オトコとオナゴのツガイが一緒に暮らす。
特別な仲間として一緒に歩く。
そこにあるのは「夫婦縁」というやつだ。
(社会的な夫婦という意味ではない)
「愛」や「恋」と別次元の話だ。
愛してなくても、恋してなくても暮らせるし、
憎しみ合っても一緒に歩く事もできる。
更にいえば、一緒でなくても始まる。
一度だけの関係でも家族は始まってしまう。
ワシは「家族のあるべき姿」を指摘しているのではない。
単なる事実を書いている。
好き嫌いと別な仕組みで「家族」は始まるのだ。
「心の結び」と「氣の結び」は違う。
好き嫌いの「感情」や「恋」は心の結びだが、
家族は「氣の結び」で作られるのだ。
ワシももっと美貌な両親の子供が好みだったが、
美貌と貧乏を取り違えられた・・・。
貧乏が嫌でもないが、決して好みじゃない。
それに・・・飽きた・・・。
「氣の結び」での「体の結び」は形を創る。
「氣は万物形成の根源」なのだ。
新たな生命という形を創りだす。
それが「子孫」という未来だ。
今の貴方だ。
それを取り巻くのが「家族」というものだ。
「心の結び」での「体の結び」は、
満足度や幸福感(幸福と区別してね)の確認になるが、
形は創らないし、創れない。
形が出来たなら「氣の結び」があった証拠だ。
もちろん「氣の結び」と「心の結び」の比較は意味がない。
別次元同士を比べる事自体、無理がある。
家族は「氣のつながり」で出来ているが、
必ずしも「心のつながり」があるわけでない。
「心」は不安定な幻のようなモノ。
「氣」は万物の根元となる確かなモノ。
人と人はほとんどが「心で結ぶ関係」だ。
だから別離がある。
だが、家族関係は「氣で結ばれた」特殊な関係だ。
だから別離は出来ない。(心的な別離はある)
出来上がった家族の中で離婚は別離にならない。
嫌かもしれないが、法律や心とは別な次元の関係だ。
確かなモノの証明として「縦の氣綱」がある。
親子の絆(氣綱)は縦の線で表す。
「横の氣綱」は双方の意思によって結ぶ氣綱だが、
「縦の氣綱」は結び目の無い「共通の通路」だ。
最近になり、DNAとして科学が研究しているモノだ。
肉体が無くなっても切れる事のない「氣綱」だ。
古からの智慧に、少し科学が近づいている。
「氣」に科学が近づいてきた。
いつでも不安定の心を信じるわけにはいかない。
人の心は不出来なモノなんだ。
だが、家族は信じていい。
「氣」はウソも裏切りも出来ない。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」