学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

歌川広重 -浮世絵の頂点か-

2007-10-20 20:44:03 | 展覧会感想
昨日に引き続いて、郡山市立美術館での展覧会について書きます。

ブログのタイトルにて「浮世絵の頂点か」などと大胆なタイトルを付けましたが、それほど驚かされたのが「江戸近郊八景」と「近江八景」でした。あまりの驚きに、これらを見ずして、広重を見たと言えるのかとさえ思いました。

色について。例えば「東海道五拾三次」は、浮世絵によく用いられる藍色、紅、黄土など様々な色彩で刷られていますが、「江戸近郊八景」「近江八景」は、藍色と中鼠(“なかねず”と読みます。ねずみ色のことです)のほぼ2色をメインとし、他の色は興を添える程度にしか用いられていません。それだけしか使わないとどんな版画になるのか。言葉で表現するのは極めて困難なのですが、神秘的な江戸時代の姿が表現されていると言うことができます。より言うのなら、「東海道…」には「あそび」がありますが、「江戸…」「近江…」には、風景やそこに生きる人々を、真剣、かつ冷静に見た姿があると申しますか…。日本人でありながら、ここまで客観的に風景を見ることができるのかと考えさせられるほどでした。

ちなみに、これらは広重、40歳代の作です。当時は人生50年の時代ですから、人生も半ばを過ぎているわけです。その時期に、これだけの創作が出来るとは広重、恐るべしといえるでしょう。(広重は62歳で没しています)

また、この展覧会では広重のスケッチブック『甲州日記写生帳』も展示されていました。広重のスケッチは関東大震災でほとんどが焼けてしまい、現存するものがほとんどないそうです。さて、あれだけの版画を創った広重のスケッチ。興味津々で見ましたが、意外に普通でした(笑)普通というと語弊がありますが、筆でさらさらとすこぶる単純に書いてあるだけです。木の表現は水墨画みたようなもので、違和感はあまりないのですが、舟や建物は平面的でお世辞にもうまくない印象でした。でも、これらのスケッチが、いざ版画になるとがらりと変わるから不思議。広重にとっては、あくまでスケッチは材料であり、それらに独自のアイディアを加えて、版画を生み出していたのでしょうね。机に向かって苦心する広重の姿が目に浮かぶようです。

歌川広重 -入れなくともよいもの-

2007-10-19 10:22:02 | 展覧会感想
今日は三連休の中休みです。いつもより早めのブログ更新です。

昨日、郡山市立美術館で開催されている「広重 二大街道浮世絵展」を見学しました。歌川広重(1797-1858)の「木曾街道六拾九次」、「東海道五拾三次」、「江戸近郊八景」、「近江八景」の名作が展示されています。

私は「東海道五拾三次」に関しては、これまで何度か見たことがありましたが、それ以外ははじめての観覧です。私は浮世絵の画面から香る江戸の匂いに引き込まれ、じっと絵に食い入るように見ていました。近づいてみたり、遠目からみたり…。すると、ちょっと気がついたことがありました。浮世絵の画面のなかに、入れる必要の無いものがあるのではないかということにです。

たとえば、「東海道五拾三次」における≪丸子≫には、茶店でとろろ汁を食す旅人が描かれています。ふと、視点をずらし、茶店の裏手をみると、鍬が何気なくそっと置かれているのです。旅人と茶店だけで十分事足りるのに、どうしてそんな小物を入れたのでしょう。あるいは「木曾街道六拾九次」の≪下諏訪≫では、宿場でおいしそうにご飯を食べる人たちが描かれています。ここでも画面左に目を移すとと、お風呂に入ってくつろいでいる男性の姿があります。この男性がなくとも、絵として成り立つのでは?と疑問に思いました。ほかにも探せばきりがありません。建物の高台から往来を歩く人々をのぞく男性、わざわざ補修中のお城を書いてみたり。

考えてみるに、おそらく広重は、画面の中にさりげないものを加えることで、生活感を盛り込みたかったのでしょう。広重の絵に登場する人間たちは、誰もが生き生きとしています。自分も旅をしているような不思議な感覚すら覚えます。現在を生きる我々ですらそう感じるのですから、江戸時代に生きた人々は広重の絵にさぞ引き込まれたことでしょう。このような演出を考える広重という人間に興味がわきました。

明日も再び広重展のご紹介。江戸近郊八景、近江八景、そして幻のスケッチブックに感じたことを書く予定です。

そんな休日

2007-10-18 20:55:46 | その他
休日でしたので、福島県白河市と郡山市へ行きました。

白河市は、福島県の南にあります。道中、古くて大きな門構えの家の前を通りました。少し高い塀からは柿の木が外にのぞいており、たくさんの実がたれています。そんな光景を車内から見かけて、なんだか斉藤清の版画みたようだと思いました。日本の秋ですね。

さて、白河市の小峰城へ出かけました。暖かい陽気のなか、天主に備えてあるベンチに腰掛けて、ゆっくり写生をしてきました。城のそばに幼稚園があり、そこから子供たちの元気な声が聞こえてきます。ときどき風が吹いて、城の周りを囲む古木の葉がゆらりと揺れる。なんとも、のどかな雰囲気を味わうことができました。

郡山は市立美術館へ。幻の歌川広重の作品が展示されているのですが…それはまた明日ご紹介したいと思います。

ウイスキーを久しぶりに

2007-10-17 22:24:02 | その他
10月も半ばに入り、朝晩は少し肌寒くなりました。昨日、実家の両親に電話をしたら、コタツを出したとのこと。いくらなんでもコタツは早いでしょう?というと、宮城県はもう寒いんだからしかたがないという返事。それでもやっぱり大げさですよね。

我が家の犬はコタツが大好きで、すぐに中へもぐりたがります(笑)こまった犬です。ですから、昨日コタツを出したときにも、案の定すぐにもぐって眠り始めたそうです。そうして10分くらい経つと、息をはずませて、中から出、今度はソファで居眠りします。我が家の犬は、その繰り返し。

さて、寒さに弱いのは家系の問題か。私も滅法寒さには弱いのです。私は寒くなると、ウイスキーをストレートで軽く飲みます。そして体がぽかぽかになったところで布団に入り、ぐっすり眠るのです。寒いロシアではウォッカを飲んで、体を温めますよね。それと私も同じことをしているのです。そのうえ、私は冷え性でして…。(情けないといったらありゃしません)ロシアと私の住む地域では、だいぶ寒さが違いますけれど、そんな私なりの寒さ対策です(笑)

今は季節の変わり目。風邪を引く方が多いようですが、みなさんもどうぞお気をつけ下さい。

聞き取り調査

2007-10-16 14:19:06 | 仕事
本日は休暇を利用して、ある作家と生前親しかった方のお宅にお伺いしました。その方は、80歳になりますが、背筋はしっかりと伸びて、ご高齢にはとても見えません。初対面の私にも、気さくに話をして下さり、作家とのたくさんの思い出を聞かせていただきました。

聞き取り調査で得られる情報は、とても貴重なものです。作家とその方だけとの特別な思い出であるのはもちろん、作家や作品制作の裏話をお伺いすることが出来、本からは得られないことを得ることができるのです。残念ながら、時が経過すればするほど、生前の作家と交流のあった方は次々に鬼籍に入られ、こうしたじかに話をお伺いする機会は滅多にありません。今日は、大変有意義な時間を過ごすことができました。

ちなみに、私は人見知りをする人で、なかなか初対面の方とうまくお話をすることができません。ですから、こうした聞き取り調査のときには、とても緊張してしまいます。今日も例にもれず。けれど、そんな私を察してか、今回聞き取り調査に応じて下さった方は、とても甘いココアをご馳走して下さいました。本当に申し訳ありません!!


チェーホフ『カメレオン』の思い出

2007-10-15 16:21:18 | 読書感想
私が中学生の頃だったと思いますが、国語の教科書に、チェーホフの《カメレオン》が掲載されていた覚えがあります。なぜ覚えているのかと申しますと、物語のなかにはカメレオンなんざ一切出てこないのに、何で《カメレオン》なんてタイトルが付けられているのだろうと疑問に思ったためです。

誰しもが抱くタイトルの疑問。先生は授業の中で、どうしてこの物語は《カメレオン》とタイトルが付いているかわかる人はいますか、とおっしゃっいました。私はちっとも想像力のない生徒だったから、誰かが手を上げて答えてくれるのを待っていました。すると、ある同級生が挙手し、主人公がコロコロと意見を変えるからだと思います、と存外まじめな顔をして答えました。なるほど、確かにそうです。状況によって、カメレオンが皮膚の色を変えるのと同様に、主人公の意見もコロコロ変わるのです。ようやく私は合点がいきました。

昨日、柄にもなくチェーホフ全集を借りてきました。そこに『カメレオン』があり、十数年ぶりに読み返してみました。話の内容は、犬が男を噛み、もめているところで、主人公の警察署長が登場。初めすぐに犬を撲殺処分にしようとしますが、野次馬や部下が、この犬は将軍の犬、あるいはその弟の犬だとか、いやそうではないただの野良犬だとか、横から口を出します。もしこの犬がおえらい将軍の犬だったら、えらいこと。野次馬から様々な声が飛ぶたびに、署長の意見はコロコロ変わります。結局、犬は将軍の弟の犬だと結論が出され、噛まれた男は腑に落ちない調子で終わるのです。

学生時代は、こんな署長みたような大人になりたくないと思ったものですが、今は理想と外れて、少しカメレオンになってしまっているような…。でも、それではいけないのですよね。何とも情けない大人です。確固たる自分の意見を持つことは、なかなか容易なことではありませんけれども。

『カメレオン』を読んで、ふと学生時代の私に出会えた気がする休日の午後でした。

看板デザインのアイディア

2007-10-14 23:47:16 | 仕事
もうすぐ日付が変わりますが、ぎりぎりで日記更新です。

今日は地元のお祭りでした。朝からお客様がひっきりなしに訪れ、美術館スタッフは大忙し。私も受付業務でずっと立ちっぱなし。足が棒のようになりました。

ちょっとした合間の時間に小企画展の看板デザインやキャプションを作り、それを確認してもらうなどの仕事を行いました。私の場合、大忙しのときに、ふと頭の中にアイディアが生まれることが多いのです。集中しているからなのでしょうか?今度の看板は、江戸時代=風流から満月、東京=近代化から某大学の講堂をデザイン化したもの。今までの当館の企画展にはなかったような看板のデザインなので、ちょっと不安でもあるのですが、自分なりの挑戦(そんな大げさなものでもありませんが)と実験をかねて、作成したいと思っています。

さて、お祭りは結局見に行きませんでした。夜中の9時くらいまでやっていたようですが、なにぶん私は人が多いところが苦手なので(笑)。私は、遠くから聞こえる祭囃子の音だけで十分なのです。




打ち合わせの一日

2007-10-12 21:59:15 | 仕事
芸術の秋、そのせいかわかりませんが、10月は展覧会やイベントが多く、また中学生、高校生の職場体験もぶつかるので、当館にとっては忙しい時期です。

今日は午前中、打ち合わせのため施設へ移動。現場を見て、作品のレイアウトや看板の位置、展示作業の段取りについて話し合いをしてきました。

とても昼までに美術館へは戻れないので、お昼は近くのお蕎麦屋さんで。とても冷たくておいしい蕎麦でした。私は蕎麦がとても好きなので、ここはいきつけの店になりそう…ちょっと遠いけれど。おいしいといえば、上司にお昼をごちそうになったのもおいしい話でした(笑)

午後は、市で開催するイベントの打ち合わせ。当館は野外展示を行う予定になっており、その確認のための集まりでした。美術館の作品が、お客さんを引き付ける効果を出してくれることを祈って。

美術館から戻り、後は書類の整理や支払い手続き、電話応対(なぜか今日は私宛が多かったのです)であっという間に時間は経過。一日で出来る仕事は、たかが知れたもの、とわかっているけど、時間の経過は早すぎる!!

明日は市のお祭りです。おそらく天気もよさそうなので、沢山のお客さんが美術館に来て下さることでしょう!

私の古書コレクション

2007-10-11 22:17:50 | 読書感想
私の趣味の1つに古書コレクションがあります。竹久夢二の『青い小径』、芥川龍之介の『大導寺信輔の生涯』(装丁は小穴隆一)、谷崎潤一郎『鍵』(装丁は棟方志功》、夏目鏡子(漱石の妻)の『漱石の思い出』など、たぶん他の人から見れば、随分古臭い本だとしか思われないのでしょう。

古書を好きになったきっかけは、東京神保町の古本屋巡りでしょうか。もともと読書が好きなので、絶版になった岩波文庫を探していたときに、とても心引かれる装丁の本がずらりと並んでいる店を見つけ、そこで古書に夢中になってしまったわけです。私が持っているのは、ほとんどが大正、昭和初期の書籍。この頃、本は大変貴重なもので、まだ気軽には買えなかった時代。本も大量に印刷するのではなかったでしょうし、著者と画家がタイアップしての本が多いので、とても魅力的な装丁に仕上がっている場合が多いようです。

そういえば、先日、江戸東京博物館で夏目漱石の展覧会を見てきましたが、漱石は自著が出版される際の装丁にも随分こだわりを持っていたようです。装丁をつとめたのは、中村不折、橋口五葉、津田青楓、そして漱石自らが装丁した本(『硝子戸の中』)もありました。本のデザインの良さに引かれて、買っていく人も居たでしょうね。

装丁は本の顔。むろん、本の中身が一番重要なのですが、まずは手に取ってもらわなくては、どんな画期的なことを書いても埋もれてしまいます。たかが装丁、されど装丁です。私は、装丁が良くて、中身も楽しめる本を買っています。これからもこのコレクションは続いていくことと思います。現実の問題として、お金がかかりますけれどね(笑)


フランス・パリと日本・東京

2007-10-10 21:04:31 | その他
「パリの街はいい。実にいい。みんなもパリへ行くといい。」
「いい」だらけで、パリを評したのは、何を隠そう私のかつての上司。「まちづくり」の海外研修から戻り、事務室での第一声がそれでした。

先日、NHKの番組「世界遺産」はフランスはパリでした。これを見ていると、上司がうなる理由もわかります。特に街並みが大変に美しく、歴史と現在が同居しているようです。趣のある建物は、自己主張を程よく抑えてあります。これだけの街並みは、市民全員が街を美しくしようという共通認識がないと、到底保てないでしょう。

テレビでパリを見た後、日本の東京へ目を移すと、あまりの乱雑さにがっかりする。少なくとも大正時代頃までは、日本もパリと同じように、高さが均一に保たれ、すこぶる景観が良かったそうです(先の上司が街並みについて一生懸命調べていたので、参考にさせていただいた)やはり、戦後にすっかり変わってしまいました。

明治期の版画家小林清親の作品に《橋場の夕暮れ》なるものがあります。その作品は、雨上がりの瑞々しい虹が、空に優しく架かる姿を、人が舟の上から眺めている様子の作品です。私は小林作品のなかでも、特に好きな絵でして、実際に現在の橋場(白髭橋付近)へ行きました。ところが、絶えずひた走る車の騒音、目立ちたがりの灰色のビル、濁り、ごみだらけの川。もはや、ここには情緒はありませんでした。100年の経過で、ここまで変わってしまうと、大変に残念です。

日本は、他国の文化をうまく吸収して、独自の文化を築き上げてきたといわれます。今はどうでしょう。他国の文化を吸収しすぎて、消化不良を起こしているような気がします。あまりにひどい症状です。結局、パリの街にあこがれてしまうのも、日本には街並みの美しさがないからなのかもしれません。