(1)ウクライナ情勢が不安定になっている。
きっかけは、11月21日、ビクトル・ヤヌコビッチ・ウクライナ大統領の方針表明だ。これまで進めていたEUとの経済連携強化の協定交渉を突然中止し、ロシアとの関係を強化する方針だ。
(2)この方針転換に反発する十数万人規模の反政府集会が、連日続いている。
反政府集会を最初に呼びかけたのは、ムスタファ・ナイェム・「ウクライナ・プラウダ(ウクライナの真実)」(地元のインターネット・メディア)記者(32歳)だ。
<元々、親ロシアとされるヤヌコビッチ氏。それでも2010年に大統領に就任以来、大多数の国民の悲願であるEU加盟を目指し、約2年間、法整備を進めてきた。ナイェムさんら地元メディアはそうした状況を熱心に報道。それだけに、突然の路線転向は裏切られた気分だった>【注1】
<「これは深刻だ。独立広場に集まろう」。政府が路線転向を発表した21日夜、自宅でフェイスブックに書き込んだ。たちまち約600人が集まった。9年前のこの日、大統領選で親ロシアを掲げたヤヌコビッチ氏が親欧米派の候補を破って当選したが、一部市民らが抗議して選挙を無効にするという「オレンジ革命」が始まっていた>【注2】
<翌日、別の場所では主要3野党による集会も始まった。彼らに合流するよう呼びかけ、数日後に集会は統合。瞬く間に十数万人規模になった>【注3】
<合流を見届けた後、集会の主催側から抜け、今は記者活動に専念している。記者として政治活動をしたことに後ろめたさもある。だが、ナイェムさんは言う。「日本を含め、どんな国でも記者が政治的な活動に関与せざるを得ない一時期はあるはず。この国ではいまだに市民は治安部隊に殴られ、汚職もひどい。批判覚悟で呼びかけ、数日後に集会は統合。瞬く間に十数万人規模になった>【注4】
(3)ウクライナ東部、南部には、自分は広義のロシア人だ、という自己意識を持っているウクライナ人が少なからずいる。そもそも、帝政ロシア時代、ウクライナは小ロシアと呼ばれていた。東部、南部、中央部のウクライナ人は、日常的にロシア語を話す。宗教はウクライナ人の大多数は正教徒だ。軍事的にも経済的にもロシアと緊密な関係を維持している。東部の軍産複合体、宇宙関連企業と結びついたウクライナ人は、ロシアとの連携強化を望んでいる。
他方、西部のガリツィア地方は、歴史的にハプスブルグ帝国の版図で、同帝国解体後はポーランドに属していた。ガリツィア地方がソ連領ウクライナと統合されたのは、第二次世界大戦後のことだ。ガリツィア地方のウクライナ人は、日常的にウクライナ語を話す。宗教はカトリック教徒が多数派だ。ガリツィア地方の人々は、ロシアを嫌い、EUとの統合を強く望んでいる。
(4)大多数のウクライナ人は、とにかく生活がよくなれば、EUとロシアのどちらと組んでも構わない、と思っている。
ヤヌコビッチ大統領は、ロシアとの連携強化論者だ。これまで嫌々進めてきたEUへの接近を止めたら、欧米のNPO、NGOとつjながるウクライナの政治団体が本格的な異議申し立て運動を始めた、ということだ。
12月17日、ヤヌコビッチ大統領は、モスクワでプーチン・ロシア大統領と会見し、ロシア寄りの姿勢を鮮明にした。
ウクライナ国内における対立は、いっそう激化する。
【注1】記事「反政府集会、きっかけは地元記者の書き込み ウクライナ」(朝日新聞デジタル 2013年12月14日19時52分)
【注2】前掲記事。
【注3】前掲記事。
【注4】前掲記事。
□佐藤優「ウクライナ ロシアとEUに引き裂かれる国 ~佐藤優の人間観察 第51回~」(「週刊現代」2014年1月4・11日号)
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きっかけは、11月21日、ビクトル・ヤヌコビッチ・ウクライナ大統領の方針表明だ。これまで進めていたEUとの経済連携強化の協定交渉を突然中止し、ロシアとの関係を強化する方針だ。
(2)この方針転換に反発する十数万人規模の反政府集会が、連日続いている。
反政府集会を最初に呼びかけたのは、ムスタファ・ナイェム・「ウクライナ・プラウダ(ウクライナの真実)」(地元のインターネット・メディア)記者(32歳)だ。
<元々、親ロシアとされるヤヌコビッチ氏。それでも2010年に大統領に就任以来、大多数の国民の悲願であるEU加盟を目指し、約2年間、法整備を進めてきた。ナイェムさんら地元メディアはそうした状況を熱心に報道。それだけに、突然の路線転向は裏切られた気分だった>【注1】
<「これは深刻だ。独立広場に集まろう」。政府が路線転向を発表した21日夜、自宅でフェイスブックに書き込んだ。たちまち約600人が集まった。9年前のこの日、大統領選で親ロシアを掲げたヤヌコビッチ氏が親欧米派の候補を破って当選したが、一部市民らが抗議して選挙を無効にするという「オレンジ革命」が始まっていた>【注2】
<翌日、別の場所では主要3野党による集会も始まった。彼らに合流するよう呼びかけ、数日後に集会は統合。瞬く間に十数万人規模になった>【注3】
<合流を見届けた後、集会の主催側から抜け、今は記者活動に専念している。記者として政治活動をしたことに後ろめたさもある。だが、ナイェムさんは言う。「日本を含め、どんな国でも記者が政治的な活動に関与せざるを得ない一時期はあるはず。この国ではいまだに市民は治安部隊に殴られ、汚職もひどい。批判覚悟で呼びかけ、数日後に集会は統合。瞬く間に十数万人規模になった>【注4】
(3)ウクライナ東部、南部には、自分は広義のロシア人だ、という自己意識を持っているウクライナ人が少なからずいる。そもそも、帝政ロシア時代、ウクライナは小ロシアと呼ばれていた。東部、南部、中央部のウクライナ人は、日常的にロシア語を話す。宗教はウクライナ人の大多数は正教徒だ。軍事的にも経済的にもロシアと緊密な関係を維持している。東部の軍産複合体、宇宙関連企業と結びついたウクライナ人は、ロシアとの連携強化を望んでいる。
他方、西部のガリツィア地方は、歴史的にハプスブルグ帝国の版図で、同帝国解体後はポーランドに属していた。ガリツィア地方がソ連領ウクライナと統合されたのは、第二次世界大戦後のことだ。ガリツィア地方のウクライナ人は、日常的にウクライナ語を話す。宗教はカトリック教徒が多数派だ。ガリツィア地方の人々は、ロシアを嫌い、EUとの統合を強く望んでいる。
(4)大多数のウクライナ人は、とにかく生活がよくなれば、EUとロシアのどちらと組んでも構わない、と思っている。
ヤヌコビッチ大統領は、ロシアとの連携強化論者だ。これまで嫌々進めてきたEUへの接近を止めたら、欧米のNPO、NGOとつjながるウクライナの政治団体が本格的な異議申し立て運動を始めた、ということだ。
12月17日、ヤヌコビッチ大統領は、モスクワでプーチン・ロシア大統領と会見し、ロシア寄りの姿勢を鮮明にした。
ウクライナ国内における対立は、いっそう激化する。
【注1】記事「反政府集会、きっかけは地元記者の書き込み ウクライナ」(朝日新聞デジタル 2013年12月14日19時52分)
【注2】前掲記事。
【注3】前掲記事。
【注4】前掲記事。
□佐藤優「ウクライナ ロシアとEUに引き裂かれる国 ~佐藤優の人間観察 第51回~」(「週刊現代」2014年1月4・11日号)
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