(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)
コロナ禍以降、JR各社の「迷走」が深まっている。それが最も加速しているのはかつて「ガリバー」ともてはやされた東日本だ。特に、朝夕のラッシュ時間帯に京葉線の通勤快速・快速すべてを各駅停車に格下げする今年3月のダイヤ改悪は千葉県内を中心に猛烈な反発を呼んだ。蘇我~東京間の場合、改悪前のダイヤなら快速で42分で到達していたのが、55分かかるようになる。たかが13分、されど13分。朝の13分は貴重な時間だし、通勤通学客にとっては1週間に5日も使うのだ。1年間で見ると「累積損失時間」は計り知れない。沿線自治体が相次いでダイヤ「改正」を見直すよう申し入れる事態に発展。結局、東日本は快速の一部を存続させる妥協策に踏み切らざるを得なかった。
これ以上に深刻だったのは「みどりの窓口」削減だ。東日本の深沢祐二社長(当時。現・会長)は2021年5月の記者会見で、2025年までにみどりの窓口を7割減らすと表明していた(念のため強調しておくが、7割「に」減らすのではない。7割減らす、つまり3割しか残らないということだ)。コロナ禍後に乗客のほとんどが「戻る」と予想してローカル線も窓口も減らさない方針を表明した東海と対照的に、乗客は完全には戻らないとの予測を基に、東日本は急ピッチで窓口削減を行った。
ところが、東日本の予想に反して通勤通学客、インバウンドとも急激に戻ってきたことで歯車が狂い始めた。東京都産業労働局調査によれば、2024年3月時点でも都内での在宅勤務(テレワーク)実施率は36%もある。東日本はこうしたことを根拠に窓口削減に踏み切ったのかもしれない。だが、そもそも従業員数10万人の大企業で、1人の社員が1年間で1日の在宅勤務をするだけでも「実施している」と回答できるような調査が、鉄道会社が通勤通学客の実態を把握する上でまったく意味を持たないことは言うまでもない。
鉄道の利用実態は、窓口での乗車券類発売装置「マルス」や自動改札機のSuica読み取りデータを集計すればわかるはずだ。前述した都産業労働局調査でも、在宅勤務実施者の4分の1は「テレハーフ」(半日在宅、半日出社)や時間単位テレワークであることも示されている。通勤通学客は東日本が思っている以上に回復しているが、それでも東日本が窓口削減をやめないのは、マルスやSuicaのデータすらまともに確認していないか、一度決めたことを変更すれば責任を問われるから、データを見てわかっていても変えられない(俗に言う「謝ったら死ぬ病」)かのいずれかだが、私は後者の可能性が高いと思っている。
みどりの窓口の混乱がピークに達したのは3月下旬~4月上旬だった。そうでなくとも年末年始・お盆に次ぐ再繁忙期である。新年度開始で通勤・通学を始める人が増えるが、券売機でも買える継続定期券と異なり、新規は窓口でないと買えないことが多い。また、国鉄時代からのルールで指定券類は「乗車日の前月の同じ日」(例えば、5月3日乗車分の指定券類は4月3日)から発売されるため、5月大型連休の指定券類も発売開始となるからだ。回復したインバウンドまで加わり、都内では窓口で2~3時間待ちも常態化。長蛇の列の中から怒号が飛び交うなど不穏な空気が流れた駅もある。明らかに利用客の不満は頂点に達していた。
結局、大型連休明けの5月8日、東日本は窓口削減の「一時凍結」表明に追い込まれた。JRの経営を支えているのは日本語のわからないインバウンドと機械操作に不慣れな高齢者だ。窓口需要は今後増えることはあっても減ることはなく、むしろ拡充すべきだろう。
北海道でも、3月「改正」で札幌~旭川間の「カムイ」「ライラック」を除くすべての特急で自由席が廃止、全車指定席化となった。同時に、割引率の高かった「自由席往復割引きっぷ」も廃止となった。JR北海道は、インターネットでの事前予約で指定席が割引になる「えきねっと」を盛んに宣伝しているが、会社の出張等では行きの時刻は予測できても帰りの時刻は予測できないことが多い。それに、お葬式など急に利用せざるを得ないことだってある。急用の時でも、駅に行けば割引切符でふらりと乗れる鉄道のメリットも、高速バスなど競合交通機関との間の競争力も投げ捨ててしまった。今、道内の特急は混んでいる列車とガラガラの列車の差が拡大。全体的に見てもJR離れが加速している。
利用客のニーズをきちんと把握せず、利用客本位の営業施策を打てないJRを批判する声がこの間、目立っている。だが私は事態はもっと本質的なところにあると思っている。そもそもJRの営業規則類は旧国鉄が制定したものを継承しており、全国ネットワークとしての鉄道網をいかに乗りやすくするかに主眼が置かれている。窓口を訪れる乗客のニーズに合わせて、駅係員が頭の中に乗車経路をイメージしながら、最適な乗車券類を提案・販売できるようにするためのもので、駅係員が理解していれば乗客は知らなくてもすむことが前提になっている。
私は、鉄道専門の書店で数年に一度、関係者向けに販売されているJRの営業規則の冊子を購入することがあるが、その厚さは5cmを超えており、最初は「広辞苑」かと思ったほどだ。それだけ複雑で、駅係員でさえ全貌を理解しているか怪しい切符のルールの根本部分に手を着けないまま「乗りたければ自分でルールと経路を理解し、自分で券売機を操作せよ」というのだ。いわば乗客に「マルス」の操作をさせるに等しく、大混乱が起きない方がおかしい。
「この際、運賃・料金を一本化して、飛行機のような『全部込み』で単純明快な料金体系にすればいい」などと主張する「自称鉄道専門家」も一部に見られるが、私はそのような運賃料金制度には反対だ。陸上交通機関である鉄道は面的な全国ネットワークを持っており、飛行機のような点と点とを直線で結ぶ交通機関とは違う。旧国鉄が残してくれた、全国ネットワークに適した運賃料金制度を今後も維持すべきだ。新幹線と在来線、幹線とローカル線を乗り継ぎながらどこにでも便利に行ける利点を活かした営業施策こそが求められる。新幹線や特急の停車する駅間だけを運賃・料金セットで割り引き、ローカル線に乗り継げば逆に高くなるような「えきねっとトクだ値」サービスは間違っている。私は、ローカル線衰退の一因は「えきねっとトクだ値」サービスにもあると思っている。
JRという名を冠すれば「いくらでも叩いていい」という風潮が、このところメディアの間に出てきている。特に、ローカル線廃止やみどりの窓口削減問題に関しては、これまで国鉄分割民営化に好意的だった読売・産経・新潮などのメディアが厳しい批判に転じていることも潮目の変化を物語っており、JR各社にとって誤算だったに違いない。
右からも左からも「袋叩き」状態のJRはこの点でも次第に国鉄末期に似てきたように思う。今、私の耳にはJRの「断末魔」がはっきりと聞こえている。
(2024年6月28日)
コロナ禍以降、JR各社の「迷走」が深まっている。それが最も加速しているのはかつて「ガリバー」ともてはやされた東日本だ。特に、朝夕のラッシュ時間帯に京葉線の通勤快速・快速すべてを各駅停車に格下げする今年3月のダイヤ改悪は千葉県内を中心に猛烈な反発を呼んだ。蘇我~東京間の場合、改悪前のダイヤなら快速で42分で到達していたのが、55分かかるようになる。たかが13分、されど13分。朝の13分は貴重な時間だし、通勤通学客にとっては1週間に5日も使うのだ。1年間で見ると「累積損失時間」は計り知れない。沿線自治体が相次いでダイヤ「改正」を見直すよう申し入れる事態に発展。結局、東日本は快速の一部を存続させる妥協策に踏み切らざるを得なかった。
これ以上に深刻だったのは「みどりの窓口」削減だ。東日本の深沢祐二社長(当時。現・会長)は2021年5月の記者会見で、2025年までにみどりの窓口を7割減らすと表明していた(念のため強調しておくが、7割「に」減らすのではない。7割減らす、つまり3割しか残らないということだ)。コロナ禍後に乗客のほとんどが「戻る」と予想してローカル線も窓口も減らさない方針を表明した東海と対照的に、乗客は完全には戻らないとの予測を基に、東日本は急ピッチで窓口削減を行った。
ところが、東日本の予想に反して通勤通学客、インバウンドとも急激に戻ってきたことで歯車が狂い始めた。東京都産業労働局調査によれば、2024年3月時点でも都内での在宅勤務(テレワーク)実施率は36%もある。東日本はこうしたことを根拠に窓口削減に踏み切ったのかもしれない。だが、そもそも従業員数10万人の大企業で、1人の社員が1年間で1日の在宅勤務をするだけでも「実施している」と回答できるような調査が、鉄道会社が通勤通学客の実態を把握する上でまったく意味を持たないことは言うまでもない。
鉄道の利用実態は、窓口での乗車券類発売装置「マルス」や自動改札機のSuica読み取りデータを集計すればわかるはずだ。前述した都産業労働局調査でも、在宅勤務実施者の4分の1は「テレハーフ」(半日在宅、半日出社)や時間単位テレワークであることも示されている。通勤通学客は東日本が思っている以上に回復しているが、それでも東日本が窓口削減をやめないのは、マルスやSuicaのデータすらまともに確認していないか、一度決めたことを変更すれば責任を問われるから、データを見てわかっていても変えられない(俗に言う「謝ったら死ぬ病」)かのいずれかだが、私は後者の可能性が高いと思っている。
みどりの窓口の混乱がピークに達したのは3月下旬~4月上旬だった。そうでなくとも年末年始・お盆に次ぐ再繁忙期である。新年度開始で通勤・通学を始める人が増えるが、券売機でも買える継続定期券と異なり、新規は窓口でないと買えないことが多い。また、国鉄時代からのルールで指定券類は「乗車日の前月の同じ日」(例えば、5月3日乗車分の指定券類は4月3日)から発売されるため、5月大型連休の指定券類も発売開始となるからだ。回復したインバウンドまで加わり、都内では窓口で2~3時間待ちも常態化。長蛇の列の中から怒号が飛び交うなど不穏な空気が流れた駅もある。明らかに利用客の不満は頂点に達していた。
結局、大型連休明けの5月8日、東日本は窓口削減の「一時凍結」表明に追い込まれた。JRの経営を支えているのは日本語のわからないインバウンドと機械操作に不慣れな高齢者だ。窓口需要は今後増えることはあっても減ることはなく、むしろ拡充すべきだろう。
北海道でも、3月「改正」で札幌~旭川間の「カムイ」「ライラック」を除くすべての特急で自由席が廃止、全車指定席化となった。同時に、割引率の高かった「自由席往復割引きっぷ」も廃止となった。JR北海道は、インターネットでの事前予約で指定席が割引になる「えきねっと」を盛んに宣伝しているが、会社の出張等では行きの時刻は予測できても帰りの時刻は予測できないことが多い。それに、お葬式など急に利用せざるを得ないことだってある。急用の時でも、駅に行けば割引切符でふらりと乗れる鉄道のメリットも、高速バスなど競合交通機関との間の競争力も投げ捨ててしまった。今、道内の特急は混んでいる列車とガラガラの列車の差が拡大。全体的に見てもJR離れが加速している。
利用客のニーズをきちんと把握せず、利用客本位の営業施策を打てないJRを批判する声がこの間、目立っている。だが私は事態はもっと本質的なところにあると思っている。そもそもJRの営業規則類は旧国鉄が制定したものを継承しており、全国ネットワークとしての鉄道網をいかに乗りやすくするかに主眼が置かれている。窓口を訪れる乗客のニーズに合わせて、駅係員が頭の中に乗車経路をイメージしながら、最適な乗車券類を提案・販売できるようにするためのもので、駅係員が理解していれば乗客は知らなくてもすむことが前提になっている。
私は、鉄道専門の書店で数年に一度、関係者向けに販売されているJRの営業規則の冊子を購入することがあるが、その厚さは5cmを超えており、最初は「広辞苑」かと思ったほどだ。それだけ複雑で、駅係員でさえ全貌を理解しているか怪しい切符のルールの根本部分に手を着けないまま「乗りたければ自分でルールと経路を理解し、自分で券売機を操作せよ」というのだ。いわば乗客に「マルス」の操作をさせるに等しく、大混乱が起きない方がおかしい。
「この際、運賃・料金を一本化して、飛行機のような『全部込み』で単純明快な料金体系にすればいい」などと主張する「自称鉄道専門家」も一部に見られるが、私はそのような運賃料金制度には反対だ。陸上交通機関である鉄道は面的な全国ネットワークを持っており、飛行機のような点と点とを直線で結ぶ交通機関とは違う。旧国鉄が残してくれた、全国ネットワークに適した運賃料金制度を今後も維持すべきだ。新幹線と在来線、幹線とローカル線を乗り継ぎながらどこにでも便利に行ける利点を活かした営業施策こそが求められる。新幹線や特急の停車する駅間だけを運賃・料金セットで割り引き、ローカル線に乗り継げば逆に高くなるような「えきねっとトクだ値」サービスは間違っている。私は、ローカル線衰退の一因は「えきねっとトクだ値」サービスにもあると思っている。
JRという名を冠すれば「いくらでも叩いていい」という風潮が、このところメディアの間に出てきている。特に、ローカル線廃止やみどりの窓口削減問題に関しては、これまで国鉄分割民営化に好意的だった読売・産経・新潮などのメディアが厳しい批判に転じていることも潮目の変化を物語っており、JR各社にとって誤算だったに違いない。
右からも左からも「袋叩き」状態のJRはこの点でも次第に国鉄末期に似てきたように思う。今、私の耳にはJRの「断末魔」がはっきりと聞こえている。
(2024年6月28日)