独善なワシは常に言い、書く。
マジメ(硬い純粋)は自他を壊す。
あの連中がマジメでなかったら殺戮はしなかった。
事実として、不マジメの信者は存在しない。
狂(凶)人は社会に結構いるし、狂(凶)祖にもなる。
マジメは騙しやすいし、騙されやすい。
人の社会(組織)はどういう仕組みか、
人の社会の常識はどう作られているか、
素直になれば目が観える。
ある意思をもった組織を維持するには、
マジメな者達を利用するのが一番だ。
そしてマジメな者達を作り出す仕組みにする。
戦争はマジメじゃなければ起こらない。
争いはマジメじゃなければ起こらない。
マジメは実にたやすく「正しさ」に従う。
あの狂祖は「正しさ」で信者を集め、
「正しさ」の下で殺戮をしてきたのだ。
「正しさ」なんてどうにでも作れるのだ。
「人間は一時間先も解らんほどアホなんだ」
ならばどう生きるか?
多種多様な生き物、考え、生き方があるんだ。
「正しさ」が判断できないモノ達が集まった星だ。
それでも共生する方法がある。
「正しさ」を軸にしたらとても難しいが、
「やさしさ」ならば解決する。
自分(達)だけが「正しさ」を掴んだと思い込んだら、
他を導こうとし、従わせようとする。
「正しさ」にはその魔力がある。
そう「正しさ」は魔の力なんだぜ。
(こういうことを書くと各宗教組織からは、
ワシはサタンの仲間だと思われるかも・・・)
無血で社会を暮らしよくしようとした聖ガンディーは、
「ヨガ」という方法でインドを独立させた。
あの狂団が行った殺戮とは正反対だ。
「ヨガ」は自他が平和(調和)になる方法だ。
(自分の)能力を高める事を目的としたヨガは、
真髄の抜けたニセモノだと知って欲しい。
本来のヨガは「やさしさ」を学び、
「やさしさ」に変わる。
そこには「やわらぎ」と「やすらぎ」があり、
「正しさ」を求める「厳しさ」は無いのだ。
(段階があるが、ここでは無いとしようね・・・)
ヨガの達人、ブッちゃん(仏陀)のセリフを思い出そう。
「厳しい修行は害にはなるが、他の益にはならない無駄な道だ」
未だに自分(達)の為に厳しく修行している信者がいる。
そのマチガイから多くの人の命を奪ったのに、
未だ気づかないで修行する信者がいる。
TVに映った信者達の顔はマジメだった。
困ったもんだなぁ・・・。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」