四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

鎌倉街道 上道跡-小川町・大字能増 門跡裏-(埼玉県小川町)

2016年02月03日 | 鎌倉街道
一昨日(2月1日)に続き本日も鎌倉街道 上道跡の堀割状遺構を探しての散策をしてきました。まずは同じく小川町の能増地内の門跡裏の遺構です。
以前、県道296号線(菅谷・寄居線)沿いに案内(説明)板があったのを記憶しておりましたから取り敢えずその場所に行ってみました。



何と案内(説明)板が支柱から外れて落ちているではありませんか。




悪戯でしょうか? 自然落下でしょうか?




以前(2015年3月)に撮ったものからトリミングしてみました。これなら読めるでしょう。




案内板の背後にある竹藪に道がありましたのでここを歩いてみました。少しして民家の脇に至りましたがどうもこの道ではなさそうです。
深さ2m程の堀割状遺構とははっきり違いがあります。そこで民家の方にお聞きしようと声をかけてみましたがお留守のようでしたので確認ができません。
更に進むと道路に出ましたが、そこは「大字伊勢根 普済寺東」遺構への標柱が立っていた場所の道路でした。
しかしこの場所であることは間違いないようですので民家の方に戻り竹藪の中を覗いて見ましたら・・・




堀割状になっています。正直、荒れ放題の状態ですので深さ等はよくわかりませんが遺構であることは確かなようです。




倒れた竹が堀割を埋めています




堀割の底は歩けません




堀割から上がって堀割の状態を 深さと幅が幾らかでも分れば・・・




再び案内板の背後です  中央の黒く見える部分が遺構の始点にあたりますが水溜りになっていました




「大字伊勢根 普済寺東」堀割状遺構の始点あたりから見た門跡裏の堀割状遺構方向です。
白い蔵の後ろあたりまで門跡裏の堀割状遺構が延びていました。往時は普済寺東」堀割状の上道に繋がっていたことがよくわかります。

このあと部分的にもう一か所残っている天王原の鎌倉街道上道跡を探して散策しましたので後日・・・

散策日:2016(平成28)年2月3日(水)