人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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<地方交通に未来を(18)>鶏が先か卵が先か、その答えは能登にある

2024-09-18 21:32:59 | 鉄道・公共交通/交通政策

(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 鉄道が廃止されると人口が減り、町が寂れるのか。それとも、人口が減って町が寂れ、鉄道利用者も減ったから廃止になるのであって、両者は無関係なのか。ローカル線廃止絶対反対派と、廃止支持派の間でもう半世紀以上も続き、おそらく永久に決着のつくことがない論争である。決着がつかないのは「どちらも正しい」からである。「廃線推進派を相手に、そんな“鶏が先か卵が先か”のような消耗戦をいつまでしていても時間の無駄だ。人口が減って鉄道が廃止されるとさらに人口が減り、ダウンサイズされたバスなどの公共交通がまた廃止になるスパイラルなのだから、私なら『(負の)連関』のひとことで済ませる」。「次世代へつなぐ地域の鉄道」執筆に私とともに加わった桜井徹・日本大学名誉教授は明快だ。私も各地の講演などでこの質問が出たときは「鉄道廃止は、人口減少や町の衰退の原因であるとともに結果でもある」と答えてそれ以上の議論はしない。貴重な講演時間がその論争で終わってしまっては疲れるだけで無意味だからだ。

 元日の能登半島地震から8か月経った。震源地が北陸電力志賀原発の近くにあり、またかつて珠洲原発の計画を阻止した歴史もあるため、原発関連で話題が出ることはあっても、鉄道と絡める形で能登地震の話題が出たことはこの8か月、まったくといっていいほどない。今回はその面からの話をしておきたい。

 能登地震の最も大きな被害を受けた能登半島先端部には、2005年3月まで「のと鉄道」が走っていた。旧国鉄の特定地方交通線・能登線を引き継いだ第三セクター鉄道だ。時刻表の路線図を広げると、今ものと鉄道は残っているが、これはJR西日本から譲渡された旧七尾線区間であり、もともとの区間とは違っている。旧能登線は穴水から蛸島(珠洲市蛸島町)までを走っており、もともと交通不便なこの場所で住民や観光客が効率よく動ける地元の貴重な足だった。

 能登地震から3か月が経過した3月下旬、能登半島先端部では水道が未復旧の地域がいまだに1割もあるとの情報を入手した。全水道(地方自治体の水道事業職員で構成する労働組合)関係者の話であり、情報源としては信頼できる。全国の水道事業の実態を最もよく把握しているのは自治体水道労働者であり、被災水道の復旧も彼らが地元業者と連携して進めているからである。

 水道だけではない。横倒しになった建物も再建どころか撤去もされていない場所が多く残る。過去の大地震被災地である東北や熊本などと比べて、明らかに復旧が遅い。国は復旧が遅れている理由を「半島の先端のため人も車も入れない」などと説明しているが、それならなぜ20年前、のと鉄道を廃止したのか。貴重な地元の移動手段を残していれば、旅客列車を休止させ復旧物資用貨物列車を走らせるなどの非常手段があり得たと思う。

 「大災害が来ればどうせ鉄道も不通になるのだから意味がない」と、廃止支持派は言うだろう。確かに被災した「瞬間」だけを見ればそうかもしれない。だが、廃止以降の20年という長い時間軸にしてみると、見えてくる風景はまったく異なる。 内閣府が6月26日に公表した「令和6年能登半島地震における災害の特徴」によれば、旧のと鉄道の終点駅・蛸島駅のあった珠洲市の高齢化率(全人口に占める65歳以上の比率)は約52%、輪島市が約46%。珠洲市は全人口の半数以上が65歳以上という恐るべき比率だが、それでも2016年熊本地震の主要被災地である益城町が約54%、南阿蘇村でも約43%だったのと比べると同程度で、能登が突出して高いわけではない。

 むしろ私が注目したのは能登被災地の人口減少率の高さである。被災6市町(七尾市、輪島市、珠洲市、志賀町、穴水町、能登町)における人口減少率は、1985年を1として2020年は0.6であり、35年間でなんと4割も減っている。石川県全体では人口は横ばいであり、全国では同じ期間、過去の蓄積もあり1985年の人口をまだ上回っている。

 人口が4割減った被災6市町のうち、志賀町以外は旧のと鉄道の走っていた地域と重なる。ただ、人口減少のペースを見れば1985年から、のと鉄道廃止(2005年)を挟んで2015年までの30年間、一本調子で減っており、鉄道廃止との強い関連性は認められない(同時に、志賀原発建設が始まった1988年以降も減少ペースが鈍っていないことから、原発が来れば地域が栄えるという原発推進派の宣伝もウソであることは指摘しておきたい)。

 「35年間で4割も人口が減るような地域は、あと40~50年も待てば誰もいなくなる。そんなところに巨額の復旧復興予算を投じるのは無駄だ」と国が考えていることは、財政制度等審議会(財務省の諮問機関)が今年4月に公表した提言にも現れている。能登復興に当たっては「維持管理コストを念頭に置き、集約的なまちづくりを」――提言は包み隠さず、財務省の本音をこう述べているのだ。

 国交省が2016年に発行したパンフレット「もしも赤字の地域公共交通が廃止になったら?」には「地域鉄道廃止と地域活力との関係」を示す表が掲載されている。鉄道が廃止された地域の人口が2000年を1として、10年後には0.95と5%減っているのに対し、存続している地域では1と横ばいを維持している。鉄道廃止が地価に与える影響を示す別のグラフでは、2000年を1として、鉄道が廃止された地域の15年後は0.5と半額に下落しているのに対し、鉄道が存続した地域では0.6。下落には違いないが、鉄道が残れば「負け幅」を1割も縮小できることを、この資料は示している。ただ、5%にしても1割にしてもあまりに小さすぎる。この程度なら「誤差の範囲内」であり、地域衰退と鉄道廃止は「無関係」だと信じたい廃線支持派にも一定の根拠を与える結果になっている。

 だが、能登被災地からは、数字では表すことのできないこの国の本当の姿が見える。35年間で4割も人口を減らした町では、かつて「どうせ誰も乗っていないのだから、そんな鉄道などなくなっても誰も困りませんよね?」と主張する行政と鉄道会社に同意し、鉄道を手放した。大災害が襲った20年後、地元住民たちは、単語だけを入れ替え、国に再び問われるのだ。「どうせ誰も住んでいないのだから、そんな地域などなくなっても誰も困りませんよね?」と。災害復旧さえ行われないまま廃止に追い込まれたローカル線と同じことが、地域社会全体に拡大して行われている。地域社会全体の「廃止協議」である。

 ローカル線廃止を支持してきた人たちに私は問いたい。「どうせ誰も住んでいないのだから、そんな地域などなくなっても誰も困りませんよね?」と「廃止協議」が始まる次の場所がもしあなたの町だったとき、それでもあなたは同意するのか。いつまで経っても復旧しない能登被災地を見ていると、そう問われているとしか思えないのだ。 

(2024年9月10日)


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