水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

やさしい話・2

2005-03-14 21:02:41 | Weblog

字が読めない、書けない。
生物は、それが大部分だ。
字を読んだり書いたりする生き物は特殊だ。
出来る人間でも自国の言葉だけだ。
自国が他民族国家の場合、言葉も一部しか理解できない。
一部も読めない、書けない人間だってかなりの割合だ。

言葉は素晴らしい発明ではあるが、
言葉で通じなくても理解できる話が「やさしい話」だ。
多分、ブッちゃんはそれをやってのけた。
「優しい」と「易しい」は深くて広い。
難しくも厳しくも無いが、とても大きい。

誰にでも、どんな段階でも当てはまる。
それが「優しい・易しい」ということ。
何処までも広く、何処までも高く、深くある。
考えなくても理解できる。
考えていては、理解できないかもしれない。

「優しい・易しい」事に比べたら、
厳しいことや難しいことなど薄っぺらだろ?
「有限の人生の無駄使いだよ」
ブッちゃんは自らの厳しい修行体験をそう語った。
ブッちゃんはその頃はマジメだったから、
ホントに厳しい(命懸けの)修行をしていたらしよ。


「やさしい」事の大きさ、高さ、深さに気づいたら、
ブッちゃんは「いいかげん」になった(と思う・・・)。
何しろ人間もタヌキも一緒に話をしているんだ。
ブッちゃんは「メンドクサガリ屋」になったのかもしれない。
ウソも平気で言うし・・・。

その行いは常に「弱いモノ」の味方(観方)だ。
苦しむモノ、困っているモノに目を向ける。
上を目指すことが「厳しさ」「難しさ」だとすれば、
それは「無駄使いだよ」とやさしく説いた。
でも・・・愚かな弟子達は解らなかったようだ・・・。
(教え方が悪いのかも?・・・ブッちゃんの・・・)

精神世界を彷徨すると「難しいモノ好き」が多い。
ワシもそうだったと思う。
だから迷っていたのだと思う。
「難しいモノ」「厳しいモノ」に価値があると錯覚し、
(自分が)上に行くことを目標にした時期があった。
「やさしい」ことに目を向けるなんて思ってもみなかったなぁ。

イキナリこの仕事に出会い、入ってしまい、
「苦しみ」と「死」に出会うようになった。
「悩み」と「悲しみ」の人達を触るようになった。
もう理屈遊び、言葉遊びの時期を通り過ぎていた。
「やさしい」ことの大切さに気づかされた。
「やさしい」ことの大きさに出会う事ができた。


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
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