からわかるように、本田氏の役割は「発足直後のJRグループを軌道に乗せること」に変わった。

 再建監理委に出向した角田、林両氏と本田氏との関係がどのようなものであったかに関する資料は得られなかった。だが、双方が気脈を通じながら、車の両輪として動かなければ分割民営化はあり得なかっただろう。「官邸」側で動いたのが角田、林両氏、運輸省側で国鉄部解体に抵抗する「守旧派」を抑え込むのが本田氏。そのような役割分担だったというのが当研究会の見立てである。角田氏はその後JR西日本の初代社長となった(実権を握っていたのは井手正敬副社長だった)。

 JR北海道の経営が厳しさを増していた2016年11月12日、事務次官を退任していた本田氏は「日本経済新聞電子版」でこう語っている。「(JR北海道は)『国策会社だ』と誤解しないでほしい。この誤解は国鉄を破綻(はたん)させた要因の一つだ。なるべく早く株主を全員民間にし、規律ある経営をする。それが自分たちの任務だという意識を経営者と社員に持ってもらいたい」。ここに至っても分割民営化は正しいという主張だった。

 JR北海道が「自社単独では維持困難」な10路線13線区を公表したのは、わずかその6日後(2016年11月18日)のことだ。このとき「バス転換すべき5線区」(赤路線)に指定された根室本線・富良野~新得間がこの3月限りで廃止となる。この区間は、1981年に石勝線(南千歳~新得)が全通するまでは、札幌と釧路・根室をむすぶ大動脈として特急列車や貨物列車が頻繁に往来した重要区間だ。2016年の大雨災害で東鹿越~新得間が流出し、復旧さえ行われないままだった。赤字が最も酷い区間だからという理由で、つながっている路線の途中区間を災害から復旧もさせず、わざわざ断ち切る。世界鉄道史に残る愚策であることは指摘するまでもなかろう。

 ●航空部門の要職へ

 1987年10月、本田氏は航空局監理部航空事業課補佐官となる。国鉄改革推進部監理課補佐官の肩書きはわずか半年だったが、ここは国鉄部財政課国鉄再建実施対策準備室から部署名が変わっただけで事実上連続した組織なので、国鉄分割民営化関連業務を2年半担当したことになる。この2年半は国労の分裂と少数派への転落、国鉄改革関連8法案の成立(1986年11月)から新会社発足、採用差別事件の発生という最も重大な時期と重なる。本田氏が運輸省側の担当者として責任の一端を負っていることは言うまでもない。

 初めて航空部門に配属された本田氏は、1989年6月、いったん国会提出法案を担当する大臣官房文書課に戻るが、1994年に再び航空局に配属。航空事業課長を務める。この間、旧建設省と統合し、国土交通省に名称を変えた新組織で、航空局飛行場部長、航空局次長などの要職を歴任し、2009年7月に鉄道局長、2010年8月には航空局長を務めた。本連載第3回でお伝えしたとおり、国交省所管の財団法人「運輸政策研究機構」研究者らが羽田新ルート原案を公表したのもこの時期(2009年)のことだが、本田氏を初め省内の誰もこの案が実現可能とは信じていなかった。2014年に新ルートが「官邸案件」となった結果、強引な新ルート推進が始まるが、これと時期を同じくして2014年7月に国土交通省の事務方トップ・事務次官に就いたのが本田氏であったこともすでに明らかにしている。

 ●東京メトロの完全民営化にも

 事務次官を最後に国交省を退官した本田氏は、いったん損害保険会社顧問などを務める(前述のJR北海道をめぐる発言はこの時期のこと)。2019年、事務次官経験者の天下り先としてはJAL、ANAの役員と並んで最上級ポストである東京メトロ会長に就いた。東京メトロの株式は民営化後も国が53・4%、都が46.6%を持つ。国は東京メトロの早期完全民営化を図るため、株式売却を目指してきたが、なかなか進まなかった。

 その背景には、旧営団地下鉄時代から、東京都営地下鉄との一元化を目指したい都の思惑があった。旧営団が持つ路線は、丸ノ内線のように戦前から民間地下鉄会社の手によって建設開業した古い路線を買収したものもある。古くから開発が始まった路線ほど都心に近いため営業成績が良い一方、戦後になって計画が具体化した都営地下鉄の多くは現在も赤字である。東京都民ならずとも、旧営団(現メトロ)と都営の両方に乗車したことがある人なら、その混雑度に歴然とした差があることは「肌感覚」で理解できるだろう。ほとんどの路線が赤字である東京都は、黒字基調であるメトロとの一元化が完全民営化すると不可能になると考え、株式売却に抵抗してきた。

 当初計画では、株式売却期限は2022年度と定められていたが、国と都の交渉が難航して頓挫した。2020年には、売却期限を当初計画から5年先延ばしすることが決まっていた。だが2021年になって事態は動く。東京メトロに対する国・都の関与を残しつつ、売却益を有効活用するため、国・都が保有する株式のうち当面は半分の売却を適当とする国交省審議会の答申を受け、財務省が売却の方針を決めたのだ。2019年に就任した本田会長時代の出来事である。

 2023年6月、本田氏は任期満了に伴い東京メトロ会長を退任する。空港施設への人事介入問題の発覚がなければ続投の意思もあったようだが、かなわなかった。空港施設の株主総会で乗田社長の再任人事がJAL、ANAHDの大手航空2社の造反により否決されたのも6月のことで、ほぼ同時期だった。

 ●新自由主義的交通行政の「象徴」

 ここまで、本田氏の軌跡を旧運輸省入省時に遡って見てきた。その官僚人生の前半は国鉄分割民営化、後半は航空自由化・羽田新ルートの強行とともにあった。退官後は東京メトロ会長としてその完全民営化へ道筋をつけた。いわば、陸と空のあらゆる公共交通、公共財であるはずの鉄道と航空機、すべてを市場原理の下に売り飛ばしてきた官僚人生だった。彼の官僚人生の中間点で、運輸省は建設省と統合し国土交通省となったが、旧運輸省から引き継いだ新自由主義的交通行政のすべてを体現した存在だったと指摘しても決して過言でないだろう。

 本田氏が進めてきた「ニセ改革」によって、いま日本の公共交通は瀕死の状況に追い込まれている。廃止が相次ぐ北海道のローカル線やトラック・バス輸送などはすでに瀕死の状態にある。本田氏、そしてその官僚人生が「象徴的に体現」してきた国土交通省はこの事態に対しどう責任をとるのか。もし国交省が当連載に対し弁明する気があるなら、いつでも当研究会に連絡してきてほしい。

   ◇   ◇   ◇

 1月2日に起きた羽田空港での衝撃的衝突事故から5回にわたってお送りしてきた当連載は、いよいよ次回で最終回となる。今回の事故直後から、有識者や国土交通労働組合の声明などで何度も指摘された事故調査のあり方を問う。警察の捜査が運輸安全委員会の事故調査に優先する現状とその改善策を示して、本連載を終えたい。

<参考文献・記事>

「東京メトロ・本田会長が退任へ 人事介入問題の元国土交通事務次官」(2023年5月23日付け「朝日新聞」) 

「ピラミッドを上り詰め、東京メトロに 人事介入した元次官が歩んだ道」(2023年7月8日付け「朝日新聞」)

・「国鉄改革の真実」(葛西敬之・著、2007年、中央公論新社)

・「帝都高速度交通営団の経営形態について」(佐藤信之、月刊「鉄道ジャーナル」2000年1月号)

(取材・文責:黒鉄好/安全問題研究会)

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