四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

畠山重忠が勧請した『菅谷神社』(埼玉県嵐山町)

2020年10月30日 | 神社仏閣


社 号:菅谷神社(すがや じんじゃ)
旧 称:日吉山王大権現、日枝神社
御祭神:・大山咋神(おほやまくひのかみ)
    ・保食命(うけもちのみこと)
    ・菅原道真公(すがわらのみちざね)
    ・素戔嗚尊(すさのおのみこと)
    ・畠山重忠命(はたけやま しげただ) 
創 建:建久元年(1190年)
社 格:旧村社
例 祭:10月17日
指 定:ー
鎮座地:埼玉県比企郡嵐山町菅谷608

菅谷神社は、畠山重忠の居館があったとされる『菅谷館跡』のおおむね北方約600mに所に鎮座し
ます。
この菅谷神社は、畠山重忠公が、武運長久の守護神として近江国日吉山の日吉山王権現の御分霊を
請願して建久元年(1190)に、近江国の日吉山王大権現として奉還勧請したのが始まりです。
明治4年(1871)に【村社】の列せられ『日枝神社』、さらに、『菅谷神社』と改称されたのです。
境内ははスギ林で、まさに鎮守の杜といった雰囲気で、遊具等も設置されており、人々の憩いの場
として親しまれています。
また、毎年11月初頭に開催される「嵐山時代まつり」の催しのひとつ【武者行列】では、ここ菅谷
神社で出陣式が行われ、まつり会場である菅谷館跡・国立女性教育会館まで向かいます。




参道入口




『社号標 菅谷神社』  裏面に「明治四拾五年壹月」とあり  明治45年 ⇔ 1912年




『菅谷神社一級社昇格 日吉大社特別参拝 記念碑』
この「一級社」とはどういう意味なのかよくわかりませんが、神社そのものの格付けではなく、当
該神社の神職の格付けによるものかと思います。
神職には「階位」「職位」があり、それに基づき特級から四級までの身分区分があって、菅谷神社
の神職が一級に昇格した。つまり、一級の神職が務める神社であることから「一級社」ということ
ではないかと解釈しました(正確なところは分りません)

※後日再度いろいろと調べたところ 神職の級とは別に、特級~9級くらいまでの現在の社格みた
 いなものがあるようです。詳細は更に調べてみないとわかりそうにありません。




参道沿いに設置されている「菅谷神社由緒」説明板

 由 緒
祭神  大山咋命 保食命 菅原朝臣道真公命 須佐之男命 畠山重忠命
由緒  本社大山咋命は元日枝神社なり是は畠山重忠年十七才にして治承四年十月武蔵国長井の渡
しの頼朝の御陣所に参し頼朝公に属して先鋒の将となり各地の戦争に大に軍功あって此の菅谷の地
を賜り依て此に新城を築き居住となし武運長久の守護神として近江国日吉山に鎮座なす(現今滋賀
県滋賀郡坂本村官幣大社日吉神社此の御分霊は日本国中即ち三府弐拾県の内に五百社之あり其の一
社の内の御分社)日吉山王権現の御分霊を畠山重忠請願に依建久元年九月十九日に奉遷勧請す故に
日吉山王大権現と称せしを明治四年神社取調の節村社に列せられ社号を日枝神社と改称す是より本
社境内に須賀神社及秩父神社の二社ありしを以て左に列記す須佐之男命は須賀神社と称して創立不
詳なれども本村成立と同時に勧請せしものと伝ふ
  菅谷神社祭日
 歳旦祭  一月三日     例大祭  十月十七日
 祈年祭  四月十五日    境内社手長男神社秋祭  十二月三日
 境内社手長男神社春祭 七月十三・十四日  新嘗祭(秋祭) 十一月二十三日
 境内社津島神社夏祭  四月三日  大 祓 十二月三十一日




参道と鳥居




鳥居の神額『菅谷神社』




参道 正面に菅谷神社社殿




社殿に向って参道の左側にある『山王宮菅谷神社 勧請八百年記念碑』




参道の右側にある『菅谷神社社務所』 裏側には『菅谷中央集会所』の看板あり




『手水舎』




『菅谷神社拝殿』
屋根は「流造(ながれづくり)」




『狛犬』  昭和20年(1945)建立




拝殿正面 向拝の頭貫には大きな社名札『菅谷神社』




棟紋  中央に【二葉葵】 左右に当社の神紋【右三つ巴】
何故【二葉葵】が!  由緒にあるよう畠山重忠が近江国の日吉神社の御分霊を請願し、勧請した
菅谷神社の当初の社名は日枝神社。
日吉神社(東本宮)の祭神は「大山咋神」であり、神紋が「二葉葵」です。菅谷神社の本社である
日吉神社の神紋は切っても切れないものでしょう。と、これまた勝手に推測してみました。

※八幡神社でよく見かける神紋は【左三つ巴】です(【右三つ巴】を神紋にしている社もあります)




拝殿入口の上に掲げられている扁額『菅谷神社』と揮毫




拝殿内




拝殿内に掲げられている扁額 当社の主祭神『大山咋神』と揮毫




社殿を斜めから




『本殿』を背後から




『菅谷神社改修記念碑』           「碑陰」
【碑陰 碑文】
菅谷神社は畠山重忠公の請願にに依り建久元年九月拾九日近江国日吉山に鎮座する日吉山王権現の
御分霊を奉還勧請し以来約八百年の歳月地域住民の守護神として厚く奉祀(?)されてきた・・・ 




『神楽殿』




境内社『稲荷神社』




境内社『津島神社』




左:稲荷神社の左斜め後方に鎮座する末社 社名は不詳
右:本殿裏手に鎮座する末社 「天神社かも」かという方も




『御神輿殿』




境内社『天手長男神社(あめのたながおじんじゃ)』




社殿前から鳥居方向を




境外末社『厳島神社』




『厳島神社』は菅谷神社と道路を挟んだ反対側にあり、かつてはここも境内の一部であったという
ような話も。現在は「菅谷公園』となっており、池の中に厳島神社は鎮座します。
朱色の橋は「辨天橋」ですが、渡れないように鎖で閉鎖されています。

参詣日:令和2年(2020)9月6日(日)


《参考写真》


「嵐山時代まつり」の【武者行列】における出陣式は菅谷神社で行われますが、出陣に先立って行
われる『三献の儀』の様子




参道で行われる『火縄銃演武』(川越藩火縄銃鉄砲隊)

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