理屈で考えていた時期、
他(人)の手伝いなんておこがましい。
それは傲慢だと思っていた。
他(人)を救えるのは自分が完成してからだ。
自分が高いところへ行けたなら、他へ手を出せる。
自分が力を付けてから、他の役にたとう。
本気でそう思っていた、薄い情の時期があった。
それこそ傲慢だったのになぁ・・・・。
目の前に苦しむ人がいる。
目の前で溺れている人がいる。
そんな時に理屈を言うのは大バカヤロウだ。
自分の立場なんて関係ない。
すぐ抱きしめるのが当たり前だ。
すぐ飛び込むのが当たり前だ。
綱渡りのこの仕事を続けるうちに、
そんな当たり前に気づくようになった。
(自分の成長や進化なんてどうでもいいが、)
「進化を意識して進化するはずがない」と気づいた。
ワシは一番肝心なことが、解っていなかったのだ。
この世の仕組みはヒネクレていたのだ。
オチャメに創られていたのだ。
進化や成長が必要だと仮定するなら、
それは死んでからの方が時間がたっぷりある。
あの世にいる期間なら、たっぷり修行できる。
この世は自分の成長を意識する舞台じゃない。
多種多様なモノ達と一緒に生きている舞台だ。
ブッちゃん(仏陀)はマジメで向上心の強い弟子に言った。
「悟ろうとするなよ。そんなのホットケ!」
このオヤジギャグがウケてホトケと言われるようになった。
魅力的なオッサンは笑顔とギャクで周りを融(解)かした。
でもブッちゃんが入寂するとオヤジギャグも少なくなった。
(愚かで)マジメな弟子達は小難しい理屈を書きとめた。
「やさしい話」に難解な解釈を付けていった。
「イロイロなモノを放そうよ」と説いた御師匠様に逆らい、
自分達でないと解説できないモノを「付けて」いった。
「フッ、頭の良い者だけが理解できるのさ・・・」
エリート意識は昔からイヤラシイなぁ・・・。
後にこのインドにマザー・テレサという聖女が現われる。
ブッちゃんと同じことをした。
同じことを言った。
「苦しみ」「深い悩み」「死」を目の前にして、
厳しさや難しさは邪魔になるが役に立たない。
プロフェッショナル・ヒーラーとして断言できる。
「やさしい」だけが必要で、
「やさしい」だけで充分だった。
(充分じゃないとは思うが、とりあえずはいいでしょう・・・)
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」