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中学国語指導案・少年の日の思い出研究4・教科書掲載理由検討

2011-02-01 05:32:45 | 中高国語など指導案
2011/2/12upわかる目次
中学国語指導案・少年の日の思い出研究4・教科書掲載理由検討
作成日2011/02/12

『少年の日の思い出が長年教科書に載っているのはなぜか』
少年の日の思い出「すんでのところで」の研究1における、
zzr氏提供の論題の一番目がこれだ。
この問題は、国語教員の殆どが答えをお持ちだろう。
zzr氏の論題で冒頭にあるこの問題が実は教員にとっては最も易しい。
ただ、易しいが答えは推測しかできない。
以下の記述も推測でしかなく、証明の方法はない。
また、推測の記述に関して僕は一切の責任を負わない。

1 文章量の適切さ
 国語教科書に「文学教材」を載せる場合事実上最も問題になるのは、
 「文章の長さ」
 だろう。
 長くていいなら優れた小説は山ほどある。
 教科書に載せられる短編は少ないのだろう。
 『少年の日の思い出』はちょうどいい長さだから載り続ける。
 しかし、短編だって山ほどある。
 本当は日本作家の短編を発掘して欲しい。

2 表現が無難である
 教科書には載せられない表現を含む小説は多い。
 政治、宗教、性的表現は無論不可能だろう。
 こういう内部規定は教科書検定をする人たちが詳細を持っているだろう。
 僕は見たことがない。
 例えば『ベロ出しちょんま』は実に優れた教材だ。
 僕はプリントして中学一年生には度々授業する。
 だが最終場面に差別的表現があり、子供がはりつけの刑にあう。
 教科書には載らないだろう。
 教科書検定には時の政治的背景もからむ。
 僕が触れても仕方のない問題だ。

3 翻訳文だからこそよい
 できれば別立てで書きたいが、なぜか教科書には翻訳文学が多い。
 推測すれば、翻訳だからこそ「表現が無難」なのかもしれない。
 習慣、文化、風俗が異なるから日本で問題になる事柄が出てこない。
 だから、翻訳文の『少年の日の思い出』が残ったのかもしれない。

4 主役の年齢が中学一年生と同じ
 主役が十二歳くらいで趣味はチョウ集めだ。
 感情の共感や場面理解が容易だと考えるのだろう。
 だが、今どきというか二十年前から既にチョウ集めをする少年などいなかった。
 共感できるだろうか。
 少年ならではの人間関係や失敗が読解に適する、というのはまだわかる。
 しかし、そういう日本文学が四十年間発掘できなかったのだろうか。
 疑問だ。

5 文学好き教員の趣味に合う
 出版社の営業マンによれば『故郷』(中三)ファンの教員がいつになっても多いという。
 いい教材だが、もういいだろうとも思う。
 国語科の教員は当然本好き、文学漬けで育ったから
 特に年を召した方が『故郷』のような作品に懐古的な好みを示すのだ。
 『少年の日の思い出』も同じ理由でいつまでも現場の声で残る。
 しかし、今の若い人は違うはずだ。
 出版の営業は優れた若い教員に話を聞いて欲しい。

6 教科書検定の壁と灰色の教科書選定システム
 壁が厚いから新しい作品が発掘されない。
 教科書出版社の責任だけではないということだ。
 また、市町村ごとの教科書選定システムは灰色で僕には全くわからない。
 地域で「教科書選定委員」のようなものが選ばれるらしい。
 だが、誰がどんな理由で選ばれるのか誰も知らない。
 三十年来の国語教員の友人が、昨年ポロッと自分も選定委員をやったと言う。
 全然知らなかった。
 しかも、選定委員が良いとした教科書がその自治体で選ばれるかというとそうでもない。
 これ以上考えると何だか気持ち悪いのでやめておく。

7 出版社の勉強不足
 同情の余地は多いが、出版社の勉強不足は否めない。
 まあ、現場の国語教員に比して不足しているはずはないが驚いたことがある。
 ある営業マンは、斉藤喜博を読んだことがないと言う。
 大村はまは知っているそうだ。
 大村はまは特に女性教員に人気があると思う。
 だが、著書は随筆風で教育実践には役立たない。
 大村はま晩年の講演を拝聴したが感動的に素晴らしかった。
 だが教育の原則通り「話す力」と「書く力」は別の能力だ。
 また、向山洋一氏を知らない。
 「ああ、あの、む・か・い・や・まさんは聞いたことがありますが……」
 愕然とした。
 僕はブログ記事でTOSSを悪し様に批判している。
 だがこれは可愛さ余って憎さ百倍というやつで、
 結局TOSSしか教育の未来を担う団体はないと思ってきたからだ。
 僕の教育的思想と教育技術のほぼ全ては向山洋一氏から学んだ。
 向山洋一氏だけが日本の教育を正常化する最後の希望だった。
 失望は大きい。
 しかし、百歩千歩譲っても義務教育に関わる人間で向山洋一氏を知らない、
 読んだことがない、それで授業するというのは素人に近い。
 国語教員に限ったことではない。
 第一、向山洋一氏は社会科専門なのだ。
 現実は氏を知らない教員が多いのを今は分かっている。
 十年以上年前に気づいたときは頭が真っ白になった。
 向山洋一氏著作を読まないということは、
 本屋で教育書コーナーに行ったことがないということだ。
 向山洋一氏著作を読んでいないのは教育書を買ったことがないのかと疑う。
 教材選定のプロならば、教育技術論に通じるのは当然のことだ。
 
8 『少年の日の思い出』はすぐれた教科書教材
 色々言っても高橋健二訳『少年の日の思い出』はすぐれた教材だ。
 二十数年で最も多量の教材研究文を書いたと思う。
 読めば読むほど新しい発問を発見することができる。
 流行に乗り、直木賞作家の妙な文学を載せるよりずっといい。
 中学校の時僕は書写の授業が大好きだった。
 家で、言われもしないのに硬筆教科書を度々ノートに写した。
 美しく文字を書くというのは実に楽しい。
 その硬筆教科書にこんな言葉があった。

 「科学は最新のものを読め。
  文学は古典を読め。」


以上でzzr氏論題への回答は終わる。

ー zzr氏提言に答える中でネットで調べた面白いことを続ける予定 ー

カテゴリー別目次 ・ 記事一覧

国語授業中学少年の日の思い出
研究1・論題17題

研究2・教科書全表記比較
研究3・論題17題の検討
研究4・教科書掲載理由検討
研究5・高橋健二の戦争礼賛
研究6・中学生の頭を悪くするサイト
研究7・プロローグは削除してよい
研究8・小説と物語の違い
研究9・ヘッセノーベル賞の為か
研究10・作者論と作品論

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