水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

駄心・2

2005-03-01 17:26:19 | Weblog
「心」は「欲」で創られている。
「欲」=「悪いもの」という固定概念の人は反論する。
「優しい心、思いやりの心も欲か?」
それは「欲」じゃない。
(表現では使うけど)最初から「心」じゃないし・・・。

「向上心や奉仕の心も欲か?」
それは「欲」だと思うよ。
自分から動く、自分へ動かす心は「欲」だものね。
「自分」が中心なのは「欲」なんだ。
だから「欲」=「悪いもの」にすると苦しむ。
摩擦や矛盾が沢山出てくる。
自分も他も虐める。

「優しさ」「思いやり」などは、他を認める「やわらかさ」。
だから「心」じゃない。
「心」は「やわらぐ」と消えてしまう。
「心(欲)」が消えると、普遍的なモノが顕れる。
その普遍的なモノを、ブッちゃんやキリちゃんは、
「愛」とか「慈悲」とか表現したんだ。

だから「心を変える」のではない。
「心」が「やわらぐ・やすらぐ」と、
「優しさ」が使えるよ、と教えただけだ。
「正さなくてはいけない」と伝えたのは、不肖の弟子達。
そして「欲の塊」の組織維持者達(宗教組織関係者)
ブッちゃんもキリちゃんも苦笑していると思う。

「他を認める」というのは、
「他の心」を認めるという事だ。
「他のイタラナイ部分」を愛するという意味だ。
「アホな心」を愛しむという意味だ。
だから「欲(心)」=「愛するモノ」なんだ。
心の無いモノはない。
だから自他の区別なく愛しむ対象として「心」がある。
「アホな心」「欲の心」が存在する意味がある。

グレちゃん(創造主)はダラシナイけど完璧だ。
「アホな心」を創ったのは「優しい」からだ。
「欲」を創ったのは、「愛」だから。
グレちゃんは、ヒネクレているが洒落ている。

「欲(心)」=「愛する対象」だけど、
「欲(心)」=「甘やかす対象」じゃないぞ。
「愛する」は「認める事」だけど、助長する事ではない。
だって、助長すると「苦」になってしまう。
「欲」は「塊」だから硬くすると「苦しみ」になるんだ。

「愛する」とは「やわらげる事」であり、
変える事でもそのまま助長する事でもない。
更にいえば、「一緒にやわらぐ事」なんだ。
ここがコツなんだけどねぇ。

宗教関係者さん。
「教え」を押し付ける、紹介するより、
自分の心がどうしたら「やわらぐ」かが先だと思うよ。
布教という「欲の塊」を「やわらげて」下さいね。
コメント
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