四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

鎌倉街道 上道跡-寄居町・赤浜 天神沢-(埼玉県寄居町)

2016年02月09日 | 鎌倉街道
2月に入ってから文化庁選定「歴史の道」に選定されている「24鎌倉街道上道跡(埼玉県小川町・寄居町・毛呂山)」を
散策していますが、最後に残っていた寄居町の赤浜天神沢の堀割状遺構を探して歩いてきました。



県道296号線(菅谷・寄居線)の花園橋を途中で降り荒川沿いにアイリスオオヤマ埼玉工場(旧大里郡川本町・現深谷市)の建物を目指します。
四角の大きな建物がアイリスオオヤマ埼玉工場 手前の建物が寄居町の清掃センター




清掃センターの前を通過し緩い坂道を登ったところの左側の道端にコンクリート製の標柱が立っており「鎌倉古街道 川本町教育・・・」と書かれていました。
この標柱の後方が街道跡のように見えないでもないですがただ農道あとのようでもありますし。しかし目的の街道上道跡でないことは確かなようです。
ピンクの不法投棄絶対禁止の看板が目立ちます。ここは旧大里郡川本町・現深谷市です。




道標の道を挟んで反対側に坂道がありますがここを進んで行けばアイリスオオヤマ埼玉工場近くに行けそうです。
我が高級車でも行けそうでしたが例の如く空地に止めて徒歩で散策です。




緩い坂であるにもかかわらずゼーゼーしながら登って行くと左側の土塁に標柱らしきものが見えました。




「鎌倉街道上道 平成十五年四月」とあります。合併して深谷市になる前の大里郡川本町が建てたもののようです。
平成15年は西暦2003年で川本町が合併したのは平成18年西暦2006年1月のことですから。
後ろの白い壁面はアイリスオオヤマ埼玉工場の壁面です。




赤浜天神沢の堀割状遺構と称されるこの鎌倉街道上道の遺構は大里郡寄居町赤浜と旧川本町畠山の境界上にり、標柱が建てられているのは旧川本町内ということになります。
しかし、寄居町の地名が付いた遺構であるにもかかわらず寄居町(教育委員会)が設置したと思われるような標柱の類は見当たりません(見つけられなかっただけかも知れませんが)

まあ標柱を見に来たわけではなく遺構の散策に来たわけだからと堀割状遺構の堀底部分を歩いてみることに・・・




ここの遺構は 長さ約200m 幅約6m 深さ0.5~2m ということですが現状は変わってしまっているようです。




いきなりこんな状態です。




倒れて枯れた竹が堀割を埋めてしまっています これでは前に進めません。
土塁に上がって進みながら堀割にも降りてみましたが土塁の上もまともには歩けません。




竹の枝で完全に塞がれている箇所も・・・




土塁の上にはこれも旧川本町が設置した案内板が木々の間に隠れて無残な姿になっていました。 
これが設置されたときは手入れがされていたようですが、工場が建てられたことにより・・・とは思いたくはありませんが。




何が書かれてあったかその影はありませんが
どうにか鎌倉の文字だけがうっすらとのこっていました。




この辺りで遺構は終わっていますが、こちらを散策の出発点にするにはちょっと無理なようです。
今は住宅その他の建造物等でここまでの道がないようですので。




出発点の方を振り返ってもこんな状態ですから何も見えません。




土塁上ですがここも旧川本町分でしょう。右の建物がアイリスオオヤマ。




遺構(散策の出発点とした位置)から荒川の河川敷(耕地)を。前方の橋が「花園橋」、手前に見える屋根は衛生センターの屋根。
荒川はこの写真の右側を流れています。




赤浜の渡しのあった場所




獅子の形に似ていることから獅子岩ともいわれる川越(かわこし)岩 川を渡すかどうかをこの岩で水量を測って判断したとのこと。


以上 寄居町赤浜の鎌倉街道上道堀割状遺構を散策してきましたが全く手入れされていない現状を見ればただの竹藪です。遺構だという意識を
もって見るからどうにか遺構として見るうことが出来るだけです。公道ならともかく私有地であれば仕方ないことかもしれません。


これで取り敢えず歴史の道「24鎌倉街道上道跡(埼玉県小川町・寄居町・毛呂山)」の選定対象地を終えましたので、
今後は「歴史の道」に囚われることなく鎌倉街道跡でも散策してみましょうか。

散策日:2016(平成28)年2月8日(月)