(1)福島県飯舘村は、福島第一原発事故発生後、放射線量が年間積算線量20mSvに達する恐れがあるとされた。しかし、避難指示区に指定されなかった。
ところが、このたび、村民が県発表の倍近く初期被曝していた疑いが浮上した。
原発の安全性を説く御用学者による「安全講演」が、村民に無用の被曝を招いた。
11月17日、「飯舘村放射能エコロジー研究会」(IISORA)が開催したシンポで明らかになった。
住民の平均被曝量は、7mSv。【「飯舘村初期被ばく評価プロジェクト」(リーダー:今中哲二・京都大学原子炉実験所助教)の中間報告】
県が発表していた調査値のほぼ倍だ。
(2)飯舘村では、原発事故直後(2011年3月15日)に放射能を帯びた雪が降ったため、その日の18時20分の放射線量が44.7μSv/時に跳ね上がった。その時点、村民はほとんど村内にいた。
原発に近い町村の住民h3月12日の避難指示でいち早く避難したが、指示がなくて遅れた飯舘村の住民のほうがむしろ多く被曝した。【今中助教】
(3)広島大学、原子力資料室などのメンバーが、今夏から避難先の仮設住宅などで聞き取りを続け、10月までに全村民6,132人中3割の1,812人を調査した。
被曝量の多い屋外にいた時間、被曝量の少ない屋内にいた時間などを考慮のうえ集計したところ、事故直後から同年7月31日までの村民の平均被曝量は7mSvだとわかった。一般人の法令上の被曝限度の7倍にあたる。
最大の被曝量が確認されたのは、60代の男性で、23.5mSv。
背dわいべつでは避難が早かった10歳以下の子dもは3.8mSvと比較的低く、村に残った50~60代が8mSvを越えるなど高かった。
(4)飯舘村は、事故後に自主避難などをしている。3月21日には半数になった。
国の計画的避難が始まった4月22日から7月末までには、ほとんどが村外避難した。
しかし、一方で、3月22日頃から村に戻る住民が急増した。
この頃、山下俊一・福島県放射線リスク管理アドバイザー(事故直後に就任)が村にやってきて、講演をしていた。
山下は、「100mSv以下は安全」「放射線の影響はくよくよしている人のところに来る」などと「安全神話」を振りまいた。その後、福島県立医大副学長に就き、同大学の鈴木眞一・教授らとともに県民健康管理調査の検討委員として調査を中心的に進めていた。しかし、同調査に対する住民の不信が募り、今年、委員を退任した。
その県民健康管理調査によれば、事故後から2011年7月11日までの村民3,102人の平均被曝量は3.6mSvだった。
このたびの広島大学などの調査は、地面のセシウム沈着量から計算した。県はモニタリングポストから、らしい。だが、なぜ差が出るかは検証を要する。【今中助教】
このたびの調査は外部被曝だけで内部被曝は検討されていない。しかし、数値を低く見積もりたい県の画策が改めて浮き彫りになった。
(5)昨年から確認され始めた甲状腺癌について、県は「因果関係はない」と主張する。
しかし、事故直後に現地入りした弘前大学の甲状腺被曝量調査を県が中止させた経緯がある。ヨウ素31は半減期が8日と短いことから、甲状腺癌の発症を予想し、因果関係の証拠を消した疑いがある。
当時の原子力安全委員会は、たった1,080人の検査から「放射線値は増えていない。8割が0.01以下」と結論した。だが、その検査の日、今中助教は飯舘村にいたのだ。村役場の近くで線量が5~7μSv。役場内でも10分の1。そのバックグラウンドで、どうやって0.01が測定できるのか?
□粟野仁雄(ジャーナリスト)「初期被曝量は平均で7mSvも!? 福島県・飯舘村で県発表の倍の数値に」(「週刊金曜日」2013年11月29日号)
↓クリック、プリーズ。↓

【参考】
「【原発】政府、線量を低く表示するモニタリングポストを改修工事」
「【原発】文科省、意図的に低い放射線量を公表か ~福島~」
「【震災】原発>プルトニウムとストロンチウムの飛散範囲 ~100km圏超~」
「【震災】原発>アポカリプス、ナウ ~飯舘村に今も暮らす人々~」
ところが、このたび、村民が県発表の倍近く初期被曝していた疑いが浮上した。
原発の安全性を説く御用学者による「安全講演」が、村民に無用の被曝を招いた。
11月17日、「飯舘村放射能エコロジー研究会」(IISORA)が開催したシンポで明らかになった。
住民の平均被曝量は、7mSv。【「飯舘村初期被ばく評価プロジェクト」(リーダー:今中哲二・京都大学原子炉実験所助教)の中間報告】
県が発表していた調査値のほぼ倍だ。
(2)飯舘村では、原発事故直後(2011年3月15日)に放射能を帯びた雪が降ったため、その日の18時20分の放射線量が44.7μSv/時に跳ね上がった。その時点、村民はほとんど村内にいた。
原発に近い町村の住民h3月12日の避難指示でいち早く避難したが、指示がなくて遅れた飯舘村の住民のほうがむしろ多く被曝した。【今中助教】
(3)広島大学、原子力資料室などのメンバーが、今夏から避難先の仮設住宅などで聞き取りを続け、10月までに全村民6,132人中3割の1,812人を調査した。
被曝量の多い屋外にいた時間、被曝量の少ない屋内にいた時間などを考慮のうえ集計したところ、事故直後から同年7月31日までの村民の平均被曝量は7mSvだとわかった。一般人の法令上の被曝限度の7倍にあたる。
最大の被曝量が確認されたのは、60代の男性で、23.5mSv。
背dわいべつでは避難が早かった10歳以下の子dもは3.8mSvと比較的低く、村に残った50~60代が8mSvを越えるなど高かった。
(4)飯舘村は、事故後に自主避難などをしている。3月21日には半数になった。
国の計画的避難が始まった4月22日から7月末までには、ほとんどが村外避難した。
しかし、一方で、3月22日頃から村に戻る住民が急増した。
この頃、山下俊一・福島県放射線リスク管理アドバイザー(事故直後に就任)が村にやってきて、講演をしていた。
山下は、「100mSv以下は安全」「放射線の影響はくよくよしている人のところに来る」などと「安全神話」を振りまいた。その後、福島県立医大副学長に就き、同大学の鈴木眞一・教授らとともに県民健康管理調査の検討委員として調査を中心的に進めていた。しかし、同調査に対する住民の不信が募り、今年、委員を退任した。
その県民健康管理調査によれば、事故後から2011年7月11日までの村民3,102人の平均被曝量は3.6mSvだった。
このたびの広島大学などの調査は、地面のセシウム沈着量から計算した。県はモニタリングポストから、らしい。だが、なぜ差が出るかは検証を要する。【今中助教】
このたびの調査は外部被曝だけで内部被曝は検討されていない。しかし、数値を低く見積もりたい県の画策が改めて浮き彫りになった。
(5)昨年から確認され始めた甲状腺癌について、県は「因果関係はない」と主張する。
しかし、事故直後に現地入りした弘前大学の甲状腺被曝量調査を県が中止させた経緯がある。ヨウ素31は半減期が8日と短いことから、甲状腺癌の発症を予想し、因果関係の証拠を消した疑いがある。
当時の原子力安全委員会は、たった1,080人の検査から「放射線値は増えていない。8割が0.01以下」と結論した。だが、その検査の日、今中助教は飯舘村にいたのだ。村役場の近くで線量が5~7μSv。役場内でも10分の1。そのバックグラウンドで、どうやって0.01が測定できるのか?
□粟野仁雄(ジャーナリスト)「初期被曝量は平均で7mSvも!? 福島県・飯舘村で県発表の倍の数値に」(「週刊金曜日」2013年11月29日号)
↓クリック、プリーズ。↓



【参考】
「【原発】政府、線量を低く表示するモニタリングポストを改修工事」
「【原発】文科省、意図的に低い放射線量を公表か ~福島~」
「【震災】原発>プルトニウムとストロンチウムの飛散範囲 ~100km圏超~」
「【震災】原発>アポカリプス、ナウ ~飯舘村に今も暮らす人々~」