今更こんな古いものを出してきたところで何の役にも立たない情報かも知れませんが 昔の入場券(入館券)はこんなものだったのかと思っていただければそれだけでよいと・・・

高島城 (長野県諏訪市高島) 日本三大湖城 天守 ・・・ 復興天守 攻城日:詳細記録なしなるも1970年代
高島城の歴史等についての記述は省かせていただきますが、鉄筋コンクリートによる復興天守が完成したのは1970(昭和45)年で、自身が
攻城したのは完成から間もない時であったかも知れません。この復興天守も例にもれず歴史資料館です。この時の記憶は定かではありませんが、
他の復元・復興建築物はほとんどなかったように思います。ただ、池が「心」の文字を形どったものであるというについては今なお忘れていませんが。
若し可能であるならば当時からは大分整備されているようですので訪ねてみたい城のひとつです。
富山城 (富山県富山市丸の内) 天守 ・・・ 模擬天守 攻城日:1972(昭和47)年8月15日
富山城の歴史等についてはやはり省かせていただきますが、この模擬天守は、1954(昭和29)年、富山城跡の敷地一帯で富山産業博覧会が
開催された折りに、元々富山城には天守は存在しなかったのですが犬山城や彦根城を参考に鉄筋コンクリートで建てられ、通称「富山城」と呼ばれるようになり、
同年11月より富山市立郷土博物館として運営が始まった。自身が訪館したのは能登半島一周の旅の途中に寄ってみただけであり、攻城という意識は全くなかったと
記憶しています。この能登半島一周の旅では金沢城跡にも訪れたが、この時は金沢大学のキャンパスとなっていたころで、今の金沢城跡ではありませんでした。


上の写真の入場券は本記事のタイトルにそぐわないかも知れませんが、新旧の入場券の比較も面白いかと載せてみました。
このうち名古屋城と彦根城の古い方のものについては自身が行ったものでなく、多分家族の誰かが行った時のものと思いますがいつのものかは特定できません。
彦根城については2007(平成19)年に築城400年を迎えており、チケットには約360年前という記述があり、築城400年の約40年前のチケットで
あることから逆算して45~6年前後前のものと推定しました。二条城については新旧とも自身が行った時のものですから記録が残っておりますので・・・
* 齢をとりますと古い話しかありませんので・・・自身では若いつもりなのですが

高島城 (長野県諏訪市高島) 日本三大湖城 天守 ・・・ 復興天守 攻城日:詳細記録なしなるも1970年代
高島城の歴史等についての記述は省かせていただきますが、鉄筋コンクリートによる復興天守が完成したのは1970(昭和45)年で、自身が
攻城したのは完成から間もない時であったかも知れません。この復興天守も例にもれず歴史資料館です。この時の記憶は定かではありませんが、
他の復元・復興建築物はほとんどなかったように思います。ただ、池が「心」の文字を形どったものであるというについては今なお忘れていませんが。
若し可能であるならば当時からは大分整備されているようですので訪ねてみたい城のひとつです。
富山城 (富山県富山市丸の内) 天守 ・・・ 模擬天守 攻城日:1972(昭和47)年8月15日
富山城の歴史等についてはやはり省かせていただきますが、この模擬天守は、1954(昭和29)年、富山城跡の敷地一帯で富山産業博覧会が
開催された折りに、元々富山城には天守は存在しなかったのですが犬山城や彦根城を参考に鉄筋コンクリートで建てられ、通称「富山城」と呼ばれるようになり、
同年11月より富山市立郷土博物館として運営が始まった。自身が訪館したのは能登半島一周の旅の途中に寄ってみただけであり、攻城という意識は全くなかったと
記憶しています。この能登半島一周の旅では金沢城跡にも訪れたが、この時は金沢大学のキャンパスとなっていたころで、今の金沢城跡ではありませんでした。


上の写真の入場券は本記事のタイトルにそぐわないかも知れませんが、新旧の入場券の比較も面白いかと載せてみました。
このうち名古屋城と彦根城の古い方のものについては自身が行ったものでなく、多分家族の誰かが行った時のものと思いますがいつのものかは特定できません。
彦根城については2007(平成19)年に築城400年を迎えており、チケットには約360年前という記述があり、築城400年の約40年前のチケットで
あることから逆算して45~6年前後前のものと推定しました。二条城については新旧とも自身が行った時のものですから記録が残っておりますので・・・
* 齢をとりますと古い話しかありませんので・・・自身では若いつもりなのですが