水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

やさしい話・4

2005-03-16 21:07:58 | Weblog

「やさしい話」は言葉でもできるが、
ただの言葉だけじゃ足りない。
「やさしさ」は相手が「やわらぐ」ことだ。
相手が解放できる事だ。
相手がその場で変われる事なんだ。

言葉を使うなら、言葉で感じるモノが必要だ。
言葉から染み入るモノが必要だ。
言葉で飾り立てると、内側に響かない。
見えないモノを言葉に乗せる。
ワシ流に表現するならば、
言葉という乗り物で「氣」を届けるのだろう。

同じ話でもブッちゃんと弟子達は違った。
一言一句、同じ話をしても、ブッちゃんほど響かない。
「話」を覚えても、乗せてある「氣」に気づかなかった。
難しい「氣」ではない。
「やさしい話」だから「やさしさの氣」だった。
実に素直なモノだった。

言葉には「力」があるが、「力」を使わない。
頭の良い弟子達は「力」にこだわった。
「力」は使わない為にもある事を理解できなかった。
「力」を身に付けても使わない使い方(?)がある。
使わない「氣」が「やさしさ」になる。

例え話にしよう。
力の強いレスラーが、その力をフルに使わない。
喧嘩相手そっと抱きしめる。
(ちょ、ちょっと気持ち悪いかも・・・)
それが「やさしさ」というものだ。
すると、別の何かが発生するようだ。
(オトコ同士の愛・・・とか茶化さないで・・・)

ものすごい「力」がある。
あるから使わない。
そして、そっと抱きしめたから、
多くの奇跡が起きた。
マザー・テレサという聖女は、
そういう「やさしい」人だった。

言葉は道具の一つ。
時には「歌」が「やさしい話」になる。
「微笑み」が「やさしい話」になる。
瞳の温もりが「やさしい話」になる
手の温もりが「やさしい話」になる。

ワシは不マジメな生き方をしているが、
プロフェッショナル・ヒーラーとしては
「やさしい」使い方を学ぼう(気づこう)と思う。
とても頼りになる御筆先様という味方がいるが、
文章の言葉でなく、「氣」を言葉に乗せている。

時々・・・上手く乗せる事ができている。
そう思うことが多少増えたかな?(自画自賛)
だから文体が統一されてなくても、
コマギレな節であっても気にしないでね。
ワシはちっとも気にしてません・・・(開き直り)


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
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