イラク人虐殺開始から2年経った。
あれは戦争じゃない。
最初から圧倒的な力の差がある。
普通に暮らす生活者を意図的に殺している。
親、子供、赤ちゃん、老人、病人を無差別に爆撃している。
「正義」という虐殺は今もイラクで続いている。
その前年にはアフガン虐殺があった。
そして虐殺参加国は知らん振りをした。
今回のイラク虐殺参加国も同じ振りをし始めた。
「この戦争はマチガイかもしれない」
爆撃してから言うセリフか?
戦争はいつだってマチガイなのだ。
そんな、当たり前さえ判断できぬ国が大声を出す。
子供や老人や病人の上から爆弾を落とす。
「力」を基準とする者達は大声を出す。
「力」で無理やり従わせる後ろめたさを隠す為に。
「力」の無い者達は、いつも小声だ。
その小声を聞く感性が(明るい)未来につながる。
声無き声を聞く「やさしさ」が平和を創る。
そんな、当たり前さえ解らぬ段階の人間達だ。
人類に未来があるか、かなり微妙だぜ。
ワシは根性無しの「いいかげん」な生き方をしている。
だが戦争を支持するような卑怯な生き方は出来ない。
他(人)を犯(侵)す者達の理屈は聞けない。
それで平気で暮らす度胸は無い。
解決、解放は「力」では出来ない。
当たり前だよねぇ・・・。
当たり前なのにねぇ・・・。
「力」は「理屈」で武装する。
どんな「理屈」でも簡単に作れる。
そんな薄っぺらな「理屈」が通る社会だ。
「智慧」でなくては解放できない。
当たり前だよねぇ・・・。
「智慧」は「やさしさ」で行動するもの。
「理屈」に「智慧」は内臓してないのだ。
当たり前だよねぇ・・・。
あの狂(凶)団やあの巨大狂(凶)国達。
共通点は「正しさ」という「理屈」。
「力」という基準での「行い」。
支えているのはマジメな信者だ。
(戦争を支えているのは、いつでも敬虔な○○教信者達だ。
そして卑怯な従者達(日本など)だ)
ワシは信者にケンカを売るつもりも買うつもりもない。
マジメが悪と思っているわけじゃない。
(騙されやすいのは事実だし、マジメを押し付けるのは迷惑だけど)
「やさしさ」が解決だと、小声で書いているだけだ。
自他共に楽に息をしたいから、言う。
争いは「やさしさ」で融(解)ける。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」