「やさしい話」の続きとして書きたくなかった。
多少文章の「氣」が荒れてしまいそうだからだ。
1月の阪神大震災の悲惨な混乱が続いている最中だった。
無差別サリン事件という殺戮が東京であった。
あれから10年経った。
その前年の5月。
奈良県生駒山にて龍村先生のヨガに触れ、
目からウロコやら、耳から耳栓やらが落っこちた。
「これがヨガなら、学びたい!」
そして11月に再び触れ、その思いは強くなった。
ワシはアホのワガママだ。
当時、今より痩せていたが愛しいかどうか微妙な妻と、
三歳と一才の子供の事など(一時的に)忘れていた。
いや、今でもしょっちゅう忘れる。
ワシは特技だと思っている。
龍村先生に「弟子入りしたい」と直訴した。
アホのワガママでもワシは社会的常識を知らないわけじゃない。
生活はどうする? 生活費はどうする?
頭の隅には社会的常識があったが、口が勝手に言ってた。
その当時は故御師匠様(氣功)を追いかけていた。
時々は素面に戻る事もある。
何故こんな事をしているのか不思議だった。
一応一家の主(ワシのことです・・・)が仕事もせずに、
白髭のオッサン(御師匠様)を追いかけていていいのか?
それが、更にヨガも追いかけだしたのだ。
故御師匠様が急死し、やっと自分の行動の意味が解る。
そういう事だったのかぁ・・・
さっさと逝ってしまう予定だったのかぁ・・・
何とか間に合ったのかもしれない。
こうなると運命だか宿命だか知らないけど、
進むしかないのだろうなぁ・・・。
同じように頭で考えた行動ではなかった。
龍村先生に学びたいという衝動だけだった。
ワシなら断る!(可愛いオナゴならともかく)
だが龍村先生は優しい。
「考えている事があるから、後ほど連絡します」
サリン事件はその連絡が来た頃だった。
「ホリスティックヘルスコンサルタント養成講座」
10年前としては全く新しい試みだったろう。
四月から一期生を募集する内容だった。
もちろん、すぐ申し込んだ。
そしてワシにとって龍村先生は龍村師匠となった。
あの事件で「ヨガ」は社会的拒否反応が起こった。
「ヨガ」はカルト集団の入り口に利用されていた。
「ヨガ」を理解しないまま日本に広まった弊害だった。
「ヨガ式健康体操」くらいならまだいい。
本来「結び・調和」の意味を持つ言葉が、
「自己進化」や「能力開花」などと勘違いされたからだ。
(本来の)ヨガを生活の一部として融(解)かせば、
結果として自分の進化や成長はあるだろう。
だが目的をそこに置いたら絶対に成長はしない。
進化の仕組みは自己中では退化するように出来ている。
当たり前なんだけどねぇ・・・
調和(平和)を示した深い道標を理解しないで、
自分の進化、成長の為に修行と称し使っている。
自他を認め、融(解)かし合う技術と哲学なのに、
「霊性の進化を意識する」のが欲望だと気づかない。
あの狂団は「ヨガ」の正反対を修行(?)していたのだ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」