安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

日本社会の縮図だった同窓会と、私の「これから」

2025-01-12 12:06:18 | 日記

ここ数年来、生活パターンが日頃と変わる年末年始になると、自分自身の精神状態の悪さや迷走を象徴するような夢を見ることが多かったが、昨年末から昨日に至るまでは、そのような夢は見ていない。睡眠が浅くなるのは例年通りだが、見る気配も今までのところはない。昨年10月12日付け記事で述べたとおり、少なくともここ数年では、私の精神状態は最も安定している。

1月8日付け記事で紹介した正月の同窓会の余韻は、まだ残っている。同期が440人もいれば、その中に1人くらい社長とか部長といった肩書きを持つ人がいるものだと思っていた。そんな人がいれば当然、話題に上るはずだが、出ないまま終わった。そんな人はいないということだろう。

S社のトラック運転手だったMくんは、高校時代、生徒会役員をしており、休み時間はほとんど教室にいなかった記憶がある。私から見れば、眩しく輝ける「リア充」そのものだったMくんより、「帰宅部」で協調性にも劣り、「非リア」で輝いていなかった私のポジションのほうが上だったことを心苦しく思うと同時に、「就職氷河期世代、報われていないな」という率直な感想を抱いた。

同期の「出世頭」が女性のRさんだったことに関しては、2通りの解釈が可能だと思う。ひとつは、ジェンダー・ギャップ縮小に向け、私が想像しているより早く時代が進んでいるということである。この解釈通りなら日本にも希望はある。もうひとつは、私の世代が「就職氷河期」の入口に当たったため、通常なら出世で有利なはずの男子生徒の多くが正規職に就けなかった結果が影響している可能性があるということである。

どちらの影響がより大きいかを判断する材料を私は持ち合わせていないので、私の下級生を含めた分析が必要だと思うものの、この点に関して個人ブログで優れた分析をしている記事がある。最近は影を潜めたが、かつて社会派ブロガーと呼ばれ一世を風靡したChikirinさんのブログ「Chikirinの日記」2008年8月3日付け記事「正社員ポジションはどこへ?」だ。16年半も前に書かれたものだが、さすがはマッキンゼー社で経営コンサルタントを長く務めただけのことはあり、分析はしっかりしている(私はコンサルタント自体「虚業」「ブルシット・ジョブ」だと思っているからあまり信用していないが)。

正社員の数は1987年から2007年までの20年間でほとんど変わっていないが、非正規雇用が1000万人近く増えたことがデータで示されている。増えた1000万人のほとんどが女性と高齢者だが、一方で、正社員のポストの多くを占めているのが、この記事で引用されているデータ(2007年)の時点で55歳以上だった世代である。この世代は1952年より前に生まれているので、最も若い人でも72歳。完全引退ではないとしても、社会の第一線からはすでに退いている。

正社員の数自体は変わっていないのだから、この世代が手放した正社員ポストは誰か別の人に渡ったことになる。Chikirinさんは、この後のデータや分析を示していないので断定はできない。だが「(2007年当時で)35歳以下、つまり1972年以降生まれの世代では女性が男性を圧倒している」という分析から考えると、1952年以前生まれの人たちが手放すことで空いた正社員ポジションの多くに、1972年以降生まれ世代の女性が座ったという推定が成り立つ。私の同期生は全員が1970~71年生まれで、Chikirinさんが「女性が男性を圧倒」していると分析した世代の入口に当たる。

この分析結果は、私の同期の出世頭が女性のRさんだったという事実と整合性を持つ。Rさんの存在は、これからの時代を占う上でひとつのシンボルかもしれない--Chikirinさんの16年半も前の記事が、そのようなヒントを与えてくれたのである。

   ◇    ◇    ◇

50代の「偉くなれなかった人」は、何を考えて働き、生きているのか?」(Fujiponさんのブログ「いつか電池が切れるまで」2021年8月31日付け記事)を読んで、大変共感を覚えた。こちらも4年半も前の記事だが、『(経営層、管理職になる人たちは)20代、せめて30代前半の頃から、そのための準備を積み上げてきていた』のに対し、Fujiponさんは『言われたところに行き、与えられた仕事をやって、それなりの給料をもらって生きる、賞罰なしの人生』だったと自分の半生を振り返りつつ『そういう人生だったから、ぶっ壊れずに生きてこられたのか、もうちょっとやれたのかは、自分でもわかりません。振り返ることはあっても、過剰に後悔はしない。これもまた、50年生きて身に付けた処世術なのでしょう』と述べている。まさに私の人生をトレースしたような内容である。

Fujiponさんは『”誰でもできそうだが、誰かがやらなければならない仕事”を誰かがやっていることによって、(最前線にいる人が)そこでしかできない仕事に集中できる、というのも実感しています』とした上で、そのような自分の仕事を「雪かき」に例えている。こうした実感も、最近の私と大変よく似ている。

Fujiponさんは医者で、私は企業の事務職という違いはあるが、どこの職場も基本構造は同じである。「人事評価では決して評価対象にはならないけれど、誰かがやらなければならない仕事」というものが、職場にも、そして社会にもある。

私の場合、ICT関連業務というのもこれに含まれる。誰の担当でもないので、やらないでおこうと思えばそれですんでしまうはずなのだが、Windows95が発売され一大ブームを起こしてから、今年でちょうど30年。ネット黎明期からずっとコンピューターに親しみ続け、たいていのトラブルを経験してきている私は、誰にも話していないはずなのに(私より明らかに詳しい人物が1名いるため)「職場で2番目にICTに詳しい人物」とされ、ことあるごとに相談が持ちかけられる。

システム開発といったような、システム部門に身を置いていれば当然、評価対象になるような仕事と異なり、「共有サーバーから警報音がして、エラーが出てるんだけど、誰かわかる人いる?」「昨日までログインできていたのに、なんで私だけ今日、急にログインできなくなったの? 誰か助けて」といった類の、いわゆる「ICT雑用」である。放置もできないので、自分の本業によほどの緊急性がない限り、放り出してまで対応に当たるが、こうしたことが評価対象になることはない。

ゴミ出しや、清掃業者が入らない更衣室内のトイレ掃除、庶務担当者が育児休業で長く休んでいるので、その人の代わりに郵便物を取りに行く仕事など、山ほど雑用がある。これらも当然、評価対象になることはない。しかし、だからといって誰もやらなければ、警報音は鳴りっぱなしのまま、コピー機の用紙は切れ、ゴミも山積みになったまま職場はカオスになってしまう。

こうした仕事に対しては、最近の若手社員にも言いたいことがある。生まれた時から新自由主義しか知らないせいか、コスパ、タイパの面で見て「割に合わない」仕事をなかなかやろうとしないことである。評価対象になる仕事には熱心に取り組むが、評価対象にならない仕事には「誰かがそのうちやるだろう」と思っている節がある。私の新人時代のように「新人は誰よりも先に出社して、全員の机を雑巾で拭き、お茶を入れろ」などと指導すれば、今の時代は「不適切にもほどがある」事例に一発認定されてしまう。しかし、30年後の今、思えばそれは「評価につながらなくても、誰かがやらなければならない仕事があるのだ」という職場、社会全体の基本構造を教えてくれる、諸先輩方からのありがたい「通過儀礼」だったのだ。

正直に告白すると、前述したような仕事は、少し前までは、50歳を過ぎた自分がやるようなことではないと思っていた時期もある。しかし、最近はそうした仕事にこそ最も喜びを感じるようになった。経営層や管理職には、部下からの相談に乗り、メンバーが働きやすくなるよう職場環境を整えること(いわゆるマネジメント)や、重要な判断、決断を下すという任務がある。彼らが、係長や平社員がやるような雑事、雑用に追われていては適切な判断、決断に支障を来す場合がある。

花形部署で看板業務をしている人たちも「その人たちでなければ果たせない役割」があるので、経営層や管理職と同様、それ以外の雑事、雑用からは(全面的にではないとしても)ある程度、解放される必要がある。

そうなると、経営層や管理職、花形部署で看板業務をしている人たちの手を離れたとはいえ「評価対象にならなくても、職場・社会のために誰かがやらなければならない仕事」は誰が引き受けるべきか、という問題が残る。業者委託などアウトソーシングすることで、日本の企業・組織は20年以上続いた「人余り・リストラ・デフレ」時代を生き抜いてきたが、「人手不足・インフレ」に逆転した日本社会ではそのような手法も次第に難しくなってきた。アウトソーシングに限界が近づいてきたのである。

花形部署で看板業務にも就いておらず、管理職レースからも外れた私のような人間こそ、こうした仕事を引き受けるのに最もふさわしい。そのことに気づき、いわば「悟りを開いた」のが昨年秋のことだった。迷走していた私の精神状態が急速に回復してきたのもちょうどその時期のことである。

さらに言えば、私が労働組合役員を長く続ける中で、自然に身につけた「作法」がある。若手社員から出た疑問・不満などを決して放置せず、必ず責任ある部署に取り次ぐということである。

最近起きた例でいうと、「業務中、着用が義務づけられている制服なのに、なぜ経費でクリーニングをしてもらえないのか。一緒に仕事をしている他社の社員は経費でクリーニングをしてもらえるのに、納得できない」というものだった。私は、要求として当然の内容と判断し、昨年秋、全国課長会議で議題にしてもらえるよう現場部門の課長に掛け合ったが「その話は数年前にも出されており、すでに(経費では出せないことで)決着ずみ」だと言われ、取りつく島もなかった。

しかし、これぐらいで投げ出す私ではない。来月に全国支所長会議が開催されるので、今度は「所長会議案件」として議題にしてもらえるよう準備を進めている。もし、所長会議でも結論が「ノー」なら、次は労働組合として正式に職場要求を提出し、労使交渉に持ち込む。私が今、描いている青写真である。

若手社員には「将来」がある。「お前、そんな言動を取っていたら、将来、出世できなくなるぞ」という「脅し」は、将来ある若手社員には効果がある。こうして、言いたいことがあるのに怖くて言えないというムードがまん延してくる。しかし、管理職レースからもすでに外れ、将来も残っていない私にそのような「脅し」は意味がない。「今さら出世などできるチャンスもないですし、したいとも思いませんが、今、何か仰いましたか?」と返しておけばいい。

このことに気づいたのも昨年秋頃のことである。「若手社員にとっては怖くて上に言えないことでも、恐れず言える無敵の人」という武器が私にはある。「若手社員を守る『盾』に、自分がなればいいんだ」と役割に気づいた瞬間、スーッと悩みが消えていくのがわかったのである。

50歳を過ぎても非管理職のまま、若い頃のような体力もフットワークの軽さも失ってしまった私のような人間に、職場で生き残る道はあるか。結論から言えば、ある。

1.評価の対象とはならないが、職場のため、社会全体のために誰かがやらなければならない業務を積極的に引き受ける。

2.非管理職のままでも、20代から50代までに蓄積してきた経験がある。経験の浅い若手社員がやるには骨が折れる「緊急度、重要度は高くないが、難易度がやや高め」な仕事を、蓄積してきた経験で確実に結果につなげる。

3.「無敵の人」の立場を活かして、若手社員の上層部に対する疑問・不満の「受け皿」になる。

4.得意分野、専門分野がある場合、それを活かす。私の場合は、ICTの知識や文章能力など。

この数年間は、自分の進む道が見えず、本当に苦しかった。だが、こうした道で頑張ればいいと悟りを開いたら精神面での不安はなくなった。

もうひとつ重要なことがある。子どもの頃から「長」のつく仕事など一度も経験したことがなく、管理職にまったく向いていない私に無理やり管理職への希望を書かせた前任の課長など何名かの人たちが「60歳になったら、役職定年で管理職を降りなければならず、賃金もほぼ半分になる。どうしよう」という話ばかりしているのを聞き、滑稽に思えた。初めから役職に就かなかった私にはする必要のない心配だからである。

高校野球の地方予選を初戦で敗退したある球児が「全国で一番早く、来年に向けたスタートを切れます」とインタビューに答えているのを、「切り替えが早いな」と冷めた目で見ていた時期もある。しかし、今こそ彼のその無邪気なポジティブさに学ぶべきだと思う。「管理職になった同期より5年以上早く役職定年後に向けたスタートができる」と発想を切り替えてみると、気持ちが軽くなった(ちなみに、上で挙げた4項目は、そのまま役職定年後に求められるスキルでもある)。同窓会でかつての級友たちと旧交を温めたこともあり、2025年の新年は、私としては久しぶりに晴れ晴れしている。


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