『あぶない一神教』は序章を含めて6つの章で構成されている。
序章 孤立する日本人
第1章 一神教の誕生
第2章 迷えるイスラム教
第3章 キリスト教の限界
第4章 一神教と資本主義
第5章 「未知なるもの」と対話するために
ここでは第3章をとりあげる。第3章は次の各節からなる。
(1)イエス・キリストは「神の子」か
(2)ユニテリアンとは何か
(3)ハーバード大学にユニテリアンが多い理由
(4)サクラメントとは何か
(5)何がキリスト教信仰を守るのか
(6)第一次世界大戦という衝撃
(7)なぜバルトはナチズムに勝ったのか
(8)皇国史観はバルト神学がモデル?
(9)米国が選ぶのは実証主義か霊感説か
(10)無関心の共存は可能か
(1)イエス・キリストは「神の子」か
キリスト教とイスラム教は、同じ一神教で、同じ神様を信じているはずなのに、物語のフレーム、文化のフレームが違う。だから対立が続くのだ。その原因を一点に絞れば、イエス・キリストの存在に行き着く。
イスラム教にはイエス・キリストに当たる存在がない。この差がもっとも大きい。
イエス・キリストとは何か。
人間である。間違いない。
ただし、正統のキリスト教によれば、イエス・キリストは天地創造のはじめから“神の子”である。神から生まれて、とき至って、聖霊によってマリアから生まれ、肉体を得て人となった。つまり、人となる前は、神だった。人として処刑され、のちに復活した。イエス・キリストが神であることは、終始一貫している。人だったのは、人として生まれてからだ。
しかし、いまは人間だ。神の右の座に就いているけれど、人間として座っている。人間だけれど、まことの神である。
ここから「三一論/三位一体論」(トリニティ)で議論になる【注】。
そもそもキリスト教では、一神教でありながら、唯一の神を信じるという形態をとらない。神様はひとつであるが、父なる神、子なる神(イエス・キリスト)、聖霊なる神がいるという三一論だ。ひとつの神だけれど、三つある。一で三だ。
この問題の神学的処理は簡単だ。わからないから、不合理だから、信じるしかない。こう結着をつけている。
この考え方の基本になっているのが「受肉」論だ。神の子であるイエス・キリストが人間として生まれてきたことを「受肉」という。なぜ肉の形(人間の形)をとらざるをえなかったのか。仏教の輪廻転生とは違う一回限りのできごとだ。
ここがキリスト教の一番の特徴だ。イスラム教にもユダヤ教にもない考え方だ。米国型キリスト教であるユニテリアンにも「受肉」という考え方はない。
【注】東京神学大学では「三位一体論」、同志社大学神学部では「三一論」という術語を使う傾向がある。トリニティに「位」や「体」に相当する言葉は入っていない。「三一」のほうが正確だ。
□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
↓クリック、プリーズ。↓
【参考】
●第3章 キリスト教の限界
「【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~」
「【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~」
「【佐藤優】ハーバード大学にユニテリアンが多い理由 ~ キリスト教の限界(3)~」
「【佐藤優】サクラメントとは何か ~ キリスト教の限界(4)~」
「【佐藤優】何がキリスト教信仰を守るのか ~ キリスト教の限界(5)~」
「【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~」
「【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~」
「【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~」
「【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~」
「【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~」
●第4章 一神教と資本主義
「【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~」
「【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~」
「【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~」
「【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~」
「【佐藤優】隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか ~一神教と資本主義(5)~」
「【佐藤優】自然は神がつくった秩序か ~一神教と資本主義(6)~」
「【佐藤優】働くことは罰なのか ~一神教と資本主義(7)~」
「【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~」
「【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~」
「【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~」
序章 孤立する日本人
第1章 一神教の誕生
第2章 迷えるイスラム教
第3章 キリスト教の限界
第4章 一神教と資本主義
第5章 「未知なるもの」と対話するために
ここでは第3章をとりあげる。第3章は次の各節からなる。
(1)イエス・キリストは「神の子」か
(2)ユニテリアンとは何か
(3)ハーバード大学にユニテリアンが多い理由
(4)サクラメントとは何か
(5)何がキリスト教信仰を守るのか
(6)第一次世界大戦という衝撃
(7)なぜバルトはナチズムに勝ったのか
(8)皇国史観はバルト神学がモデル?
(9)米国が選ぶのは実証主義か霊感説か
(10)無関心の共存は可能か
(1)イエス・キリストは「神の子」か
キリスト教とイスラム教は、同じ一神教で、同じ神様を信じているはずなのに、物語のフレーム、文化のフレームが違う。だから対立が続くのだ。その原因を一点に絞れば、イエス・キリストの存在に行き着く。
イスラム教にはイエス・キリストに当たる存在がない。この差がもっとも大きい。
イエス・キリストとは何か。
人間である。間違いない。
ただし、正統のキリスト教によれば、イエス・キリストは天地創造のはじめから“神の子”である。神から生まれて、とき至って、聖霊によってマリアから生まれ、肉体を得て人となった。つまり、人となる前は、神だった。人として処刑され、のちに復活した。イエス・キリストが神であることは、終始一貫している。人だったのは、人として生まれてからだ。
しかし、いまは人間だ。神の右の座に就いているけれど、人間として座っている。人間だけれど、まことの神である。
ここから「三一論/三位一体論」(トリニティ)で議論になる【注】。
そもそもキリスト教では、一神教でありながら、唯一の神を信じるという形態をとらない。神様はひとつであるが、父なる神、子なる神(イエス・キリスト)、聖霊なる神がいるという三一論だ。ひとつの神だけれど、三つある。一で三だ。
この問題の神学的処理は簡単だ。わからないから、不合理だから、信じるしかない。こう結着をつけている。
この考え方の基本になっているのが「受肉」論だ。神の子であるイエス・キリストが人間として生まれてきたことを「受肉」という。なぜ肉の形(人間の形)をとらざるをえなかったのか。仏教の輪廻転生とは違う一回限りのできごとだ。
ここがキリスト教の一番の特徴だ。イスラム教にもユダヤ教にもない考え方だ。米国型キリスト教であるユニテリアンにも「受肉」という考え方はない。
【注】東京神学大学では「三位一体論」、同志社大学神学部では「三一論」という術語を使う傾向がある。トリニティに「位」や「体」に相当する言葉は入っていない。「三一」のほうが正確だ。
□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
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【参考】
●第3章 キリスト教の限界
「【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~」
「【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~」
「【佐藤優】ハーバード大学にユニテリアンが多い理由 ~ キリスト教の限界(3)~」
「【佐藤優】サクラメントとは何か ~ キリスト教の限界(4)~」
「【佐藤優】何がキリスト教信仰を守るのか ~ キリスト教の限界(5)~」
「【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~」
「【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~」
「【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~」
「【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~」
「【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~」
●第4章 一神教と資本主義
「【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~」
「【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~」
「【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~」
「【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~」
「【佐藤優】隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか ~一神教と資本主義(5)~」
「【佐藤優】自然は神がつくった秩序か ~一神教と資本主義(6)~」
「【佐藤優】働くことは罰なのか ~一神教と資本主義(7)~」
「【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~」
「【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~」
「【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~」