昨日に引き続いて、郡山市立美術館での展覧会について書きます。
ブログのタイトルにて「浮世絵の頂点か」などと大胆なタイトルを付けましたが、それほど驚かされたのが「江戸近郊八景」と「近江八景」でした。あまりの驚きに、これらを見ずして、広重を見たと言えるのかとさえ思いました。
色について。例えば「東海道五拾三次」は、浮世絵によく用いられる藍色、紅、黄土など様々な色彩で刷られていますが、「江戸近郊八景」「近江八景」は、藍色と中鼠(“なかねず”と読みます。ねずみ色のことです)のほぼ2色をメインとし、他の色は興を添える程度にしか用いられていません。それだけしか使わないとどんな版画になるのか。言葉で表現するのは極めて困難なのですが、神秘的な江戸時代の姿が表現されていると言うことができます。より言うのなら、「東海道…」には「あそび」がありますが、「江戸…」「近江…」には、風景やそこに生きる人々を、真剣、かつ冷静に見た姿があると申しますか…。日本人でありながら、ここまで客観的に風景を見ることができるのかと考えさせられるほどでした。
ちなみに、これらは広重、40歳代の作です。当時は人生50年の時代ですから、人生も半ばを過ぎているわけです。その時期に、これだけの創作が出来るとは広重、恐るべしといえるでしょう。(広重は62歳で没しています)
また、この展覧会では広重のスケッチブック『甲州日記写生帳』も展示されていました。広重のスケッチは関東大震災でほとんどが焼けてしまい、現存するものがほとんどないそうです。さて、あれだけの版画を創った広重のスケッチ。興味津々で見ましたが、意外に普通でした(笑)普通というと語弊がありますが、筆でさらさらとすこぶる単純に書いてあるだけです。木の表現は水墨画みたようなもので、違和感はあまりないのですが、舟や建物は平面的でお世辞にもうまくない印象でした。でも、これらのスケッチが、いざ版画になるとがらりと変わるから不思議。広重にとっては、あくまでスケッチは材料であり、それらに独自のアイディアを加えて、版画を生み出していたのでしょうね。机に向かって苦心する広重の姿が目に浮かぶようです。
ブログのタイトルにて「浮世絵の頂点か」などと大胆なタイトルを付けましたが、それほど驚かされたのが「江戸近郊八景」と「近江八景」でした。あまりの驚きに、これらを見ずして、広重を見たと言えるのかとさえ思いました。
色について。例えば「東海道五拾三次」は、浮世絵によく用いられる藍色、紅、黄土など様々な色彩で刷られていますが、「江戸近郊八景」「近江八景」は、藍色と中鼠(“なかねず”と読みます。ねずみ色のことです)のほぼ2色をメインとし、他の色は興を添える程度にしか用いられていません。それだけしか使わないとどんな版画になるのか。言葉で表現するのは極めて困難なのですが、神秘的な江戸時代の姿が表現されていると言うことができます。より言うのなら、「東海道…」には「あそび」がありますが、「江戸…」「近江…」には、風景やそこに生きる人々を、真剣、かつ冷静に見た姿があると申しますか…。日本人でありながら、ここまで客観的に風景を見ることができるのかと考えさせられるほどでした。
ちなみに、これらは広重、40歳代の作です。当時は人生50年の時代ですから、人生も半ばを過ぎているわけです。その時期に、これだけの創作が出来るとは広重、恐るべしといえるでしょう。(広重は62歳で没しています)
また、この展覧会では広重のスケッチブック『甲州日記写生帳』も展示されていました。広重のスケッチは関東大震災でほとんどが焼けてしまい、現存するものがほとんどないそうです。さて、あれだけの版画を創った広重のスケッチ。興味津々で見ましたが、意外に普通でした(笑)普通というと語弊がありますが、筆でさらさらとすこぶる単純に書いてあるだけです。木の表現は水墨画みたようなもので、違和感はあまりないのですが、舟や建物は平面的でお世辞にもうまくない印象でした。でも、これらのスケッチが、いざ版画になるとがらりと変わるから不思議。広重にとっては、あくまでスケッチは材料であり、それらに独自のアイディアを加えて、版画を生み出していたのでしょうね。机に向かって苦心する広重の姿が目に浮かぶようです。